Episode13:和解と対峙

「う……ぐぐ…………はっ!?」


 強制的にもたらされた不快な眠りから覚めたビアンカは、目をカッと見開いて飛び起きる。慌てて周囲を見渡すと、そこはどこか薄暗い廃工場と思しき場所であった。周囲に人の気配は……


「……! あなた、目が覚めましたの?」


「……!! あ、あなたは……」


 間近に聞こえてきた女性の声に視線を巡らせたビアンカは目を瞠った。それは聞き覚えのある声と口調であった。案の定そこには膝を抱えた姿勢で悄然と座り込むナーディラの姿が。


「ナーディラさん! 無事だったのね。でも……ここは一体?」


 彼女が殺されていなかった事に安堵しつつ、そうなると現状が気になってくるビアンカ。ライルに裏切られた彼女は必死で立ち向かったもののジェロームを逃がすのが精一杯で、自身は力及ばず気絶させられてしまったのだ。そして気づいたらこの場所で目覚めたという状況だ。


「私にも分かりませんわ。どこかの廃工場のようですが……あの男・・・は、ここに人が来ることは絶対ない、助けは期待するなとだけ私に言い捨てて立ち去ったきりですし……」


 ナーディラがかぶりを振る。彼女が言う『あの男』とは恐らくライルの事ではないだろう。彼女はライルの裏切りに気づいていない様子だ。


「あの男って?」


「私をここに閉じ込めた男……。あの恐ろしい悪魔の正体・・ですわ!」


「……!」


 やはりこの街に潜むカバールの構成員のようだ。少なくともナーディラを攫ったのがカバールだという点でライルは嘘をついていなかった。


「そいつはどんな悪魔だった? 名乗ったりはしてなかった?」



「え? ど、どんな、ですって? え、ええと……確か、『雷電の支配者サンダールーラー』のハーゲンティとか名乗っていた、はずですわ」



「雷電の支配者……」


 攫われて目覚めた直後だというのに冷静に敵の情報を聞き出そうとするビアンカに目を白黒させながらも、何とか記憶を手繰り寄せて答えるナーディラ。状況が状況だけに一時的にビアンカへの反感を忘れているようだ。


 これまでの経験からカバールの構成員は、必ずその外見や能力などに因んだ『異名』を持っている事が分かっている。となると今回の敵――ハーゲンティとやらの能力もその異名から類推できそうだ。


 因みに人間状態では名乗らなかったらしく、当然というかナーディラにはその素性は解らなかったらしい。


「まあでもまずは脱出を図るべきよね」


 自分だけで上級悪魔と戦う事など不可能だ。ライルの事もある。ここを脱出してサディークにコンタクトが取れれば理想的だが……


わたくしがそれを試みなかったと思いますの? この廃工場全体が奴の『結界』とやらに覆われていて外から認識できないらしいですし、その『結界』の境目には奴の能力なのか強力な電気の壁のような物が張り巡らされていて、一度迂闊に近づいて酷い目に会いましたわ」


「……!」


 そうなるとビアンカ達では物理的な脱出は不可能だ。彼女は自分の携帯を見てみるが、電波の類いも遮断されているのか圏外となっていた。取り上げられていないのも納得だ。



「……あなたは随分落ち着いていますわね? 異形の悪魔に攫われて監禁され、明日をも知れぬ身だというのに。怖くないんですの?」


 ナーディラが不思議なものでも見るかのような目でビアンカに問いかける。確かに本来なら彼女の反応が普通・・だろう。だがビアンカはかぶりを振った。


「まあ今までにもこういう状況は沢山経験してきてるからね。それが良い事なのか悪い事なのかは解らないけど。勿論それだけじゃなくてサディークの事も信じてるから。絶対に助けにきてくれるって。あなたは彼の事を信じていないの?」


「……っ!!」


 ナーディラは目を見開いた。そしてすぐにその顔に朱が差す。


「も、勿論……私だってサディーク様を信じていますわ! でも……あなたに酷い事を言ったり、こんな風に無様に捕まってご迷惑を掛けたりして、あの方を失望させてしまいましたわ。きっともうサディーク様は私などいなくなってしまった方がいいと思っているに違いありませんわ!」


 しかしすぐに再び自信がなさそうな、何かを恐れているような様子になって意気消沈してしまう。いや、彼女が恐れているものは明白だ。ビアンカはかぶりを振った。


「……ナーディラさん。サディークはあなたが攫われたと知るや、私達の護衛よりあなたの救出を優先したのよ。いなくなってしまった方がいいと思っている相手に出来る事じゃないわ」


