第25話 「もしほ草」の発行人

「ふわふわ豆腐はお茶請けでもうまいよ」

 吟香に勧められ、康次郎は茶を飲みながらまたふわふわ豆腐を食べていたが、箸を置き真剣な表情で吟香に向き直った。

 もうひとつ聞きたいのですが、と遠慮がちに切り出す。

「吟香さんは『もしほ草』の発行人に、あの人の名を借りているそうですが、これからも続けるのですか」

「リードさんとは二年の約束で名義を借りているから続けるよ。だが若い者を食い物にする男だとは思いも寄らなかった。わしとて堂々と己の名で発行したいのだが、異人名義にしたのは新聞を守るための苦肉の策なのだ」

 己が虎の威を借る狐のように思えて口惜しくなり、吟香は大きな音を立て沢庵をかじった。

 今年江戸と横浜で次々に創刊された新聞のほとんどが、佐幕派を支持し新政府を批判しているので、新政府は気に入らない新聞をつぶそうとしていた。

 その話を聞いた吟香は先手を打ち、治外法権に守られているリードの住む居留地93番を発行所にして新聞を創刊した。

 リードとはジョセフ・ヒコの紹介で知り合った。アメリカで出会ったヒコと意気投合し、日本語を教わって来日した経緯を買って頼んだのである。

 閏4月28日に「新著並びに翻刻書類は、官許を経ざるものは売買をかたく禁ずる」と達しが出され、すでに廃刊が噂されている新聞もある。

 おそらく「もしほ草」はこれからも安泰だが、吟香の胸中は複雑だった。

 発行所の名義を借りているリードの館に、新政府は見張りをつけている。

これに対しリードが両手を広げ「信じられなーい」と大げさに肩をすくめると、迷惑をかけていることを詫びながら情けなくなった。

 また温厚なヒコが「新聞は政府のためではなく、民のためにある。それをつぶすとはなんと野蛮な政府なんだ。新聞で物申すことのできない国など、一等国とは言えない」と強い口調で言ったのである。

 ヒコ、日本名彦蔵は播磨はりま(兵庫)の漁師だった。漂流中に助けられ13歳でアメリカに渡り、心温かい人たちの援助を受けて大学で英語を学び、アメリカ国籍を取得した。

 5年前に帰国しアメリカ領事館の通訳官をつとめていたが、今は貿易商をしている。アメリカで長く暮らしたヒコにとって、母国の今のありさまは受け入れがたいのだろう。

 吟香の目の前で、康次郎がお替わりのふわふわ豆腐を口のまわりにつけながら満足そうに食べている。

 この若者がわしの年になる頃には、どんな国になっているのだろう。

 康次郎の顔を眺めながら、吟香はふとそんなことを考えた。

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