Episode19:危険なデート!?

 アメリカの首都、ワシントンDC。決してアメリカ屈指の大都市とは言えないこの街には、しかし連邦政府の首府といえるホワイトハウスがあるという点で、他のどんな街とも一線を画す存在感を醸し出していた。


 合衆国大統領は基本的にはホワイトハウスを拠点としており、当然ながら大統領を警護・・・・・・する者達も、基本的な生活拠点はこのワシントンDCとなる。



「…………」


 ラミラ・・・主人マスターであるユリシーズから持たされたスマホを開いて、現在の時刻を確認する。約束・・の時間のおよそ20分前。場所は彼等シークレットサービスに割り当てられている官舎の正門前。


 彼女とのデート・・・が実現して有頂天になったらしいレックスが、車で迎えに来るというのでここで待っているのだった。どうせ同じ官舎住まいなのだからそのまま一緒に出かければ無駄がないと思うのだが、人間とは何とも非効率を好む生き物である。


 しかしレックスがこのような場所を指定したせいで、今日が非番の警護官達が物見高く遠巻きに彼女の姿を眺めながら驚いたり、何か笑い合ったりしていた。ラミラはその気になれば人間より遥かに鋭敏な感覚を得る事が出来る。彼等が何を揶揄しているかは丸聞こえであった。


(なぜ私がこんな事を……。全くの時間の無駄だ)


 やはりこのまま無視して官舎に戻ってしまおうか。そう思い始めた時、一台の車が真っ直ぐ近づいてくるのを察知した。屋根が付いていない青い新車のスポーツカーだ。その車はラミラの前まで来ると止まり、運転席から1人の男が降りてきた。レックスだ。


「クルス! 俺はこの時を――」


 この日の為に新調でもしたのかカジュアルだが仕立ての良いスラックス姿のレックスが、何か言おうとして唐突に固まった。


「……? どうかしましたか?」


「お、おぉ……」


 レックスは何やらラミラの姿を見て固まっているようだ。非番でない日は殆ど毎日職場・・会っているというのに何をそんなに驚いているのか。そこまで考えて彼女は、今の自分の外見・・に思い至った。


 今の自分は元となった人間カルメンの知識や嗜好を元に、『男性が好みそうな』衣装やメイクに装っているのだった。


「その……すごく綺麗だ。いや、いつも綺麗なんだけど、何と言うかこう……輝いて見えるというか」


 未だに衝撃冷めやらない様子でレックスが宣う。ラミラは溜息を付いた。いつまでもここでお見合いをしていても時間の無駄だ。


「それはどうもありがとうございます。それで……その立派そうな車は何をするために乗ってきたのですか?」


「お? あ、ああ……オホン! ……勿論君と楽しい一日を過ごす為さ。さあどうぞ、お嬢様マドモアゼル


 レックスはあまり様になっていない気障な仕草で助手席のドアを開ける。そこに乗れという事だろう。ラミラは再び内心で嘆息した。面倒な作業・・はさっさと終わらせるに限る。


「はぁ……分かりました。まあ期待はしていませんが、宜しくお願いします」


 レックスが開けたドアから助手席に乗り込むラミラ。


「デートプランは全部考えてある。俺に任せてくれれば、今日一日で君を虜にしてみせるさ」


 自信満々なレックスが運転席に滑り込むと、そのまま勇んで車を発進させた。こうして世にも珍しい魔族と人間の『デート』が始まった。



******



「……もう終わりですか? それではこれで失礼しますね。明日からまた宜しくお願いします」


「ぐぬぅ……」


 結論から言えばレックスとのデート・・・は、ラミラの予想の範疇を出るものではなかった。一応彼なりに工夫を凝らそうとした形跡はあり、その努力は認めるものの、それで特に彼女の心が動くなどという事も当然ながら無かった。


 それがありありと解るラミラの態度にレックスは悔しげな表情で未練がましく唸っていたが、彼女からすれば人間と魔族が契約による主従関係か、もしくは殺し殺されの敵対関係以外の関係になる事などありえず、この結果は何も意外な事ではなかった。


 時刻は夜9時を回った所。場所はデートの最後に訪れた人気のない公園のベンチ。空には満天の星空が煌びやかに輝いている。人間・・の女であれば或いはロマンチックなシチュエーションだと感じたかも知れないが、あいにくラミラは人間ではないのでそういった感情とは無縁であった。



