Episode19:危険なデート!?
アメリカの首都、ワシントンDC。決してアメリカ屈指の大都市とは言えないこの街には、しかし連邦政府の首府といえるホワイトハウスがあるという点で、他のどんな街とも一線を画す存在感を醸し出していた。
合衆国大統領は基本的にはホワイトハウスを拠点としており、当然ながら
「…………」
彼女との
しかしレックスがこのような場所を指定したせいで、今日が非番の警護官達が物見高く遠巻きに彼女の姿を眺めながら驚いたり、何か笑い合ったりしていた。ラミラはその気になれば人間より遥かに鋭敏な感覚を得る事が出来る。彼等が何を揶揄しているかは丸聞こえであった。
(なぜ私がこんな事を……。全くの時間の無駄だ)
やはりこのまま無視して官舎に戻ってしまおうか。そう思い始めた時、一台の車が真っ直ぐ近づいてくるのを察知した。屋根が付いていない青い新車のスポーツカーだ。その車はラミラの前まで来ると止まり、運転席から1人の男が降りてきた。レックスだ。
「クルス! 俺はこの時を――」
この日の為に新調でもしたのかカジュアルだが仕立ての良いスラックス姿のレックスが、何か言おうとして唐突に固まった。
「……? どうかしましたか?」
「お、おぉ……」
レックスは何やらラミラの姿を見て固まっているようだ。非番でない日は殆ど毎日
今の自分は
「その……すごく綺麗だ。いや、いつも綺麗なんだけど、何と言うかこう……輝いて見えるというか」
未だに衝撃冷めやらない様子でレックスが宣う。ラミラは溜息を付いた。いつまでもここでお見合いをしていても時間の無駄だ。
「それはどうもありがとうございます。それで……その立派そうな車は何をするために乗ってきたのですか?」
「お? あ、ああ……オホン! ……勿論君と楽しい一日を過ごす為さ。さあどうぞ、
レックスはあまり様になっていない気障な仕草で助手席のドアを開ける。そこに乗れという事だろう。ラミラは再び内心で嘆息した。面倒な
「はぁ……分かりました。まあ期待はしていませんが、宜しくお願いします」
レックスが開けたドアから助手席に乗り込むラミラ。
「デートプランは全部考えてある。俺に任せてくれれば、今日一日で君を虜にしてみせるさ」
自信満々なレックスが運転席に滑り込むと、そのまま勇んで車を発進させた。こうして世にも珍しい魔族と人間の『デート』が始まった。
******
「……もう終わりですか? それではこれで失礼しますね。明日からまた宜しくお願いします」
「ぐぬぅ……」
結論から言えばレックスとの
それがありありと解るラミラの態度にレックスは悔しげな表情で未練がましく唸っていたが、彼女からすれば人間と魔族が契約による主従関係か、もしくは殺し殺されの敵対関係以外の関係になる事などありえず、この結果は何も意外な事ではなかった。
時刻は夜9時を回った所。場所はデートの最後に訪れた人気のない公園のベンチ。空には満天の星空が煌びやかに輝いている。
であればこれ以上は時間の無駄でしかない。ラミラはさっさと立ち上がってレックスに帰りの車を出すよう促そうとしたが、そこでこの場所にいるのが自分達だけではない事に気づいた。
やはり車でやってきたらしい何人かの集団が、何か
「何だあいつら、中国人か? 何やってんだ?」
通りからは見えないが、ラミラ達がいるベンチからは丸見えだ。レックスも遅ればせながら気づいて眉をひそめる。それは東洋人と思しき3人ほどの男達であった。最近はこの街にも中国人を筆頭にアジア系の移民が増えてきているので、彼等の姿を見ること自体はそう珍しい事ではない。
問題は場所と時刻。そしてこれはラミラにしか解らなかったが、男達から微かに
「カーター、彼等に気づかれないように速やかにこの場を……」
警戒したラミラが声を抑えてレックスに退避を促そうとしたが、その前に
人間とも動物とも、そしてラミラ達魔族とも違う異形。
(これはまさか……東洋の妖怪とやらですか? この国にも下級のものが入り込んでいるという話は
ラミラ達のような魔の存在にも人間界における
幸いというかこの連中はどこかで殺して運んできた人間の死体を貪るのに夢中でこちらには気づいていない。ラミラは別に司法関係者ではないし、ユリシーズから特にそういう命令を受けている訳でもない。無理に連中と争う理由は無いので、その場から静かに離れようとするが……
「何だ、あの化け物どもは!? 逃げろ、クルス!!」
「……っ!?」
あろう事かレックスが目を剥いて、わざわざ大声で連中の注意を引きつつ立ち上がった。当然ながら鼠男どもが一斉に顔を上げてこちらを振り向いた。
『我没有注意到那里有一个人』
『我看到了。我们应该做什么?』
『我当然会杀了你!』
中国語と思しき言語で何か囁き合った鼠男どもは『目撃者を消す』という結論に至ったらしく、背中を丸めたまるで四足獣のような体勢で、恐ろしい速さで一斉に殺到してきた。
ラミラは舌打ちした。これで連中をやり過ごす事は不可能になってしまった。こうなったら戦うしかない。だが……
