第18話 絵図面
太一の身の上を思うと切なくなったが、吟香は気持ちを切り替えて話し始めた。
「継ぎ足の話を初めて『もしほ草』に載せたのは、閏4月17日だ。宗吉が横浜に来たのはその前だから盗みが目的ではないな。やはり誰かに頼まれたのかもしれない」
「そうですね。怪しいのは関内にいるおじか、知り合いあたりでしょう」
「それから、宗吉を手引きする者が小屋にいなければ盗めなかったはずだ。まずこっちから考えてみよう」
気が乗らなかったが、避けては通れない道である。
ふたりは小屋にいる者たちを順番に挙げ話し合ったが、決め手も見つからず、だんだん気が重くなってきた。
「人を疑うのはいやだね」
「どうしてわたしたちがこんなことを調べなくちゃいけないんですかね」
康次郎が腹立たしそうに話しているところへ、下田座にいた棟梁がやってきた。
「おや、どうしたんだい」
柄でもなくもじもじしている棟梁に、何か話でもあるのかね、と重ねてたずねるとようやく口を開いた。
「あそこではとても言い出せなかったが、俺が田之助さんの楽屋を宗吉に教えちまったんだよ。すまねえ」
大きな体を縮めて頭を下げている。
「何日か前、絵図面を広げているときに宗吉が来て『田之助さんが使う部屋から
「そのときそばに誰かいたのかい」
「いなかったから今裏切り者を探しているんだよ」
棟梁は苦しそうに顔をゆがめた。
「そのあと宗吉が『こんなものが厠のそばにあるといいですよ』と言って腰かけの絵をくれたんだ。感心した俺はすぐに絵の通りにこしらえた。あいつがほんとに田之助さんのことを心配しているように見えたが、まさか盗っ人だったとはなあ」
「あの腰掛けは、宗吉が考えたものだったのか」
腕組みしたまま宙をにらんでいる棟梁のそばで、吟香が思わずつぶやいた。
腰掛けとは幅二尺くらいの腰を下ろせる板を四本の足で支え、両脇に取っ手をつけたものである。
ふだんは厠のとなりの引っ込んだ所に布を掛け置かれている。用をすませた田之助が腰を下ろし身繕いをするのに重宝していると、吟香は厠に案内されたとき三すじに聞いていた。
「妙に親切な盗っ人ですね」
康次郎があきれたように言う。
吟香も、善人なんだか悪人なんだか訳のわからない男だと思った。
「ひとつ相談なんだが、俺が宗吉に漏らしたことは黙っててもらえないだろうか」
棟梁がまた頭を下げた。
「いや、このままでは収まりがつかないだろう。腹をくくって名乗り出るべきだよ」
「そんな殺生な。俺の立場はどうなるんだ。もうにっちもさっちも行かないよ」
棟梁はとうとう頭を抱えてしまった。
「絵図面を盗まれたことにしたらどうですか」
いい考えがひらめいたという得意顔で康次郎が言ったが、棟梁は首を振った。
「絵図面は一枚しかないんだ。うそをついても大工たちにはすぐばれるぞ」
「では写しを盗まれたと言ってください」
「なるほど、そりゃ名案だな。写しには田之助さんのために手を入れた所を書き加えてあったから、信じてくれるだろう。うかつのそしりは免れないが、宗吉に教えちまったよりはずっとましだ。よし、それでいこう」
気持ちが落ち着いたのか、棟梁はいつもの大きな声で話し出す。
「これから皆に話すよ。元はと言えば俺があいつを呼んだせいだからな。小屋のことは俺に任せて、あんたたちは必ず継ぎ足を見つけてくれよ」
ほっとした様子で棟梁は帰って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます