第19話 芝居者

 吟香は康次郎をふり返った。

「これで手引きした者の探索はいらなくなったが、手がかりもなくなった。人相書きを描いて、あした関内で聞き込みをしよう。ここでは大っぴらに宗吉のことを聞けないから下田座に戻るぞ」

 だが康次郎はそれには答えず首を横に振る。

「わたしはヘボン館へ帰っていいですか」

「えっ、どうしてだい」

 不思議に思いたずねると、康次郎はまくしたてる。

「芝居者と話をするのはもうたくさんです。わたしは芝居好きですが、裏話や役者の素顔なんか知りたくありません。悪態をつく田之助や、あばた面の三津五郎を見るとうんざりします」

「役者を芝居者などと見下すのはどうかな」

「何がいけないのですか。芝居者どころか河原者と言っている人もたくさんいますよ。もともとわたしたちとは違うのです」

 穏やかにいさめたのに食ってかかってきた康次郎に不愉快になり、吟香は押し黙った。

 かつて幕府は芝居に関わる者に対し、住む所を定め編み笠をかぶって往来せよと罪人のように扱っていたので、世間では芝居者、河原者とさげすむ風潮がある。

 だが見物客を楽しませるため日々励んでいる役者や裏方たちを、なぜ同じ人として認められないのだろうか。

 康次郎が芝居好きを自認するならなおさらである。

 身分や生業なりわいはもちろん、生まれた国でも決して人を差別しないヘボン先生のそばにいながら、この男はいったい何を学んできたのか、と情けなくなった。

 康次郎は眉間にしわを寄せている吟香を見ても、なぜ怒っているのかわからないと言いたげな顔をしている。

 それを見て吟香は怒りを抑えることができなくなった。

「あんたは、ヘボン先生じきじきに継ぎ足捜しを頼まれたことを忘れている。帰ったら先生にきちんと話しなさい。それからここをきちんと片づけて帰りたまえ。わしは明日朝早くヘボン館へ行く」

 強い口調で言い置き、大股で掘立小屋を出て行った。

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