Episode8:ヴァンサン・エマニュエル

「ふん。さて、とりあえずこれで無事に全員入場できたようだな」


 リキョウ達の入場を見届けたユリシーズが鼻を鳴らす。何だかんだ言って彼も他のメンバーの事はそれなりに信頼しているのだろう。最初からそれほど心配している様子がなかった。


 招待客が一通り入場し終えてリラックスしてきた頃、中庭の照明が一時的に落とされて、逆に目立つ場所に誂えられたステージ上がライトアップされる。ビアンカ達も含めて招待客の注意が一斉にそのステージに向く。


 ライトアップされたステージの中央に一人の女性が進み出てきた。シヴァンシカだ。彼女は壇上に据え付けられたマイクスタンドの前に立つ。ビアンカとそう変わらない年齢と思われるのに、これだけの招待客の注目を浴びる中で堂々としたものだった。



「皆様、本日は私達の結婚記念日のためにお集まり頂いて誠に感謝致します。社会的にも高いステータスをお持ちの皆さまとこの目出度い日を共に出来る喜びは言葉に尽くせません。また入場するに当たって皆様の熱いヴェーゼを見る事ができ、とても感激しております。あれは私が夫に頼み込んで加えてもらった条件なのです。夫には他人のキスなど見て何が面白いのだと呆れられていますが」


 シヴァンシカが少し冗談めかして言うと、会場から笑いが起こった。


「でも情愛こそが人間の最も素晴らしい美徳だと私は思っていますので、夫に呆れられようとこればかりはやめられません。さて、そんな素敵な接吻を披露して頂いた皆様に私もお返しをしなくてはなりませんね。私達夫婦・・・・も皆様に負けないくらい、情熱的な絆で結ばれているとこの場で証明致しますわ」


「……!」


 ビアンカは僅かに緊張した。ユリシーズに視線を向けると彼も小さく頷いた。いよいよだ。


 と、その瞬間ステージ上だけでなく中庭の残った照明も全て消えて、一瞬だが中庭が完全な暗闇に包まれた。招待客達がどよめく。だが次の瞬間にはすぐにステージ上のライトアップのみが復活した。そして……


「あ……!」


 招待客の誰かが発した驚きの声。ビアンカは反射的にステージ上に視線を戻した。そして驚きに目を瞠った。


 相変わらずステージの中央に佇むシヴァンシカのすぐ斜め後ろ辺りに、いつの間にか一人の男が立っていたのだ。照明が消えていた時間はほんの数秒足らず。そして屋外である中庭に誂えられたステージには、どこかに人が控えていられるようなスペースも存在しない。にも関わらず照明が消える前は周りに誰もいなかったはずなのに、その男は確かにそこに存在していた。


 まるでマジックのような登場。だがビアンカにはそれがマジックなどではないと解った。何故ならその男は……


「へ……ようやくお出ましか。普段は女の尻に隠れてコソコソと引き籠もってやがるチキンな悪魔野郎・・・・が」


 ユリシーズが皮肉げに吐き捨てる。そう、その男がカバールの悪魔・・・・・・・なら、このようなマジックじみた登場などその気になればお手の物だろう。



 カバールの悪魔にしてこの巨大カジノホテル『砂漠の宝石』のオーナーであるヴァンサン・エマニュエルは、顔半分を隠す程の青みがかった長髪にダークブルーの瞳が印象的で、見た目的には整ってはいるがどことなく落ち窪んだ陰気そうな顔立ちの30代半ば程の白人男であった。


 このような巨大カジノホテルのオーナーという肩書からは予想以上に若い。そのヴァンサンは多くの招待客達に注目されている状況だというのに特に挨拶する訳でもなく陰気な笑みを浮かべると、シヴァンシカに後ろから抱きついた。


「……! ああ、ヴァンサン。もう……皆の前だというのに相変わらずで。あ……ん……」


「……!!」


 ステージ上で行われている光景を見てビアンカは唖然とした。いや、それは他の多くの招待客も同じだったであろう。ヴァンサンは後ろからシヴァンシカに抱きつき、そのまま腕を伸ばして彼女の胸をまさぐり、首筋に舐めるように舌を這わせる。それを受けて顔を赤らめて嬌声を上げるシヴァンシカ。


「あ、あいつ、何やってるの……?」


 ビアンカが眉をひそめる。欧米人は人前でハグやキスくらいは当たり前だが、流石にああいう事・・・・・まで公衆の面前でやる者は少ない。 


「ふん、こっちに挨拶するでもなく自分の遊興・・に耽るとはいい度胸だ。どうも今までの自己顕示欲の塊みたいな連中とは少しタイプが違うようだな」


 ユリシーズも若干鼻白んでいた。自分の欲望に忠実という点では同じなのかも知れないが、確かに『カバールの悪魔』『カジノホテルのオーナー』という属性から想像していたイメージと違ったのは事実だ。


