第6話 逃亡ちゅう

「…………魔獣がくる」


 ぴょこん、と、

 帽子の下から垂れ下がるそれが、ぴくりと動いた気がするが、


 何度見ても、それは垂れ下がったままだった。

 帽子を手で押さえ、俺の視線に気づいたのか、俺を目で牽制する。


 それから、両足の裏をラドの腹へ叩き付け、引き剥がす。

 ちょうど、意識を後方へ向けていたラドの隙を突いた形だった。


 浮き上がったラドは、背中から地面へ。

 重たいリュックを背負っているはずの盗人の女の子は、身軽な動きで立ち上がり、


「多いっす」

「多い?」


「魔獣の数が、っすよ。声がバラバラで、統一性がないし、

 怒鳴り声と悲鳴が入り混じってるっす――仲間割れ……、

 分からないすけど、群れでこっちに向かってきてるような……」


「……確かに」


 やがて、俺にも聞こえてくるようになってきた。

 あの子、耳が良い。


 なにも言わないが、レイトリーフも気づいていたようだ。

 ダンジョン内では、危機察知能力が高い者が生き残る。


「?」と、未だ分かっていなさそうなラドは、

 しかし、意外にも生き残るタイプだった。

 言葉通り、とはいかないか。


「逃げた方がいいよね。道、この先はどうなってるの?」


「もう遅いっす」


 振り向けば、言う通り、魔獣の大群が迫ってきていた。


 まるで土砂崩れのような、抗えない力だった。

 一体の魔獣の翼とぶつかる――いや、かすっただけだ。

 それだけなのに、俺は数十メートルも吹き飛ばされ、

 転がった先で咄嗟にうずくまるので精いっぱいだ。


 胎児のように体を丸めて、魔獣とぶつからないように。

 隣には、同じ形で身を守る盗人少女の姿。


 レイトリーフも、ラドも。

 そして、およそ十秒間、生きた心地がしなかった時間が終わり、

 視界は、晴れたように光を取り入れる。


 実際は薄暗いのだが、そんな気分だった。


「クマーシュ、無事か!? こっちは無事だ!」

「ああ、こっちも大丈夫」


 体を起こし、魔獣とぶつかった部分を服をめくって見てみると、

 うわっ……青黒く変色してる。

 鈍痛が、じわじわと今になって体を蝕んでいく。


「怪我、したの……?」


「かすっただけ。

 それでも、鉄球の振り子を受け止めたみたいな痕は残っちゃったけど」


 レイトリーフが心配してくれたので、冗談交じりで返す。

 あながち、冗談で言える比喩でもないかもしれない。


「そっちは?」


 忘れずに、盗人少女の方にも声をかけておく。

 大丈夫っす、と丁寧に敬礼をして答えてくれた。

 しかも正座だった。


 なんとなく、釣られて俺も正座に座り直して、敬礼をしてしまう。


「なら良かった」


「あー、でも、一段落とはいかないっすねー。

 あの魔獣たち、逃げるようにこっちにきてたっすけど、

 予想通りに逃げていたとは思わなかったっす。

 そして、本当に仲間割れだったとは」


 苦笑いをする盗人の視線は、俺の後方を向いており、


 振り向くとそこには。


 さっきの魔獣たちよりも二回り以上も大きな、

 姿形がそっくりの魔獣が、こっちをじっと見ていた。


 まだ距離は遠いのに、息遣いが間近で聞こえる。


 伸びる鋭いくちばし、広げた翼は石壁を擦り、切り込みを入れている。

 そして、口からなにかを吐き出した……、炎だ。


 地面が一瞬で黒焦げになった。

 赤い鱗が全身に広がっており、もう、鳥とは言えなくなっていた。


 さっきのあれは、鳥カゴだったわけじゃない……、

 この魔獣に比べれば、小さかった魔獣たちは見た目は鳥でも、

 しかし、実際は別の魔獣だった。


「……ドラゴン


 だからあれは、竜のカゴ。

 カゴなのだから、鳥ならばまだしも、竜を閉じ込めておく事はできない。

 外に出た竜の親玉は、巣を荒らした侵入者を始末しにきた……。


 俺たちを。


 ――本当に?


「ねえ、盗人」


 なんすか? と、

 関係ないですよみたいな顔をして聞いていた女の子に、聞く。


「竜の巣で、なにか盗ったわけじゃないよね? 

 ……たとえば――、卵とか」


 ぴくっと、帽子からはみ出たそれが再び揺れる。


「そんなわけないっすよ」


 と、口では言っているが、

 犬の尻尾のように感情を表現するそれがあるため、信じられない。


 まあ、それ以前に視線を逸らして、

 周囲に散っているところを見るに、確実犯だろう。


 大きなリュックの中には卵の一つ、すっぽりと入ってしまうし。


「し、仕方ないじゃないっすか! 

 わたしは盗賊だから、そりゃ、がら空きの巣の中に卵があったら手を出すっすよ!」


「元凶が威張るな。……まあ、盗んでしまったものは仕方ない」


 とやかく言ったところで、どうしようもないのだから、切り替える。


「向こうも僕たちに狙いをつけているらしいし。

 たぶん、卵か巣の中に入ったためについた匂いを追っているんだと思う。

 卵を手放したところで、怒り心頭のあの魔獣が、

 卵を回収するだけで帰ってくれるとは思わないしな――」


 この盗人だけじゃなく、なぜか俺たちのことも狙っているようだ。

 鳥カゴ……今となっては竜カゴだけども、中に入った俺たちも、充分に容疑者だ。


 最悪、仲間だと思われても仕方ない。

 魔獣にとっては弱い視力だけども、

 俺たちがかたまっているこの構図は、もうそれにしか見えないだろう。


 言葉が通じない今、言い訳は意味がない。

 人間相手でも、誤解を解くことは難しいのだ。



 ……やがて、一歩。


 魔獣が足を進めた。

 見た目に感じる重さよりも、足音はかなり低く響いた。

 実感する――、鳥ではなく、竜だからこそ生み出せた威圧感。


 くちばしは閉じているが、隙間から漏れる赤色……、


 そして、黒煙が舞い上がる。


 次弾は装填されているらしい。

 飛び立つのも時間の問題だった。


「ねえ、その卵……」

「絶対に渡さない!」


 盗人は言い切った。


 この状況でその答えを喰い気味で言える意地もすごいものだ。


 しかし残念、そうじゃない。


「渡さないでね」

「え?」


 それは俺たちと竜の繋がりだ。

 襲われる原因ではあるが、手放したら本当になにも残らない。


 そして、緊張の糸がそろそろ切れるだろう。

 魔獣は飛び立つのか、炎を吐くのか。


 なんにせよ、今すぐにでも逃げた方がいいのは分かってはいても、

 竜の威圧のせいで、体は反応して、動きづらい。


 ――そして、先に動いたのは竜の方だった。

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