第28話 平八とリード

 弁天通りは本町通りより小体こていな店が多く並んでいる。辻を三つ過ぎると「西洋服仕立て」と看板の出ている店が見えた。

「あれが平八さんの店だね」

 ふたりはその店を確かめ、まわりの店を順番にたずねたが全く手がかりがつかめない。

 吟香は道ばたで足を止め、康次郎に話しかけた。

「宗吉は江戸で軽業師の修行をしていたのだから、横浜に住んでいたのはずいぶん前だ。今の人相書きを見てもわからない訳だ。さあ、平八さんの店へ行こう」

 ふたりは間口一間半の小さな店ののれんをくぐった。

 中へ入ると30歳くらいの細身の男が西洋机の前に座り、淡い水色の布を大きなはさみで裁断していた。

 机の上には糸切りばさみや針山、使い込まれた木炭アイロンがきちんと並べられている。

「いらっしゃいませ」

 男は手を止め丁寧にあいさつをした。

「主の平八さんだね。わしはヘボン先生の弟子で岸田吟香という者だ。先生に頼まれて、手術した患者の様子を見て回っている。足の具合はどうだい」

「お陰さまであまり痛みもなく調子はいいです」

 平八はヘボンの弟子と聞き驚いたようだが、穏やかに話す吟香に安心したのか、にこやかに答えた。

「そうかい。先生も喜ばれるだろう。ところで、先生が江戸の役者のためにアメリカから継ぎ足を取り寄せた話は知っているかい」

 平八の背筋がついと伸びた。

「はい、お客さんから聞いたことがあります」

「その大事な継ぎ足が、きのう下田座で盗まれてしまった。あんた何か知らないかね」

「いえ、わたしは何も知りせん。ずっとこの店におりましたので」

 そうだね、と言い、吟香は平八を見据えた。

「下田座では、足を切って継ぎ足が入り用になった者が怪しいと言っているんだが、あんたはどう思うかい」

 ごくりとつばを飲み込む音が聞こえた。ふたりが何のために訪れたのか、ようやく気づいたようだ。

「何か知っていることがあれば教えてくれないかな」

 畳みかけると、平八はうつむいたまま動かなくなってしまった。

 そのとたん、

「あんたもリードみたいにヘボン先生を裏切ったのか」

 康次郎が怒鳴りながらつかみかかっていく。

 平八は大きな音を立てて椅子ごと後ろにひっくり返ってしまった。

「おい、大丈夫か」

 あわてて駆け寄り抱き起こそうとすると、椅子もくっついてくる。

 下を向いた吟香が見たものは、ズボンの上からひもで椅子にくくりつけられた平八の左足だった。ズボンの右足は、ひざ上からくたっと折れ曲がっている。

「なんと」

 吟香は、そばで青ざめている康次郎と顔を見合わせた。

 平八は寸分たがわず服を仕立てるために、片足を椅子に固定していたのだ。

「すまなかったね。本当に申し訳ない」

 平八を起こして机の前に座らせ、吟香はていねいに詫びた。康次郎も口をもぐもぐさせながら頭を下げている。

 平八はいすの背もたれで背中を打ったらしく、顔をしかめてさすっている。

頭を打った様子はないので、吟香はひとまず安心した。

「リードさんはいったい何をしたんですか」

 困ったやつだと康次郎をにらんだとき、平八の不安そうな声が聞こえた。

「あんたはウェン・リードさんを知っているのかね」

 驚いて振り返ると平八が小さくうなずいた。

「是清の話をしてあげなさい」

 康次郎にリードの仕打ちを語らせた。

「リードさんは日本びいきだと思っていたのに、そんなひどいことを」

 動揺したように目を泳がせていた平八がつぶやいた。

「あの人は着物や日本の酒が好きなだけだ。わしたち日本人も商いの相手でしかないのだろう。心の中ではどう思っているかわからないよ」

 吟香はめったに人の悪口を言わない男である。

 だがリードが愛想よく親切なのはうわべだけではないかと思っていたところに是清の一件を聞いたので、一挙に募った不信感を口にしたのだ。

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