第23話 ヘボン先生の患者

「吟香さん、きのうは勝手なことを言いまして、申し訳ありませんでした」

 康次郎が座り直し、頭を下げた。 

 探索を放り出したことを詫びているのだろう。

 芝居者と卑しめたことをどう考えているのかわからないが、神妙に謝っている顔は心なしか大人びて見える。

 きのうとは打って変わった態度に驚きながらも、吟香は内心ほっとした。

 康次郎はさらに話し続ける。

「宗吉のことですが、足を切った者のために継ぎ足を盗んだのではないかとヘボン先生にお話したところ、同じ考えだとおっしゃいました。そして緒形先生に患者のことを聞くように言われました」

 緒形修三は、ヘボンの右腕として手術の助手をつとめている優秀な医師である。康次郎は胸元から取り出した帳面に目をやりながら、緒形に聞いたことを話し始めた。

 ヘボンは田之助の前に、ひざ上の切断手術を三例行っている。

最初はいくさで負傷した薩摩の侍だったが、すぐに国許へ帰った。

二人目は脱疽で手術した和泉屋藤兵衛である。本町で異国の品を売る唐物屋とうぶつやを開いている。

三人目は馬車に轢かれて重いけがを負った西洋服の仕立て職人平八である。弁天通りで小さな店を出している。

 帳面を閉じると、康次郎は困ったような顔をした。

「藤兵衛さんたちのことですが、手術後の塩梅もよく、ヘボン先生のお陰だとたいそう喜んだそうです。でも先生がまったく金を受け取らないので、藤兵衛さんは待合室に長椅子を用意してくれました。平八さんは先生の体に合わせてシャツを作ってくれたそうです。このふたりが先生を裏切るようなことをするでしょうか」

「わしだって疑いたくはないが、心の奥底は他人にはわからんものだよ。ヘボン先生に頼まれたからには、できることはすべてやる」

 吟香がきっぱりと言うと、そうですねと小さくうなずいた。

「ではまず和泉屋へ行こう。だがその前に腹ごしらえをしておいたほうがいいようだね」

「はい、頂きます」

 今度は、元気一杯の声が返ってきた。

「康次郎さん、患者のことをよく調べてくれた。わしもヘボン先生に聞こうと思っていたから大助かりだよ」

 土間に下りた吟香が、今朝納豆売りから買った叩き納豆と菜っ葉を入れた納豆汁を作りながら、笑顔で礼を言った。

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