Episode12:裏切り

 ライルからの驚くべき報せに、とりあえずそのままジェロームの事務所で緊急の対策会議が行われた。


「そもそも何故カバールがナーディラを攫う? 何が目的だ?」


 サディークが難しい顔で唸る。殺さずに攫ったという事は何らかの目的があるという事だ。ライルがかぶりを振った。


「あの強大な悪魔は殿下とナーディラ様の関係を知っているようでした。『この女を助けたければスペクタクル島・・・・・・・まで来い』と殿下に伝えろ、と」


「……!」


 恐らくあの夜の邂逅の際に、まだ手下の悪魔がどこからか見ていたのだ。その悪魔の目を通してサディークとナーディラの関係を知ったのかもしれない。


「スペクタクル島って?」


「ボストン港の入り江内にあるいくつかの小さい島の一つだよ。特に目立った建物や施設はなく、島全体が自然公園になっている場所さ」


 ビアンカの疑問には地元民であるジェロームが答える。ボストン港は大きな入り江に囲まれており、一つの巨大な港湾を形成している。その湾内には大小様々な島が浮かんでおり、スペクタクル島はそんな島々の一つであるらしい。


「そんな場所に俺を呼び出す理由は……まあ一つしかねぇわな」


 サディークが苦虫を噛み潰したような顔になる。ジェロームにせよビアンカにせよ、殺したり攫ったりするにあたって最大の障害・・は言うまでもなくサディークであった。逆に言うと彼さえ何とか出来れば、カバールは自身の目的を格段に達成しやすくなるのだ。


 恐らくそのスペクタクル島に何らかの罠を張り巡らせてサディークをおびき出し、そうして彼を引き離しておいてビアンカなりジェロームなりを狙おうというのだろう。



「むむ……これはちょっと不味い事になったね……」


 ジェロームも難しい顔になって唸る。サディークがいなくなれば彼も無防備になってしまう。さりとて自分の安全だけを優先して、サディークに対して許嫁・・のナーディラを見捨てろとも言えないだろう。


 それはビアンカにしても同様だ。ナーディラに対してもいきなり出てきて理不尽な態度を取られたという印象はあるものの、それだけで死んで欲しいとまで思ったりはしない。それに許嫁と聞けば彼女が自分に対してああいう態度を取った理由も多少は分かる。


「だが……行かねぇ訳にもいかねぇだろ」


 極めて不本意そうに眉をしかめるサディークだが、その口調に迷いは感じられなかった。言ってみればビアンカとナーディラを天秤に掛けられたような物だが、彼は迷わずナーディラを救う事を選択した。表向きは敬遠していても、やはり命の危機となれば本心・・が露わになる。


「殿下、ファーストレディ殿らの護衛なら私にお任せ下さい。敵は殿下を呼び出しただけで、それ以外には言及していませんでした故」


 ライルがそう言って申し出た。確かに実力的にはライルでも充分ではあるだろうが……


「むざむざとナーディラ様を連れ去られた失態を少しでも補填させて下さい。奴等の手口は解りましたから、もう二度と同じ轍は踏みませんので」


 いつも飄々とした雰囲気であった彼には珍しく真剣な口調と表情だ。サディークはしばし黙考した上で頷いた。


「そうだな。それしかねぇか。悪ぃ、頼むわ」


「勿論です。お任せ下さい」


 ライルは神妙な口調で請け負った。まあ確かにナーディラを見捨てるという選択肢が論外である以上、他に有効な手立てもないだろう。



「サディーク……気をつけてね」


「へ、安心しろよ。どんな罠が張ってあっても、それごとぶっ潰してあの馬鹿を連れ帰ってくるからよ。ちょっとだけ留守番頼むわ。お前こそ気を抜くなよ」


 ビアンカが声をかけると、彼女よりナーディラを優先したという負い目を感じているのか神妙な表情で、しかし殊更自信満々な口調で請け負うサディーク。しかし彼の言う事自体は尤もだ。カバールが何か仕掛けてくるとしたら、サディークが島に赴いている間が最も可能性が高い。片時も油断は出来ないだろう。


 こしてサディークはナーディラを救うためにスペクタクル島へと赴き、その間ビアンカ達の護衛はライルが請け負う事となった。



*****



 スペクタクル島はボストン港の入り江の中心辺りに浮かぶ中規模の島で、ジェロームが言っていた通り目立った建物などはなく、島全体がなだらかな自然公園となっている。


 ダウンタウンにある埠頭からフェリーによる定期便が毎日出ており入り江内の島を一通り回っているので、ジェロームの伝手で急ぎのチケットを買い翌日の朝一でそのフェリーに乗り込むサディーク。


