第21話 人生は「ままよ」

 吟香が顔に汗をかいているのを見て、

「下へ行って、冷たい麦湯をもらってきます」

 と腰を浮かしたので、頼むよと弾むように言った。

 だがすぐに出て行くと思った三津五郎は、鏡台の前に座り化粧を直し始めた。器用に刷毛を使い、水溶きした白粉で顔のくぼみを丁寧に埋めていく。

「吟香さんは、お江戸でずいぶん苦労されたそうですね」

 鏡の中の三津五郎が、手を動かしながら話しかけてきた。

「横浜に来るまでは波乱万丈の人生だったからね。わしは商いをしたことがあるが、何だったかわかるかい」

 いたずらっぽく笑って聞くと、さあと首をかしげている。

「深川で『ままよ』という一膳飯屋をやっていたのさ」

「ままよ」ですか、と不思議そうにたずねる。

「わしは安政の大獄でお上に追われる身となったが、漢学の師匠に頼まれて幕府への建白書を清書しただけなんだ。つかまったらそれまでよ、と開き直って堂々と店を開いたのさ。『ままよ』は、人生いろいろあるが成り行きにまかせるという、わしの信条だよ」

「そんなふうに生きられたらいいですね」

 三津五郎は一瞬うらやましそうな表情を浮かべたが、少々お待ちをと笑顔を作って部屋を出て行った。

 ひとり残った吟香は、顔だとて役者の大切な命なのに人生「ままよ」と生きればよいと、いとも簡単に言ったのは三津五郎には酷だったのではないかと悔やんだ。

 だが誰しも人には言わない悲しみや苦しみを抱えて生きている。

吟香も結婚してひと月余りで新妻をはやり病で失い、親交のあった水戸藩の学者藤田東湖は母上を助けようとして安政大地震で亡くなった。それでも悲しみを乗り越え生きてきたのだ。

 まわりの部屋は静まり返ったままである。もの寂しさを感じたが、気を取り直し今日の探索をふり返った。

 宗吉が継ぎ足を盗んだと確信したのは、棟梁から腰掛けの話を聞いたときである。腰掛けを間近で見たとき、太夫の着物のたもとが邪魔にならないように、また両横の取っ手が握りやすいようにと心づかいが見てとれた。

宗吉は片足を失った男の世話をしたことがあるはずだ。さらに不便を補うために、腰掛けや竹の継ぎ足を作ったのだろう。

だがうまくいかなかったので、太夫の継ぎ足を盗むことになってしまった。これが事のてん末だろうと、見当をつけている。

 吟香はふと、この考えを康次郎に話したくなった。

探索の途中で勝手に抜けたしょうがない奴だと思いながらも、そばにいないことが寂しく感じるのは己でも不思議である。

さっきはあんなに怒ってしまい大人げなかったかな、と苦笑いした。

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