Episode9:対面

 ヴァンサンから発せられる微弱な魔力によって暗示をかけられたような状態になっている殆どの・・・招待客たちの前で、主催者たる夫婦の痴態・・はしばらく続いた。その間誰も眉を顰めたり、不快な反応を示したりする招待客はいなかった。ビアンカ達も今は奴等の隙を窺うために敢えて静観に徹していた。


「……!!」


 そんな中、唐突にヴァンサンがカッと目を見開き、自分の『妻』であるシヴァンシカを弄るのを中断した。


「……? ヴァンサン?」


「…………」


 シヴァンシカが戸惑うのにも構わず奴は目を見開いたままフロアの方を、つまり招待客たちの方を睥睨する。まるで何かに気付いて、その原因・・を探っているかのような挙動。これは……



「気をつけろ、ビアンカ。あの野郎、お前に気付いた・・・・・・・ようだ」



「……! ええ、そうみたいね……」


 ユリシーズの警告にビアンカは自分の感覚が当たっていた事を知る。ビアンカの『天使の心臓』は奴等悪魔にとって無視できない極上の馳走なのだ。これを餌として彼女はこれまで人間社会に潜伏する多くのカバール共を炙り出してきた。


 これだけの距離で気付かれないはずがない。これがビアンカがカバール相手の潜入調査・・・・には向かない理由だ。だが潜入には向かなくても、囮もしくは陽動・・としてはこの上なく効果的だ。『天使の心臓』の存在はカバールの悪魔の意識を釘付けとし、それ以外・・・・の存在に対する注意や警戒を極端に散漫にさせる。


 同じようにこの場に潜入しているアダムやリキョウ達の存在を隠す、格好の隠れ蓑でもあるのだ。



「俺から離れるなよ。こっちも奴を挑発する」


 ユリシーズはビアンカの手を取って、ヴァンサンの不躾な視線や魔力からビアンカを守ってくれる。同時に彼も軽く魔力を発散してヴァンサンを威嚇、挑発した。


 これは『天使の心臓』の傍には凄腕の護衛が付いているぞとヴァンサンに知らしめる目的もある。これで奴は『天使の心臓』の存在を感知していても、強引に手を出してくるという事はしづらくなったはずだ。奴は奴でこちらの隙を窺う方針で来ると思われた。


 せっかく懐に飛び込んできた『天使の心臓』を取り逃がすような真似はしないはずなので、正体・・がバレたビアンカ達が追い出される心配はしなくていいだろう。


 互いが迂闊に手を出せずに隙を窺い合う状態。ビアンカとユリシーズがそうやってヴァンサンの注意を引き付けて陽動している間に、リキョウら他のメンバーが奴の隙を見つけて暗殺というのが今回の作戦の基本的な・・・・概要だ。


 『基本的な』としているのはカバール相手の作戦に完璧というものはなく、どんな不測の事態が起きるか誰にも予想出来ないからだ。ある程度作戦の概要に沿いつつ、後は出たとこ勝負といった所だ。



 こちらをしばらくじっと見つめていたヴァンサンだが、唐突にまだ抱えているシヴァンシカに何事か耳打ちする。


「え……? 本当に? ……ええ、分かったわ」


 彼女はヴァンサンの言葉に神妙な表情になって頷く。だがそれは一瞬の事で、すぐに元のにこやかな笑みを浮かべた表情に戻って招待客達の方に視線を向ける。


「皆様、私達の愛の証、お楽しみ頂けましたでしょうか。皆様お待ちかねのようですし余興はこれぐらいにして、そろそろ私達の結婚記念日パーティー本番に移らせて頂きます」


 シヴァンシカが手を叩くと、それまでステージ上だけを照らしていた照明が一切に点灯し、中庭全体をまるで真昼のように照らし出した。それと同時に雇われた楽団と思しき集団がステージ上に上がってきて、即席のBGMを奏でる。中庭を見下ろすように設置されたいくつもの巨大なディスプレイからヴァンサンとシヴァンシカの二人の馴れ初めや結婚生活を切り取ったらしい映像が流れる。どうやら『宴』の始まりのようだ。



*****



 贅を尽くした食事や高価な酒類が惜しげもなく振る舞われ(イリヤ達のような未成年は当然ジュース類だったが)、ビュッフェ形式という事もあり招待客達は各々好きに席を立って歩き回り、このパーティーを楽しんでいるようだった。


 だが勿論ビアンカ達にはパーティーを楽しんでいるような精神的余裕はないし、そもそも楽しむつもりもなかった。


「ふん、ヴァンサンの奴、俺達が気になって他の客への挨拶どころじゃないようだな。あのインド人の嫁さん、意外と苦労してそうだな」


 ユリシーズが皮肉げに口の端を吊り上げる。このパーティーの主役である二人は現在、招待客達の間を個別に挨拶や歓談しながら回っている最中であった。といっても客の相手をしているのは専ら妻であるシヴァンシカだけで、ヴァンサンの方は客そっちのけでこちらに……正確にはビアンカに視線と意識を集中させているのが明らかな様子であった。


