第7話 下田座

下田座は、橋からほど近い芝居町の表通りにある二階建ての小屋である。まわりには芝居茶屋や土産物屋などが軒を連ねている。

 開港の年に神奈川宿の芸者の踊りでこけら落としをして以来、主に手踊りや人形芝居を興行してきた。江戸から役者を呼んで興行を打つこともあったが、田之助のような太夫と呼ばれる役者を迎えるのは初めてである。

下田座ではこの興行のために新しいやぐらを屋根に上げ、小さいながらも格を備えた芝居小屋になった。

見物客が出入りする木戸口は閉まっているが、初日を二日後に控えた小屋の正面には演目の絵看板が掲げられている。

その中で『碁太平記白石噺しろいしばなし』の傾城けいせい宮城野をつとめる田之助が、きらびやかな打掛をまとった艶やかな姿はひときわ目を引いていた。

吟香たちが裏へ回り楽屋番に声をかけると、すぐ座主と楽屋の頭取を呼んできた。

「岸田吟香さんですね。座主の下田屋文吉でございます。このたびは大変なご厄介をお掛けいたしますが、よろしくお頼み申します。こちらの頭取に何でもお申し付けください」

三すじから話が通っているらしく、座主は愛想よくあいさつをした。促されて進み出た頭取は、楽屋を取り締まる者として責任を感じているのか、神妙な表情で頭を下げた。

吟香たちは頭取の案内で、舞台の裏にある田之助の楽屋へ向かった。役者の楽屋はふつう二階にあるものだが、特別に一階の一番奥の予備の部屋を用意したという。

途中忙しそうに行き交う役者の弟子や男衆おとこしゅ、裏方たちとすれ違った。囃子はやし方部屋からは三味線の音も聞こえてくる。継ぎ足がなくなっても皆変わりなく初日に向けた準備をしているようだ。

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