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「ほらほら、挨拶しなきゃ」


敬之に背中をぽん、と押され汐は反動で一歩前へ出る。それは必然的に、転校生を興味津々の目で見つめる子供たちの前へ姿を現すことになった。


「...葉山汐といいます、よろしくお願いします」


言い終わるや否や拍手喝采。こういった場では拍手を届けるようにと教えられているのだろう。しかしそれよりも、名前を聞いて変な顔をするような輩がこの場にいなかったことの方が汐にとって大きかった。安堵から、肩の力が幾分か抜けた。


「はーいという訳で仲良くしてあげてね~~」


ゆるゆるの副校長に慣れたのは成長である。





転入して一か月が経った。転校前は九月に行われていた体育大会は、この学校では五月に行うという。汐はある問題に直面していた。


「葉山君、体育大会で一緒にご飯食べてもいい?」


放課後、学校からの最寄り駅へと向かう途中のことだった。汐は思わず隣を歩く少女を二度見した。

友達がいなかった。全て問題は汐自身にあったのだが、体育大会にて危うくぼっち飯になるところだったのを救ってくれたのは女子だった。


そもそも、人と関わることを極力避けてきた汐が急に「お友達作ってね頑張れ」と荒波に放り出されても環境に対応できるはずが無かった。いや、対応する勇気が出せなかった。転入してすぐ、男子がサッカーをやろうぜと誘ってくれたが、気管支炎を患っていたためにすぐに保健室送りになった。代わりに女子が図書室に一緒に行こうよと誘ってくれたが、これがいけなかった。

図書室は教室前の階段を降りてすぐに位置している。蔵書は洋書含めて10000冊はゆうに超えており、ファンタジー系から児童文庫から、科学雑誌など何から何までそろっていた。


「どう?これがうちの図書室」


自慢気に図書室を案内するのは井原美玖いはらみく。積極的に汐に話しかけたたった一人のクラスメイトである。


「...すごいね」

「でしょう?この前葉山君が好きって言ってたシリーズも置いてあるんだよ」


美玖はそれこそ楽しそうに笑った。

汐の、唯一とも言える「友達」のような存在であった。

そしてぼっち飯問題に直撃しようかという汐に声をかけたのも美玖だった。

何故、と聞き返せば「だって私たち友達でしょう?」あっけらかんと返されたのには驚いた。「友達」という言葉を軽々しく使った事なんか無かった。使う勇気など無かった。この時、まだ汐は臆病だった。それはそれは、臆病すぎるほど。「怯え」の塊のような人間だった。


「葉山君、お母さん体育大会に来ないんでしょ?私もなの。だから、一緒にって思って」

「井原さんはそれでいいの?」


遮るように汐は言った。美玖が少しばかり肩を揺らしたのに気付き、しまったと口を塞ぐ。自分が意気地なしとはいえ相手は女の子なのだ。そして自分は曲りなりにも男なのだ。

女の子には優しくね、という母の言葉が脳裏に浮かぶ。どうすればいいのか分からず、汐はただ狼狽えるより他は無かった。


「だって、一人で食べるよりも、葉山君と一緒に食べた方が美味しいんだもん...!」

「...え」


てっきり、美玖が泣き出すかと思った。しかし実際の反応は全く異なっていた。汐は更に動揺する。動揺がカーテンにも移ったかのように、窓辺のカーテンが揺れ動いた。

汐が転入するまで、美玖は一人だった。それはクラスの誰かから聞いた。別に気に留めた事も無かったが、...そうだ、一人で食べるご飯よりも誰かと食べる方が格段と美味しく感じる。それは汐自身がよく知っていた。

一人で食べる昼食よりも、家族と食べる夕食の方が美味しかったから。

ただ、そこまで素直な言葉を家族以外にぶつけられたのは初めてだった。


「葉山君?」

「...いや、素直なんだね、って」

「嘘つくの、苦手なんだ」


美玖は笑みを浮かべる。自嘲的でもあり、屈託のない笑みでもあり。解釈によってはどちらともとれるような笑みを浮かべて、ただ一人...汐を見据えた。

数分の逡巡の後、汐は「いいよ」と呟く。

小学四年生。世間にはガキと呼ばれるような年齢だが、早い者は思春期を迎える。どちらにしても、気恥ずかしかったのだ。夕方、男女で二人きり。そしてストレートな感情をぶつけられ、照れないような硬派な男では無かった。そして汐は初心だった。


「今から体育大会楽しみかも」

「それで楽しみにされてもね」

「あっ、葉山君酷くない!?」

「うん酷いよ」

「それ自分で言う?普通」


段々と、人に対して心を開き始めていた。

それはきっとこの頃だったのだろう。

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機械之心 Mεyμ-めゆ- @pison

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