第7話 噂の盗賊ラパン

 魔獣が、くちばしを真上に開いて、咆哮した。

 雄叫びが、洞窟内に響き渡る。

 その音がきっかけで、俺たちの体が、金縛りから解放された。


 威嚇のせいで動けていないレイトリーフを、ラドが支えながら。

 俺と盗人がいち早く行動を開始する。

 そんな俺たちにほとんど差なんてなかった。


 目の前を追い抜いていくのは、赤色の……、


「炎!」


 真上へ向けた咆哮と共に放たれた炎は、

 洞窟の半円型の形を、ぐるぐるとなぞるように俺たちを追いかけてくる。


 螺旋になっているため、僅かな隙間があり、

 ラドとレイトリーフは、運良く隙間から逃れられた。


 俺も、道の残り火に腕を焼かれたが、大した事はない。

 しかし、少し先行する盗人少女には直撃する。


 炎の形は、まるで蛇のようだった。

 大口を開けて盗人の体を丸飲みにしようとする。


「後ろ!」

 そう叫ばずにはいられなかった。


 しかし遅いし、俺の手も届かない。

 だが、気づいた盗人は、俺の視界から姿を消した。


 炎に飲まれた、わけじゃない。

 大口を開け、地面にかぶりついた蛇の形をした炎は、地面の中に沈み込んでいく。


 炎はここで途切れた。

 視線を上げると、天井に届かない程度の高さで放物線を描き、

 遠くの地面に着地する盗人が見えた。


 帽子が勢いで脱げ、前へ飛んでいった。

 現れたそれが、ぴょん! と真っ直ぐに立つ。

 すぐに垂れたのは、落ち着きを取り戻したからか。


 落とした帽子を拾って再び被り、振り向いた時には、俺は盗人に追いついていた。


 不機嫌さを隠す気のない女の子が振り向き、俺を睨み付ける。


「…………見た?」

「……うん、見た」


 隠せるとはとても思えないので、素直に白状する。


 彼女にとってはパンツを見られるよりも恥ずかしい事らしい。

 まあ、スカートではないから、その可能性はまったくないし、見たいわけでもないし。

(見たくない、と言っているわけではない)


