第5話 ふたりの出会い

  吟香とヘボンの出会いは、5年前にさかのぼる。

砂ぼこりの激しい江戸で眼を病んだ吟香は、友に勧められ横浜で治療を受けた。するとどんな医師に見せても治らなかった眼病が、ヘボンの調剤した目薬を7日間さしただけで完治したのである。

ヘボンは患者から施療代をまったく受け取らず、ニューヨークで開業していたときの蓄財と、ミッション本部からの俸給ほうきゅうや援助でつつましく暮らしている。

吟香は厚く礼を述べ、何か先生の手伝いをさせてほしいと申し出た。

ヘボンは吟香が漢学の素養があるうえ、俗語にも通じていることを知ると

「わたし、日本語と英語の辞書作っています。でも日本語、とてもむずかしい。わたしの仕事手伝ってください」

と真剣な表情で頭を下げた。

遠い国からやってきて辞書作りに取り組んでいるヘボンが、正体もわからない年下の己を信頼し協力してほしいと頼んでいることに、吟香は脳天を突かれたような衝撃を受けた。

その姿に神々しささえ感じて、この人のために働きたいと心底思った。

「やります。是非やらせてください」

「岸田さん、ありがとう」

ヘボンはうれしそうに吟香の大きな手を握り、独特の抑揚で礼を言った。

 慶応元年横浜に移り住んだ吟香は、午前中は施療所で調剤などを手伝い、午後はヘボンとともに根気強く辞書の編集に取り組んだ。

翌年ヘボン夫妻と吟香はでき上がった原稿を携えて上海に渡り、洋紙の活版印刷の辞書を完成させた。

吟香は辞書を『和英語林集成』と名づけ、表紙の文字も書いた。この辞書は日本初の和英辞書として重宝され、1冊十八両という高値にもかかわらず初版1200部はすぐに売り切れてしまった。

この辞書で使われたローマ字は第二版で訂正され、第三版で表記が定着して、ヘボン式ローマ字と呼ばれ国内で広く使われるようになった。

ただ感謝の気持ちで手伝った吟香に対し、ヘボンは50ドルという高額の謝礼を渡したうえに、目薬の調剤法を教え製造販売を認めてくれたのである。

慶応3年、吟香はヘボン処方の目薬を「精錡水せいきすい」と命名して売り出した。これまで練った塗り薬しかなかったので、この日本初の液体目薬は「奏功神のごとき新薬」と評判になった。

さらにヘボン館で知り合ったジョセフ・ヒコとともに日本初の民間の新聞「海外新聞」を発行した経験が「横浜新報もしほ草」の創刊へとつながった。

 先生との出会いが人生を切り開いてくれたと深く感謝している吟香は、なんとしてもヘボンの役に立ちたかった。

「先生、三すじさんと下田座へ行ってみます。誰か手伝ってくれる人はいませんか」

「そうですね。康次郎こうじろうさん頼みましょう」

 ヘボンに呼ばれ、若い男が部屋に入ってきた。

 日本橋の薬種問屋但馬たじま屋の次男で、2年前からヘボン塾で学んでいる17歳の青年である。小柄で負けん気の強そうな顔をしているが、笑うと愛嬌がある。時々ここを訪れる吟香とは顔見知りだった。

「康次郎さん、力を合わせて継ぎ足を捜そう」

「はい、きっと見つけます」

顔を上気させて元気に答える康次郎を見て、ヘボンが笑顔を見せた。

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