第37話  感謝を込めて

 再び幕が開くと、十人ほどの裃姿の役者が緋毛せんを敷いた舞台に正座している。

 正面の真ん中に坐っている田之助が「澤村田之助にございます」と深々と頭を下げ口上の口火を切った。

「本日、日の本で初めて継ぎ足を付け舞台をつとめまして、下田座の皆様にお目見得できましたことは真に喜びに堪えません」

 ゆっくりと客席を見渡したあと、正面桟敷席にいるヘボン夫妻に向けて手を差し出した。

「今日は横浜居留地の名医として名高いヘボン先生ご夫妻がおいでくださいました」

 すると「白石噺」で田之助が姿を現したときにも劣らない拍手が沸き起こった。

どんな患者にも丁寧な治療を続けてきたヘボン先生に対する感謝の表れのように、吟香には思えた。

「先生は私の足の難しい手術を見事に行い、さらにアメリカ国からすばらしい継ぎ足を取り寄せてくださいました。先生のご恩は一生忘れません」

切々と語る田之助の言葉に客席は静まり返った。感極まり泣き出した客もいる。となりのヘボン夫妻に目をやると、顔を見合わせて微笑んでいる。

 ふたりは15歳になるひとり息子のサミエルを知人に預けて、9年前日本にはるばる渡ってきた。

 そのような覚悟で来日したが、耶蘇やそ教に対する様々な妨害やいやがらせを受けた。成仏寺の門前で暴漢にこん棒で肩を殴られたクララ夫人は、いまだに後遺症に悩まされている。

吟香は上海で共に過ごしたときに気づき、初めてその事件を知った。

夫妻は他にはいっさい語らず、日本人の治療や教育に情熱を傾けてきたのである。出会ってからの様々な思い出が吟香の脳裏によみがえった。


「澤村訥升にございます」

 舞台では座頭の訥升が口上を続ける。

「初日よりかく賑々しくご来場賜りまする段、一同厚く御礼申し上げる次第にござります。顧りみますれば亡き父五代目澤村宗十郎が亡くなりまして、早15年が過ぎ去りましてございます。田之助は八歳にて父を失いましたが、精進を重ね太夫と呼ばれる女形と相なりました。昨年来病に悩まされたものの、お陰様で舞台に戻ってまいることができました。ヘボン先生に座頭として改めて御礼申し上げ奉ります。何卒皆様方におかれましても三代目澤村田之助、御贔屓、御引立の程、隅から隅まで、ずず、ずいーと」

皆で「乞い願い上げ奉りまする」と深く頭を下げる中を、幕が下りていった。

壇上には座主が登場した。

「本日はお忙しい中ヘボン先生が奥様と共にお越しくださいました。皆様、拍手を持ってお送り致しましょう」 

座主の言葉に、温かい拍手が小屋中に響き渡る。

「ミナサン、アリガトウ」  

 ヘボン夫妻とお供の康次郎は、四方の客に満面の笑顔であいさつしながら小屋を出て行った。

 もう少しここにいるとひとり残った吟香は、「白石噺」の中で宮城野が立ち上がりゆっくり歩んだ場面の余韻に浸っている。

継ぎ足をつけただけで、ひとりで立ち上がり杖なしで歩けたのはすばらしかった。

 以前から吟香は体に支障がある人の役に立ちたいと考えていた。

特に気にかけているのは、生まれつきあるいは育つ中で目が見えなくなった子どもたちのことである。

己も眼病に苦しんだので、どんなに恐い思いをしているのか、これからどんな風に生きていけばいいのかと心配は尽きない。

 ふとヘボン先生から聞いた「ブライユ」という指でさわって読む突起のある文字のことを思い出した。

 もし平仮名や片仮名の「ブライユ」があれば、子どもたちに文字や言葉を教えられる。そのためには指導する先生とその場所がいる。

 吟香は目の見えない子どもたちのために学校を作ろうと思い立った。

「これがわしの新しい夢だ」

 ヘボン先生たちに告げようと吟香は勢いよく立ち上がった。


 吟香が昌平黌の先輩中村敬宇たちと「楽善会」という慈善団体を設立し、苦難を乗り越え築地に日本初の盲人のための学校「訓盲院」を開校したのは、明治13年2月13日である。

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