 いくら大きいと言っても所詮入り江なので、フェリーで進めば大した時間は掛からない。この日はオフシーズンの平日だった事もあり乗船客の姿はまばらだったが、それでも2、30人の客は乗っているように見えた。


 しかし実際にフェリーがスペクタクル島の埠頭に着いた時、降りる客はサディーク以外には誰もいなかった。勿論そういう事もあるだろうが、サディークにはこれが人為的・・・に引き起こされたものだと分かっていた。


「へ……島全体から不快な魔力をビンビンに感じるぜ。これはあの『結界』とやらだな」


 島に降り立ったサディークは、ある意味で最近馴染み深くなった感覚に口の端を吊り上げる。この島全体を『結界』が覆っているようだ。一般人がこの島に立ち寄ろうとしないのも納得できる。



 島は細長い形状をしていて、北側の部分は少し広く小高い地形になっているのが特徴だ。サディークは自身の感覚を集中させて、少しでも魔力が濃い北側に向かって進んでいく。


「……! へ、早速おいでなすったか!」


 サディークは二振りの霊刀を抜き放って臨戦態勢となる。なだらかな丘陵の地面を突き破って次々と異形の存在が姿を表す。アメリカに来て以来、彼にとってはすっかり馴染みになった感のある下級悪魔どもだ。


 ただ雑魚とはいえ完全に気を抜いていい相手でもない。数も多いので、彼は油断なく霊力を高める。


「おら、かかってこいや雑魚どもがぁ!!」


 かかってこいと言いながら自分から敵の群れに突進していくサディーク。勿論悪魔たちも一斉に殺到してくる。風光明媚な島は忽ちのうちに人魔入り乱れる超常の戦場と化した。




 サディークは鬼神の如き強さで並み居る下級悪魔どもをなぎ倒しながら、多少の反撃もものともせずに突き進んでいく。そうして進軍・・を続けた彼はいつしか島の北側にある小高い丘の上に到達していた。そしてそこには……


「サ、サディーク様……!!」


「……!」


 丘の頂上に太い杭が打ち付けられており、その杭に後ろ手に縛り付けられて繋がれているのは見覚えのある女性の姿。ナーディラだ。だがその前に立ち塞がる異形の姿があった。


『来タカ、化ケ物メ。我ガ主ノ命ニヨリ貴様ニハ必ズココデ死ンデモラウゾ』


 それははちと人間が合わさったような姿の蜂人間であった。背中には大きな虫翅が生えている。魔力やプレッシャーからして中級悪魔と思われたが、ユリシーズかアダムならともかく生憎サディークには種類名の特定は出来なかった。


 他にもビブロスやムルカスなど飛行型の下級悪魔が何体か周囲に控えていた。そいつらと蜂悪魔が一斉に空に飛び上がった。ビブロスやムルカスなどは空中から遠距離攻撃を撃ち込んでくる。


「ち……しゃらくせぇ!」


 サディークはそれらを回避しながら反撃に『霊空刃』を撃ち込んで悪魔共を撃墜していく。だが敵は下級悪魔だけではない。


「……!!」


 彼は本能的に身を翻した。その直後、太いのような物がいくつか掠めていった。かなりの速度だ。それを確認する間もなくビブロスの火球やムルカスの空気弾が撃ち込まれてくる。サディークがそれらを躱すと、その爆炎に紛れるようにして再びあの太い針が襲ってくる。


「ち……!」


 サディークは舌打ちしてそれを斬り払う。この針は恐らくあの蜂悪魔のものだろう。正面から撃ち込まれても受けには集中を要する速さだというのに、奴は下級悪魔どもの攻撃を煙幕代わりに奇襲を仕掛けてきている。


 サディークが上空を視認すると、あの蜂悪魔が虫翅を高速で蠢動させながら、ビブロスやムルカスの間を飛び回っていた。サディークは奴目掛けて霊空刃を放つが、あっさりと回避されてしまう。凄まじい空中機動だ。