 帽子からはみ出たそれは、クリーム色の長い耳だった。

 ロップイヤー、と言うらしい。

 帽子を被っているから、というわけではなく、元から垂れている。

 そして、感情に変化があれば、その耳は様々な動きを見せる。

 尻尾のように、とても分かりやすく。


「そうか、君は――亜人なのか」


 兎人ラパン、と呼ばれる彼女は、盗賊と言っていたが……、

 大怪盗ラパンとは、たぶん関係ない。


「なんすか、なんか文句でもあるんすか?」


 冗談交じり、じゃない。

 竜にも負けない威嚇と敵意を、俺に向けてくる。




 亜人はその見た目から、何事も、理解されない事が多い。

 半分は人間、半分は魔獣であるから、忌避する者は意外でもなく、多いのだ。


 恐らくこの子も、亜人だから、という理由で苦しんだ事がたくさんあるのだろう。

 魔獣よりも、その辺ですれ違う人たちの方が恐いと思った事があるのだろう。

 だからこそ、正体を隠していたのだ。


 隠し切れているかどうかは別にして。

 しかし、亜人に厳しい世界でもない。


 強ければ認められる祭りの国があれば、

 多種多様の亜人が訪れ、住んでいる不思議の国もある。

 人間との隔たりはあっても、住みにくい場所ばかりではない。


 かと言って、魔獣と仲が良いというわけでもない。

 いま襲われているのが証拠だ。

 言葉が通じる事もない。

 姿が違うだけで、亜人だって立場は人間となにも変わらない。


 手を伸ばすと、女の子は怯えたように後退した。

 なにをするでもないんだけど……、

 この子の中で、自分が亜人だとばれた時の、人との対応にトラウマが植え付けられている。


 触れづらいデリケートな部分だ。

 慎重に踏み込んでいきたい……こんな時でもなければ。


「走るよ」

「わわっ、ちょっと!」


 語尾の『っす』が抜けるほど驚いていた様子だ。

 先行していた俺たちは、いつの間にかラドとレイトリーフに追いつかれていた。

 つまり、おのずと魔獣も近くにいるという事になる。


 真後ろの炎が明かりとなって、周囲がよく見えるようになる。


「あ……、上!」


 俺に引っ張られたままの盗人が、声を上げた。


 明かりによって影が目立つ――だから気づけた。


 薄暗い中じゃあ、影は暗闇に紛れて溶け込んでしまう。


 俺たち全員をすっぽりと埋める巨大な影の持ち主は、あの魔獣しかいなかった。

 天井すれすれを飛ぶ魔獣は、長いくちばしを俺たち目がけて突き刺そうとしてくる。


 くちばしは地面を陥没させ、破片を撒き散らす。

 俺たちには、その破片しか当たらない。


 再び咆哮が洞窟内を震わせる。

 耳の良い兎人にはきつい環境だろう。

 この小さな手は、だから意地でも離せない。


 こうして引っ張っていないと、

 足を止めて魔獣に押し潰されそうな、はかない感じがする。


「なッ!?」


 ラドが叫ぶ。


 魔獣が吐き出した炎が、目の前に壁のように立ち塞がった。

 近づくと肌を突き刺すような熱さが加速していく。

 しかし、立ち止まる事は許されない。

 前に進むしか、俺たちに道はなかった。


「違うよ、左!」


 レイトリーフの声がなければ、俺たちは炎の壁に突っ込んでいた。

 それしか、道はなかった……。

 いや、俺たちはそこにしか道がないと思い込んでいた。


 炎の壁ばかりに目がいき、

 後ろを意識するあまり、壁の手前にある道に気づけなかった。

 だからレイトリーフがそこに気づいたのは、ファインプレーだ。


 曲がると同時、四人で飛び込み、道を転がる。

 魔獣は自らの炎へ突っ込み、そのまま通り過ぎていった。

 翼が壁を削る音が、やがて小さくなっていく。


 あの赤い鱗は、きっと炎など効かないのだろう。

 あの程度で倒せたと思わない方がいい……、これで逃げられた、とも。

 通路が繋がっている限り、追跡は長く続く。


 しかし、今だけはゆっくりとしていていいのかもしれない。

 休憩だ。

 正直、もう足は動かないほどにガクガクだった。


 呼吸を整える。

 しかし、上手くいかなかった。


「い、いつまで握ってんすか!」


 乱暴に手を離されたが、文句を言う元気もなかった。

 それに比べて、盗人ラパンのなんと元気な事か。


「でも……ありがとう、っす」


 帽子を押さえ、耳を隠す。

 まだ自分が亜人だということを気にしているらしい。

 まあ、さっきは曖昧になってしまったし……、誤解される前に解いておこう。


 まだ、誤解という紐は固く結ばれてはいないが。


「気にしなくていいよ。僕、ケモナーだから」


 さささっ、と、盗人ラパンから距離を取られた。


 ま、想定内だ。

 ここまで強烈な事を言われたら、

 亜人だから、という理由で忌避されているなど、向こうも思わないだろう。


 しかし、その逆がいき過ぎた事によって距離を取られてしまっているが。

 どうやら、俺はまた自分で墓穴を掘ったらしい。


 嘘だから誤解ではあるのだが、

 まあ、解かなくてもいい誤解だ……、俺は気にしない。


「う、うん! 人それぞれ好みは違うしね!」


 レイトリーフがそう言って場を和ませる。

 どうやら空気を読んでフォローしてくれたらしい。

 しかし、俺への警戒心はまったく解けないので、効果は薄かった。


 尚更、取っつきづらくなったな……、まあいいや。


「休憩するにしても、もう少し先に進んでからにしよう。

 ここじゃ狭いし、地面もゴツゴツで休むのには適してないでしょ。

 ……どうする? 盗人ラパンもくるの?」


「誰が盗人ラパンっすか! 

 間違ってはないっすけど、大怪盗ラパンを意識し過ぎっす!」


 怪盗は、やっている事は盗賊と一緒なのに、偉そうなのでムカつくんだから! 

 と、また盗人ラパンの口調が変わっていた。


 世間の目も気にし過ぎだと思うけど。


 盗人ラパンは気に入っていたので残念だ。

 しかしそうなると、新しい呼び方を考えなければならない。


「……コロルでいいっす」

「え? 殺す?」

「違うっすよ!?」


 そう言ってくれたので良かった。

 まさかそこまで嫌われているとは思っていなかったので、少し面を喰らった。


「コロル、というのがわたしの名前っすから」


「うん、分かった、盗人コロル」


 こうして全員の名前を把握できたわけだ。

 となると、テキトーにつけた名称が必要なくなってしまうので、

 それはそれで寂しいな、と感じる。


「だからって、盗人はつけないでくださいっす」


 盗人が、むすっとしながらそう言った。

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