「何やってるんだ、逃げるぞ! こっちだ!!」
「……!」
何とレックスがラミラの腕を掴んで引っ張りながら走り出したのだ。てっきり一人で勝手に逃げ去ると思っていたので、その後に戦うつもりだったラミラは意表を突かれて硬直し、傍目には彼に引っ張られるままに一緒に走り出した。
「何をしているんですか、あなたは!? 私など放って早く逃げて下さい!」
彼の目があると邪魔で戦えないのでラミラとしては当然そう促すが、あいにくレックスは
「馬鹿言うな! お前を見捨てていく訳ないだろ!」
「!? 何故……私は結局あなたの好意に応えなかったのですよ!?」
それどころかデート中ずっと彼に冷淡な態度を取り続けていたのだ。そんな女など見捨てて当然だろう。少なくとも魔族の価値観ではそうだ。
「俺を見くびるな! そんな軽い気持ちで誘ったんじゃない! いいから黙って走れ!!」
「……っ」
彼に一喝されたラミラは何故かそれ以上言い募る事が出来ずに、言われるがまま口を噤んでしまう。だが現実として鼠男どもはどんどん迫ってくる。到底公園から出るまで逃げ切る事は不可能だろう。今日は非番で銃も持っていない。そして遂に先頭を走る鼠男が追いつき、逃げるラミラの背中を狙って飛び掛かってくる。
「……っ! 危ないっ!!」
そこで更に驚くべき事が起きた。何とレックスが咄嗟にラミラを庇って間に割り込んだのだ。当然鼠男の攻撃が止まる事は無く、妖怪の鉤爪がそのまま彼の胸部に振り下ろされた。
「がはぁっ!!!」
「……っ!
夥しい量の鮮血が舞い、胴体を切り裂かれたレックスが血を吐いて倒れ込む。息をのんだラミラは反射的に彼の傍に屈みこむ。
「ごふっ……何、やってる……。俺の、事は、いいから……早く、逃げろ……」
「レックス……!」
自身が瀕死の重傷を負ってもなお彼女を気遣うレックスの姿に、ラミラは自分でも理解できない形容しがたい感情が湧きあがるのを自覚した。
「やっと……俺の、名前を…………うっ」
レックスは青白い顔で僅かに微笑むとそのまま意識を失った。死んではいないが、かなり危険な状態だ。すぐに救急治療を施さねば命に係わる。だが当然今の状況でそれは不可能だ。
『不用担心。我也会立刻杀了你!』
鼠男が耳障りな声で哄笑するとレックスの血に塗れた鉤爪を振り上げ、ラミラもその手に掛けようと振り下ろしてくる。だがその攻撃が途中で止まる。ラミラが奴の腕を掴んで強引に止めたのだ。
『ッ!!?』
「私は今非常に気が立っています。……調子に乗るな、下等な異獣共が」
彼女が怒りと共に力を込めると、鼠男の腕が容易く握り潰された。下等な妖怪が醜い叫び声を上げて、驚愕と共に後ずさる。こいつらは中国でも下級の妖怪なのだろう。精々がビブロスやアパンダなど下級魔族と同レベルだ。つまりたかだか3体程度、彼女の敵ではないという事だ。
遅ればせながらラミラが自分達より
『――――!!』
間違った相手を怒らせた事を悟った鼠男どもは、しかし今更逃げられない事も理解したらしく、生存本能から破れかぶれに一斉に襲い掛かってきた。ラミラは
(……彼にこの姿を見られないで良かった)
何故か変身して真っ先に思った事がそれだった……
******
「レックスは無事に峠を越えたそうよ。あなたのお蔭ね。ありがとう」
「……! いえ、放っておく訳にもいきませんでしたから」
数日後。ホワイトハウスの大統領執務室。報告の電話を切ったダイアンから手術の結果を聞いたラミラは、無関心を装いつつ内心で胸を撫で下ろしていた。だが完璧に装っていたはずなのに何故かダイアンは全てを見透かしたような笑みを浮かべる。
「自分では隠してたつもりかも知れないけど、ここ何日かのあなたの様子を見てればレックスの安否が気になって仕方なかったのが一目瞭然よ。彼は大変な目には遭ったけど、結果だけ見れば随分
「……っ」
揶揄されても言い返せずに言葉に詰まるラミラ。自分でも自分の心の動きが理解出来ていなかった。自分はあくまでユリシーズに召喚されてその眷属となった存在に過ぎない。主人であるユリシーズ以外の人間に、自発的に
「他のカバールの連中なら眷属にそんな自由意志は許してないのかもしれないけど、ユリシーズはそうじゃなかった。ただそれだけの事でしょう。人間だ悪魔だと難しい事を考えすぎなのよ。ユリシーズがそれを許しているんだから、もう少し自分の感情に素直になっても良いんじゃないかしら?」
「……! そう……ですね」
ラミラは溜息をついて認めた。確かに思い込みと先入観で意固地になっていた部分はあったかもしれない。あくまでユリシーズが認める範囲に於いてではあるが、自らの自由意志という物にもう少し意識を向けてみても良いのではないか。
ダイアンに諭された彼女はいつしか、自然とそう思うようになっていたのだった……
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