 やはり今までのカバールに比べてあまり世間体を気にしないタイプのようだ。そんなヴァンサンはこちらの視線に気付いたのか、妻の腕を取って半ば引きずるような勢いでまっすぐこちらに向かってきた。いよいよご対面だ。


「ああ、ヴァンサン! そんなに引っ張らないで! もう……あの方達が気になって仕方ないのね」


 夫に引っ張られるシヴァンシカは口を尖らせつつも本気で怒っている様子はない。彼女のヴァンサンに対する感情がどんな物なのかも謎であった。まさか夫が悪魔であるという事を知らないはずはないだろうが。



 そんな事を考えている内に、目の前までエマニュエル夫妻がやってきた。主催者達が挨拶・・に来ているのに、まさか逃げる訳にもいかない。他の招待客達の目もある。


「こんばんは、カッサーニご夫妻。先程は情熱的なヴェーゼを見せて頂き感謝しますわ。私達のパーティーは如何でしょうか?」


「ええ、とても楽しんでいるわ。招待してくれてありがとう」


 にこやかに問いかけてくるシヴァンシカに対して、同じように笑顔で対応するビアンカ。しかしその腹の中では相手の真意を探ろうと、僅かな表情の変化も見逃すまいと注視する。おそらくはシヴァンシカの側も同じような感じだろう。


 女達がにこやかな笑顔の裏で火花を散らしている横で、男達同士も牽制し合っていた。


「主催者さん、あんまり人の女房・・をジロジロ見つめるのはやめてもらえませんかね? そもそも自分の奥さんの前で他の女に気を取られるってのは関心しませんな」


 ユリシーズがさりげなく間に立ちつつ、ヴァンサンの不躾な視線からビアンカを守る。


「……彼女は私の物だ。お前が何者であれ、それを邪魔する事は許さない」


 ユリシーズの皮肉など全く頓着していないのか、妻であるシヴァンシカの前でビアンカを『私の物』発言するヴァンサン。流石に周囲にいた他の招待客達がギョッとしたような顔でヴァンサンを凝視する。ユリシーズが僅かに目を眇めて口角を下げる。


「『私の物』とは随分な発言ですなぁ? ミス・エマニュエル、あなたのご主人は大層好きものでいらっしゃるようだ。それともこれがあなた方ご夫妻の日常・・ですかな?」


 ヴァンサンに皮肉や牽制が効かない事を見て取ったユリシーズは、ターゲットをシヴァンシカに替えて水を向ける。


「オホン! ……夫が大変失礼を致しました。ヴァンサン、他のお客様の目もありますので、この場では控えて下さいまし」


 水を向けられたシヴァンシカは少しバツが悪そうに咳払いして夫に諫言する。そこに夫が眼前で他の女に執着している事に対する怒りや嫉妬のような感情は見られなかった。やはり彼女は夫が悪魔であり、その夫がビアンカに執着する理由が色恋や性欲による物でない事を知っている。


「何を言ってるんだ、シヴ。目の前に『天使の心臓』がある――」


「――ヴァンサン!」


 ヴァンサンがやはりビアンカを凝視したまま喋るのに、シヴァンシカが初めて聞くような強い調子で遮る。公衆の面前で『天使の心臓』の事を口走りかけたヴァンサンが思いがけず押し黙った。


 シヴァンシカは相変わらずにこやかな笑顔だが、心なしかその額に青筋が浮かんでいるように見えた。



「ヴァンサン……お父様・・・はあなたにこの『砂漠の宝石』のオーナーとしての将来性を見込んでいるのですよ? お父様を失望・・させる事はあなたも本意ではないでしょう」



「……! む……」


 ヴァンサンが苦虫を噛み潰したような顔になる。シヴァンシカの言う『お父様』とは恐らく【ヴィシュヌ・セーナー】の党首、ラール・クリシュナ・ガーンディの事か。


 単に外国の要人というだけでなく、何やら異能の力も有しているという剣呑極まりない集団の長。彼等との関係は浮世離れしたヴァンサンにとっても重要であるらしく(だからこそシヴァンシカと『結婚』しているのだろうが)、渋々といった感じで引き下がった。


 シヴァンシカは改めてビアンカ達の方に向き直ると、優雅に一礼した。


「重ねて失礼致しました、カッサーニご夫妻。夫はたまに興奮すると我を忘れてしまう事がありまして。どうぞごゆるりとパーティーを楽しんで頂けると幸いです」


「え、ええ……勿論よ、ミス・エマニュエル。ありがとう」


 ビアンカが応えると、今度は逆にシヴァンシカが夫を半ば引きずるような形でこの場から離れていった。


「……嫁さんの尻に敷かれてるのはサディークだけじゃなさそうだな」


 ユリシーズがボソッと呟いた。やはり今までのカバールとは色々な意味で少々性質が異なるようだ。嫁に引っ立てられていくヴァンサンの背中を見送りながら、ビアンカもそんな事を思っていた。

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