第3話 継ぎ足が消えた
吟香の姿を見て、長椅子に体を小さくしてすわっていた
「澤村田之助の弟子の三すじと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
薄緑色の小袖を着た30がらみの女形が、ていねいに頭を下げた。
「吟香さん、きっとあなたたち助けてくれます」
ヘボンがやさしく言うと、三すじは安心したようにうなずき盗難事件のあらましを語り始めた。
田之助や兄の澤村
今朝下田座に入り昼前のけいこ後、楽屋ではずした継ぎ足を三すじは確かに木箱に納め押入れにしまったという。
田之助たちが楽屋で弁当を食べたあと木箱を開けると、継ぎ足がなくなっていた。押入れの天井板が数枚ずれていて、盗っ人が出入りした跡が見つかったのである。
皆に知らせ大騒ぎになったとき、
すぐに三すじたちが小道具部屋の天井を調べると、そこでも板がずれていた。
楽屋番の話では、小屋を出て行ったのは10日くらい前から大工の手伝いに来ている男だという。今日は昼前に来て飯時に帰って行った。外にいた楽屋番は、男が海のほうへ向かって歩き吉田橋を渡り関内へ行くのを見た。いつもと逆の方向なので変だと思ったらしい。
横浜の開港場は四方を川と海に囲まれている。出入口の吉田橋には関門が設けられていたので内側は「関内」、下田座のある外側は「関外」と呼ばれている。
「三津五郎さんが、『開港場へ逃げ込むのはおかしい。ひょっとしたら弁天社のそばから出ている乗合船で、神奈川宿に逃げるつもりではないか』と言ったのです。それが当たっていても、もう間に合わないと思ったのですが、念のためふたりで船着き場へ行きました。するとまだその男がいたのです。船着き場に来て間もない様子でした。
「ほう、それで」
吟香は思わず身を乗り出した。
「なぜ見せなくちゃいけないんだ、と男が言い張るのを拝み倒して、道具箱を開けてもらいました。ところが大工道具しか入っていなかったので、何度も謝りました」
「ほかに荷物は持っていなかったのかい」
「小さな風呂敷包みひとつだけでした」
「そうかい。男はそのまま船に乗って行ったのだね」
「はい。あたしたちは黙って見送ることしかできませんでした」
ふたりの話をおおよそ聞きとれた様子のヘボンは、残念そうに肩をすくめている。
「男が出て行くのを見た人は、ほかにはいないのかね」
「一座の中にはいませんでした。裏方や大工たちも、いつ帰ったのか知らないと言っていました。三津五郎さんはひとり居残りけいこをして楽屋に戻るとき、男と会ったそうです」
「男が小屋を出て行ってから船着き場で会うまで、どのくらい刻がたっていたのかい」
「たぶん半時(1時間)くらいだと思います」
少し長いな、と吟香はつぶやいた。まっすぐ船着き場へ向かったら小半時くらいである。
「あたしたちがいない間に、皆で小屋中をくまなく探して、すべての者の荷物も改めましたが、継ぎ足は見つからなかったそうです」
三すじの話を聞いた吟香とヘボンは、無言で顔を見合わせた。
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