『ファハハ! コノブレナック・・・・・下級悪魔レッサーデーモンノヨウニハ行カンゾ! 我ガ毒針・・ハ貴様ノ霊力デモ中和シキレン!』


「……!」


 蜂悪魔――ブレナックが空中を旋回しながら哄笑する。高速で移動しながらも下級悪魔たちを隠れ蓑にして死角から次々と毒針を撃ち込んでくる。サディークは再び舌打ちした。



「ち……このままじゃジリ貧だな! 仕方ねぇ。アレで行くか!」


 サディークは限界まで霊力を高める。そして自らの身体をコマのように回転させながら、文字通り四方八方に向かって無数の霊空刃を射出する。なまじ狙いを定めて攻撃するから躱されるのだ。すばしっこい相手には、躱す余地もないような全方位攻撃が有効だ。


『……!? 馬鹿ナ! ナンダ、コレハ!? アリ得ン!!』


 ブレナックが驚愕する間もあればこそ、流石に無数の霊空刃を躱し切る事は不可能で、下級悪魔共と一緒に細切れになって消滅していった。素早く機動力に優れている分、やはり耐久力はそこまで高くなかったようだ。ブレナックを倒した事で奴が一帯に張っていた『結界』も解ける。


「ふぅ……最近こればっか使ってる気がするぜ」


 国にいた頃は『霊空連刃』を使う機会自体滅多になかった。それだけアメリカに渡ってから激闘が多いという事だ。カバールという存在の脅威度をそのまま表していると言っていいだろう。




「サ、サディーク様……!!」


 だがそこにナーディラの声が聞こえてきて、彼は状況を思い出した。彼女のもとに駆け寄ってその拘束を解く。


「あ、ありがとうございます、サディーク様! わ、私……」


「ああ、いい。何も言うんじゃねぇ」


 助けられたナーディラが何か言いかけるのを、サディークは背中を向けて中断させた。ナーディラ達が余計な事をしたせいでややこしい事になり、ビアンカを危険に晒し、またビアンカではなくナーディラを優先・・せざるを得なかった。


 ナーディラに対して怒るのも無理からぬ事と言えた。そう……その態度に不自然さ・・・・はなかった。だから相手も油断・・した。


「サディーク様……私、謝らなければ…………!!」


 ナーディラが背中を向けたサディークに近づき、涙声で身を寄せてくる。その動作にも全く不自然さはない。だが……



 ――サディークが素早く身を翻すと、直前まで彼の心臓・・があった位置を鉤爪の生えた醜い悪魔の手が貫いた。



『……っ!?』


「は! 残念だったなぁ! テメェの同族・・とはやり合ったばっかで、その臭い・・には覚えがあったんだよ!」


 そこにいたのは口だけしか無い顔の中級悪魔タブラブルグであった。こいつがナーディラに化けていたのだ。サディークは敵に体勢を立て直す隙を与えず、返す刀で悪魔を一刀両断した。



「ふぅ……終わったか。だがやっぱ偽物だったか。俺を隔離、あわよくば殺す事だけが目的だったって訳か。といってもビアンカ達の方もライルの奴がいるから大丈夫だとは思うが……」


 ライルの戦士としての腕前は彼も認める所だ。油断さえしなければ彼が戻るまでの間、ビアンカ達を護衛しておくのに何も問題ない実力の持ち主だ。


 彼がそう考えて帰路に着こうとした時、持っていた携帯が鳴った。見ると今回の任務に当たって登録したジェロームの番号であった。彼が直接サディークに掛けてきたのは初めてだ。妙な胸騒ぎがしたサディークはすぐに電話を取る。


「俺だ。どうした、何かあったのか? こっちは案の定罠だったが、それごとぶっ潰してやったぜ」


『ああ、サディーク氏! それはせめてもの・・・・・朗報だ。だがこっちは大変な事になった! ビアンカ君が攫われてしまったんだ!』


「ああ? な、何だと!?」


 慌てふためいたようなジェロームの声が電話越しに聞こえてきて、その内容にサディークは目を瞠った。


「ビアンカが攫われた!? 何言ってやがる! ライルの奴はどうした!? あいつが二度も同じミスをするはずがねぇ!」



『その彼なんだよ、ビアンカ君を攫ったのは!』



「……は?」


 サディークは一瞬何を言われたのか分からず混乱する。だがジェロームも興奮しているらしく、構わず電話越しにまくし立てる。


『彼はカバールと通じていた・・・・・んだ! ビアンカ君が裏切った彼に立ち向かって、そのお陰で私は辛うじて逃げられたが、代わりに彼女が……!』


「……っ!!」


 ジェロームの口調は嘘を言っているようには思えなかった。サディークは余りの予想外の事態に絶句して、しばし呆然と立ち尽くすのであった……

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