 であればこれ以上は時間の無駄でしかない。ラミラはさっさと立ち上がってレックスに帰りの車を出すよう促そうとしたが、そこでこの場所にいるのが自分達だけではない事に気づいた。


 やはり車でやってきたらしい何人かの集団が、何か大きな荷物・・・・・を車のトランクから下ろすと、それを通りからは見えない位置まで運び込んでいた。


「何だあいつら、中国人か? 何やってんだ?」


 通りからは見えないが、ラミラ達がいるベンチからは丸見えだ。レックスも遅ればせながら気づいて眉をひそめる。それは東洋人と思しき3人ほどの男達であった。最近はこの街にも中国人を筆頭にアジア系の移民が増えてきているので、彼等の姿を見ること自体はそう珍しい事ではない。


 問題は場所と時刻。そしてこれはラミラにしか解らなかったが、男達から微かに魔力に似た力・・・・・・を感じ取ったのだ。


「カーター、彼等に気づかれないように速やかにこの場を……」


 警戒したラミラが声を抑えてレックスに退避を促そうとしたが、その前に事態が動いた・・・・・・。男達が奇怪な叫び声を上げると、その姿が見る見るうちに変貌・・し始めた。不潔な体毛が身体を覆い、頭部はまるで鼠と人間が融合したような醜く奇怪な形状に変化する。それでいてその前歯はげっ歯類とは似ても似つかぬ鋭く凶悪な形状で、手足の先にも長い鉤爪が伸びる。


 人間とも動物とも、そしてラミラ達魔族とも違う異形。



(これはまさか……東洋の妖怪とやらですか? この国にも下級のものが入り込んでいるという話はマスターユリシーズから伺っていましたが……)



 ラミラ達のような魔の存在にも人間界における棲み分け・・・・は存在しており、基本的に東洋の魔物が欧州や北米など西洋の魔物が幅を利かせる地域に入ってくる事は殆どない(その逆も同様)が、下級のものになるとその限りではなく、人間に紛れて余所の地域に侵入して悪亊を働くというケースも頻繁ではないが発生する。目の前の奴等はその典型例といった所だろう。


 幸いというかこの連中はどこかで殺して運んできた人間の死体を貪るのに夢中でこちらには気づいていない。ラミラは別に司法関係者ではないし、ユリシーズから特にそういう命令を受けている訳でもない。無理に連中と争う理由は無いので、その場から静かに離れようとするが……



「何だ、あの化け物どもは!? 逃げろ、クルス!!」


「……っ!?」


 あろう事かレックスが目を剥いて、わざわざ大声で連中の注意を引きつつ立ち上がった。当然ながら鼠男どもが一斉に顔を上げてこちらを振り向いた。


『我没有注意到那里有一个人』

『我看到了。我们应该做什么?』

『我当然会杀了你!』


 中国語と思しき言語で何か囁き合った鼠男どもは『目撃者を消す』という結論に至ったらしく、背中を丸めたまるで四足獣のような体勢で、恐ろしい速さで一斉に殺到してきた。


 ラミラは舌打ちした。これで連中をやり過ごす事は不可能になってしまった。こうなったら戦うしかない。だが……



「何やってるんだ、逃げるぞ! こっちだ!!」


「……!」


 何とレックスがラミラの腕を掴んで引っ張りながら走り出したのだ。てっきり一人で勝手に逃げ去ると思っていたので、その後に戦うつもりだったラミラは意表を突かれて硬直し、傍目には彼に引っ張られるままに一緒に走り出した。


「何をしているんですか、あなたは!? 私など放って早く逃げて下さい!」


 彼の目があると邪魔で戦えないのでラミラとしては当然そう促すが、あいにくレックスは別の意味・・・・に取ったらしくかぶりを振った。


「馬鹿言うな! お前を見捨てていく訳ないだろ!」


「!? 何故……私は結局あなたの好意に応えなかったのですよ!?」


 それどころかデート中ずっと彼に冷淡な態度を取り続けていたのだ。そんな女など見捨てて当然だろう。少なくとも魔族の価値観ではそうだ。


「俺を見くびるな! そんな軽い気持ちで誘ったんじゃない! いいから黙って走れ!!」


「……っ」


 彼に一喝されたラミラは何故かそれ以上言い募る事が出来ずに、言われるがまま口を噤んでしまう。だが現実として鼠男どもはどんどん迫ってくる。到底公園から出るまで逃げ切る事は不可能だろう。今日は非番で銃も持っていない。そして遂に先頭を走る鼠男が追いつき、逃げるラミラの背中を狙って飛び掛かってくる。