「あ……ヴァ、ヴァンサン……。皆様が、見ていますよ。あなたが主役なのですから……ご挨拶を」


「……私の可愛いシヴ・・。皆これ・・が見たいんだろう? 君もそのつもりだったじゃないか。だったら存分に見せつけてやればいい」


 嬌声を上げつつも夫を嗜めるシヴァンシカに、ヴァンサンが初めて喋った。見た目通りに陰のある感じの声音であった。ヴァンサンはそのままシヴァンシカの顎に手をかけると自分の方に向かせる。そして彼女の唇に自分の口を重ねて、貪るような勢いで吸い上げる。


 それはキスと言うよりは、ただ自分の情欲を満たすためだけの別の何かのようにビアンカには見えた。だが他の招待客達は感心したように見入っている者が多かった。ビアンカはその事に僅かな違和感を覚えた。そもそも主催者でありながら挨拶もせずに、自分達を無視して妻との痴態に耽る態度に誰も眉を顰めたり不快そうな態度を取ったりする者がいなかった事からして違和感があった。



「……ビアンカ、俺から離れるなよ。やっこさん、既に仕掛けて・・・・きてるぞ」



「え……?」


 ユリシーズの言葉に驚いて振り向くと、彼は先程までとは打って変わった真剣な表情で壇上のヴァンサンを見据えていた。


「ヴァンサンの身体から漏れ出ている微弱な魔力がこの中庭全体に少しずつ広がってやがる。ここにいる連中の殆どは自分でも気付かない内にその魔力の影響を受け始めているようだ。だが安心しろ。俺の近くにいればその影響は遮断できる」


「……っ!」


 ビアンカはギョッとして思わず近くの席にいるイリヤ達の方を確認した。するとイリヤがこちらの視線に気付いて頷き返してきた。どうやら彼も察知しているようだ。彼に任せておけばオリガも安心だろう。


 しかしイリヤは優れた超能力者ではあるが、悪魔の魔力を察知できるような能力はなかったはずだ。他の招待客達が全く違和感に気付かないような微弱な魔力をどうやって察知したのだろうか。


「イリヤも伊達に何度もカバールの悪魔と戦ってきてないからな。悪魔の魔力やそれが齎す違和感を判別できるくらいにはなってるはずだ。他の奴等は言わずもがなだ」


 ビアンカの内心を読んだようにユリシーズが請け負った。確かにサディークは聖戦士として魔力探知はむしろ本職のような物だし、アダムもユリシーズの協力で悪魔の魔力を分析して探知できるようアップグレード・・・・・・・したと以前言っていたので大丈夫だろう。


 リキョウに関しても性質こそ違うものの異能の使い手(それも凄腕の)である事には変わりないので、イリヤも気づいた違和感に彼が気付かないという事はあり得ないだろう。パートナーの女性陣もそれぞれの相方に任せておけば万が一もないはずだ。


 それを確信するとビアンカも少し心に余裕が出来て現状を顧みるようになる。



「これがヴァンサンの仕業だとすると、あいつは一体何をしようとしてるのかしら?」


「まだはっきりとは分からん。洗脳する程の強力な影響は無いようだしな。自分達の情事を晒してクレームを言われんようにする為だけにしちゃ大掛かりな気がするがな」


 ユリシーズがかぶりを振る。詳細は分からないが、まず間違いなく良からぬ目的だろうと推察できる。


「ヴァンサンの奴が悪魔だっていうのはこれではっきりした訳だし、このまま他の人達に何らかの悪い影響を与えられ続けるのを見てるだけって言うのもね。いっその事このまま席を立って奴に攻撃を仕掛けるのはどうかしら?」


 今ならユリシーズだけでなくサディーク達他のメンバーも勢ぞろいしている状況だ。この状況なら例えヴァンサンがどれだけ強い悪魔だったとしても確実に討伐できるだろう。だがユリシーズは若干呆れたような顔で再びかぶりを振った。


「それが出来るならとっくにそうしてる。他の連中は洗脳まではされてないって言っただろ。目撃者・・・が多すぎるし、そんな衆目環視の中に悪魔の姿を晒させる訳にもいかんだろう。そもそもヴァンサンに白を切り通されたらどうする? 最悪こっちが詰みかねない」


「あ……」


 言われて彼女もその事に気付いた。加えて外国の要人でもあるシヴァンシカもいるのだ。彼女も当然ヴァンサンに合わせるだろうし増々手が出せなくなる。


「そうなったらこっちも動けなくなるし、奴も警戒して再び姿を隠してしまう可能性が高い。折角こうして滅多にない表に出てくる機会に潜り込めたんだ。今は焦らずに奴等の隙を窺うべきだな」 


 恐らくアダム達他のメンバーも同じ結論に達しているのだろう。誰も動き出す者はいなかった。ビアンカも納得して座り直す。今は忍耐の時だ。

 

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