「え……!?」


 ナーディラはびっくりしたような目で顔を上げる。


「そ、そんな……嘘ですわ! 私はあの方を失望させた愚かな女なのですわ!」


「あら? さっきは彼の事を信じてるって言ったわよね? あなたの信じてるサディークはあんな事くらいで失望して、あなたを見捨てるような薄情な人だったの?」


「……っ! そ、それは……そんな事はあり得ませんわ! サディーク様は誰よりも強く、誰よりも高潔で、そして誰よりも豪胆で、少々の事など笑い飛ばしてしまうような気質の持ち主ですわ!」


 反射的に抗弁するナーディラ。ビアンカは笑って頷いた。


「何だ、解ってるじゃない。じゃあ何も心配する必要はないわね? サディークは必ず来てくれる。私達はそれを信じて、私達に出来る事をしましょう」


「あ、あなた……」


 ナーディラはまるで初めてビアンカの姿をまともに見たかのように目を瞬かせた。いや、事実彼女は『ビアンカという一人の人物』を今初めて認識したのかも知れない。今まで彼女にとってビアンカは『サディークを誑かす性悪泥棒猫』でしかなく、その人格・・など禄に意識していなかったのだ。


「そ、そうですわね。これ以上サディーク様にご迷惑をお掛けする訳には……」



「――やあ、お嬢さん方。最後の別れは済んだかね?」



「っ!!」


 ビアンカに触発されたナーディラが前向きな発言をしようとしたその時、唐突に聞き覚えのない男の声が響き、ビアンカ達は揃って身を固くした。


 いつからそこにいたのか、工場の広いフロアの中央に1人の壮年の白人男が佇んでこちらを睥睨していた。ビアンカは本能的に悟った。


「あなたがナーディラを攫ったこの街のカバールね?」


 ビアンカの誰何すいかに男はあっさりと首肯した。



「いかにもいかにも。表の顔・・・はボストン市警察コミッショナーのギデオン・ブラードだ。ようやく『天使の心臓』たる君を手に入れる事が出来て感無量だよ」



「コミッショナー……!」


 つまりボストン市警察のトップという事だ。ビアンカの戦いの始まりとなったフィラデルフィア警察本部長のエメリッヒと同じ立場だ。


 地元警察のトップがカバールでは、ジェロームもこの先常に身の安全を脅かされる事になってしまう。その意味では彼が敢えて『天使の心臓』たるビアンカを呼び寄せて、この機会にカバールを釣り出して・・・・・しまおうと考えたのは慧眼だったと言える。


「この州……そしてこの街に国民党が勢力を築くのは我等・・にとって大変宜しくない事態でね。しかもウォーカー大統領の懐刀ともいえるアイゼンハワー弁護士。しかし彼に退場・・頂ければ、国民党の勢いそのものを挫く事が出来るだろう。だというのにあの忌々しいアラブ人が尽く私の邪魔をしよる」


 ブラードが忌々しげに顔を歪める。アラブ人とはサディークの事だろう。しかしそこでブラードの顔が今度は喜悦に歪む。


「だが……同じアラブ人でも話の分かる者・・・・・・もいたようだ。約束通り・・・・君を捕らえて引き渡してくれた『彼』には感謝に堪えないよ」


「……!」


 ライルの事だ。だが彼の裏切りを知らないらしいナーディラは首を傾げる。



「さあさあ、それでは『メインディッシュ』を頂くとしようか。それによって私は一躍カバールの支配者になれるのだ。今から楽しみでならないよ」


 そう嗤うブラードの身体から魔力が発散される。これ以上の時間稼ぎは難しそうだ。ビアンカは覚悟を決めた。ナーディラにも言ったが、サディークが来てくれる事を信じるしかない。


「そう易々とご馳走にありつけると思ったら大間違いよ」


 ビアンカは霊力グローブを嵌めた手を拳に握って臨戦態勢を取る。シューズもチョーカーも身に着けている。こうなったらやれる所まで全力で抵抗するまでだ。


「……私も力添え致しますわ。サディーク様は必ず来て下さると信じていますから」


「……! ナーディラさん……ええ、ありがとう!」


 ナーディラはシックな装いの服を脱ぎ捨てると、その下からムスリムの女性としては考えられないような露出度の高い『鎧』姿が顕わになった。それはロサンゼルスで見たセネムという女性戦士に似た衣装であった。その手には隠し持っていたらしい細身の曲刀が握られている。


 そういえば彼女もまた『ペルシア聖戦士団』の一員であった事を思い出したビアンカは素直に礼を言った。一人より二人の方が生き延びられる可能性は格段に上がる。


「ああ、いいね。精々儚い抵抗で私を楽しませてくれたまえ!」


「来るわ……!」


 ブラードが嗤いながらその手から強烈な放電を発生させる。やはり雷を操る能力のようだ。迫りくる暴威に対するビアンカとナーディラの、絶対に勝ち目のない戦いが始まった。

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