「……っ! 危ないっ!!」


 そこで更に驚くべき事が起きた。何とレックスが咄嗟にラミラを庇って間に割り込んだのだ。当然鼠男の攻撃が止まる事は無く、妖怪の鉤爪がそのまま彼の胸部に振り下ろされた。


「がはぁっ!!!」


「……っ! レックス・・・・!?」


 夥しい量の鮮血が舞い、胴体を切り裂かれたレックスが血を吐いて倒れ込む。息をのんだラミラは反射的に彼の傍に屈みこむ。


「ごふっ……何、やってる……。俺の、事は、いいから……早く、逃げろ……」


「レックス……!」


 自身が瀕死の重傷を負ってもなお彼女を気遣うレックスの姿に、ラミラは自分でも理解できない形容しがたい感情が湧きあがるのを自覚した。


「やっと……俺の、名前を…………うっ」


 レックスは青白い顔で僅かに微笑むとそのまま意識を失った。死んではいないが、かなり危険な状態だ。すぐに救急治療を施さねば命に係わる。だが当然今の状況でそれは不可能だ。


『不用担心。我也会立刻杀了你!』


 鼠男が耳障りな声で哄笑するとレックスの血に塗れた鉤爪を振り上げ、ラミラもその手に掛けようと振り下ろしてくる。だがその攻撃が途中で止まる。ラミラが奴の腕を掴んで強引に止めたのだ。


『ッ!!?』



「私は今非常に気が立っています。……調子に乗るな、下等な異獣共が」



 彼女が怒りと共に力を込めると、鼠男の腕が容易く握り潰された。下等な妖怪が醜い叫び声を上げて、驚愕と共に後ずさる。こいつらは中国でも下級の妖怪なのだろう。精々がビブロスやアパンダなど下級魔族と同レベルだ。つまりたかだか3体程度、彼女の敵ではないという事だ。


 遅ればせながらラミラが自分達より上位・・の存在だと気付いたのだろう。追いついてきた他の2体も含めて警戒と恐怖の気配が伝わってくる。だが当然今更こいつらを逃がす気はない。狩られるのはこいつらの方だ。


『――――!!』


 間違った相手を怒らせた事を悟った鼠男どもは、しかし今更逃げられない事も理解したらしく、生存本能から破れかぶれに一斉に襲い掛かってきた。ラミラは魔族としての姿タブラブルグに変身して奴等を迎え撃った。


(……彼にこの姿を見られないで良かった)


 何故か変身して真っ先に思った事がそれだった……



******



「レックスは無事に峠を越えたそうよ。あなたのお蔭ね。ありがとう」


「……! いえ、放っておく訳にもいきませんでしたから」


 数日後。ホワイトハウスの大統領執務室。報告の電話を切ったダイアンから手術の結果を聞いたラミラは、無関心を装いつつ内心で胸を撫で下ろしていた。だが完璧に装っていたはずなのに何故かダイアンは全てを見透かしたような笑みを浮かべる。


「自分では隠してたつもりかも知れないけど、ここ何日かのあなたの様子を見てればレックスの安否が気になって仕方なかったのが一目瞭然よ。彼は大変な目には遭ったけど、結果だけ見れば随分上手くやった・・・・・・ようね」


「……っ」


 揶揄されても言い返せずに言葉に詰まるラミラ。自分でも自分の心の動きが理解出来ていなかった。自分はあくまでユリシーズに召喚されてその眷属となった存在に過ぎない。主人であるユリシーズ以外の人間に、自発的に特殊な感情・・・・・を抱く事などあり得ないはずだった。


「他のカバールの連中なら眷属にそんな自由意志は許してないのかもしれないけど、ユリシーズはそうじゃなかった。ただそれだけの事でしょう。人間だ悪魔だと難しい事を考えすぎなのよ。ユリシーズがそれを許しているんだから、もう少し自分の感情に素直になっても良いんじゃないかしら?」


「……! そう……ですね」


 ラミラは溜息をついて認めた。確かに思い込みと先入観で意固地になっていた部分はあったかもしれない。あくまでユリシーズが認める範囲に於いてではあるが、自らの自由意志という物にもう少し意識を向けてみても良いのではないか。


 ダイアンに諭された彼女はいつしか、自然とそう思うようになっていたのだった……

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