第17話 幼き軽業師

 安堵した吟香が下田座の様子を話しているところに、出番を終えた少年が入ってきた。

 康次郎から11歳と聞いていたが、小柄で細くあどけない顔をしている。派手な市松模様の着物を着ているが、顔や手足は薄汚れすり傷もあった。

 少年がやっている「釜抜け」とは百年以上も続いている手妻の一種である。

子どもを大釜の中に入れ蓋をして、かんぬきを掛け錠を下ろし風呂敷で包む。合図とともに風呂敷を取り錠を開けると子どもはいなくなっている。また同じ動作をくり返すと再び現れる。

おそらく蓋にからくりがあり、この少年も狭い口から出たり入ったりしているのだろう。

「太一ちゃんだね。宗吉さんのことを少し教えてくれないかな」

 吟香は少年の前にしゃがみ話しかけた。

「兄さんはもう遠い所へ行っちゃった。今日でさよならだよって、朝小さな声で言ったけど、どこかは言わなかったよ」

 太一は思いがけず、はきはきと答えた。

 異人のような大男で髭面の吟香を見て立ちすくむ子どももいるが、太一はくりくりした目で見上げ、口元に笑みさえ浮かべている。

「もう横浜へは戻ってこないのかなあ」

 康次郎がゆっくりとした口調で聞くと、さびしげな顔でうなずいた。

「宗吉さんは曲独楽なんかうまいだろう?松井源水さんていう江戸で一番有名な軽業師の弟子の弟子だったんだよ。すごいねえ。それは聞いているかい」

 太一は急に打ち解け、知ってるよと元気よく答えた。

「おまえは器用だなって、兄さんがほめてくれたんだ。もう少し大きかったら、師匠の所へ一緒に連れてってやるんだけどなって言ってたよ」

「へえ、そうだったの」

 出っ張った腹が苦しくなった吟香は、体を起こし伸びをして笑顔で言った。

 太一もにこにこしているので、もう少し聞いてみることにした。

「宗吉さんは、どうして江戸から横浜へ来たんだろうね」

「おじさんがいるからって言ってたよ」

 そうかい、と吟香が目を見張って首を縦に振ると、となりで康次郎がにやりと笑った。

「太一ちゃんは、おじさんがどこに住んでいるか知ってる?」

「兄さんが港の方へ歩いて行くのを何回も見たよ」

「港の方に住んでいるんだね。おじさんは宗吉さんの芸を見に来たことはあるのかな」

「一度もないと思うよ。おじさんは仕事が忙しいんだよって兄さんは言ってた」

「何の仕事をしている人なのかな」 

 吟香の問いかけに太一は小首をかしげた。

「どうして兄さんやおじさんのことをいろいろ聞くの?」

「うん、それはね。宗吉さんは人気のある軽業師だろ。横浜に戻って来てほしいと思っている人がたくさんいるから、探しているんだよ。おじさんなら行き先を知ってるかもしれないと思ったんだ」

 ふうん、そうなのと太一は納得したようにうなずいた。

「宗吉さんは太一ちゃんとよく遊んでくれただろ」

 康次郎がたずねると太一は笑顔で話し始めた。

「兄さんとよく鬼ごっこをしたんだよ。初めのうちは鬼に捕まってばかりいたけど、だんだん逃げられるようになって、鬼もやらせてもらったんだ。楽しかったよ」

 小柄な少年が声を上げて楽しそうに走り回る姿が、吟香の脳裏に浮かぶ。

「太一ちゃんはいい子だね。いろいろ話してくれてありがとう」

 小さな頭をやさしくなでて、小走りで出て行く後ろ姿を見送った。

「あの子はみなしごか、親に捨てられた子だろう。宗吉に連れて行ってやれたのにと言われただけでも、すごくうれしかったんだよ。本当は釜抜けなんかやめて、宗吉について行きたかっただろうなあ」

 しみじみ言うと、康次郎もしんみりとした顔で太一が出て行った出口に目をやった。

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