Episode11:不測の事態
ボストンのダウンタウンにあるシティホテル。その最上階にある客室に現在、中東から来訪した
「くぅぅ……! ゆ、許せませんわ、あの性悪!
部屋の中で地団駄を踏むのはオマーンの第二王女ナーディラであった。彼女は昨夜の記憶を思い返していた。ようやくサディークに会えたというのに、件の『天使の心臓』が一緒であった為に、対抗意識と牽制からサディークの前で挑発的な態度を取ってしまい、結果としてサディークの不興を買ってしまった。
彼はああした女々しい感情や誹謗中傷を何よりも嫌う性質だと分かっていたはずなのに。
「あ、あの女のせいですわ……。あの女さえいなければ私は……!」
腸が煮えくり返るような思いを『あの女』に向けるナーディラ。逆恨みだという事は頭では分かっていたが、自分の中にある『女の感情』を押し留める事はできなかった。
「き、きっとサディーク様を失望させてしまいましたわ。もう終わりですわ!」
最悪の想像が頭から離れず、珍しくネガティブ思考に陥るナーディラ。彼女一人であったらそのまま負の思考から脱け出せなくなる可能性があったが……
「大丈夫ですよ、王女殿下。あの方はそんな小さな事であなたへの態度を変えるような方ではありません。あの『ファーストレディ』の手前、敢えて厳しい態度を取っただけでしょう。ちょっと呆れられはしたでしょうが、嫌われたなどとご心配なさる必要はありません」
苦笑しながらナーディラを取り成すのはライルだ。ナーディラは顔を上げた。
「そ、そうですわよね? サディーク様は本気で私に怒ってなどいらっしゃいませんわよね?」
「勿論ですよ。いつものように自信をお持ちください。塞ぎ込んでいる姿はあなたには似合いませんよ」
ライルが相変わらずの飄々とした調子で、しかしはっきりと断言すると、ナーディラはようやく立ち直った。
「そ、そうですわね。私とした事が少々取り乱していたようですわ。……コホン! それにしても忌々しいのはあのビアンカという女ですわ。すっかりサディーク様はあの女に誑かされているようですわね。何とかあの方に目を覚まして頂く方法はないかしら……」
立ち直った彼女は早速サディークを邪魔なビアンカから引き離す方法はないか思案し始める。ライルが再び苦笑した。
「簡単ですよ。サディーク様が最も尊ぶのは『強さ』です。あのファーストレディにしても結局は、悪魔との戦いから逃げない『強さ』に興味を惹かれたという事でしょう。ならばやる事は一つです」
「そ、それは……!?」
ナーディラが勢い込んで身を乗り出す。ライルは少し芝居がかった調子で頷く。
「決まっています。あなたの『強さ』をサディーク様に知らしめるのです。そうすれば殿下はあなたを見直してファーストレディよりもあなたに目を向けるようになるはずです」
「あの女より強く……? じゃああの女に勝負を挑んで勝てばいいという訳ですわね!?」
ナーディラが勢い込むと、ライルは苦笑してかぶりを振った。
「落ち着いてください、ナーディラ様。ファーストレディの方にあなたとの
「む……そ、それは……。じゃあどうすれば良いんですの?」
「今サディーク様が戦っている相手は、この国に巣食うカバールという悪魔の組織のようです。であるならナーディラ様が先んじて奴らと戦い、そして
「……! 私が……あの怪物どもと?」
ナーディラは昨夜サディークやライル達が戦っていた存在を思い返す。『悪魔』と呼ばれる怪物で、故国でいう
そんな彼女の内心を読んだようにライルが頷く。
「御心配には及びませんよ。そのためにこの私がいるのです。もしナーディラ様の手に負えない相手が出てきた場合は、私が露払いを致しますのでご安心ください」
確かに位階第3位の彼なら大抵の敵には対処できるだろう。ナーディラは自分が戦えそうな相手と戦うだけでいい。下級悪魔を倒すだけでもサディークを驚かせて彼女への見る目を変えるには十分だ。蛮勇をする必要はないし、サディークもそんな事は望んでいないはずだ。
心を決めた彼女は頷いた。
「よし、それで行きましょう。私も自分の力がこの地の魔物にどこまで通用するか試してみたい気持ちはありますし。でも、どうやったら奴らと遭遇できるか妙案はありますの?」
「奴らは巧妙に潜伏しているようなので、こちらから探し出すのは難しいでしょうね。悪魔を誘き出せるあのファーストレディ……『エンジェルハート』が重宝がられているのもそれが理由です。ましてや今はあのジェロームという弁護士もカバールに狙われている状況です。なのでこちらも基本的には彼らを遠巻きに見張りつつ、敵が近づいてきたら彼らに先んじて奇襲をかけるという方向で行きましょうか」
あのビアンカという女の
ライルはそんな彼女の様子を見ながら、気づかれないようにそっとほくそ笑むのだった……
*****
ナーディラ達との邂逅から数日後。この街に潜むカバールは未だ正体を現さず、ビアンカ達はジェロームの護衛を継続していた。ジェロームの選挙活動はサディークの護衛もあり順調で、元々の知名度の高さに加えて彼の弁護士としての能力の高さ、弁舌の巧みさなども相まって全く危なげがないように思われた。
加えて彼は自分の知名度を利用してネットやSNSを利用したWeb広報も積極的に行っていたので、ビアンカの目から見ても当選はほぼ確実なのではないかと思われた。
ボストンを含めてマサチューセッツ州は元々自由党の牙城だったらしいのだが、それをこうも簡単に切り崩すジェロームの手腕に、ビアンカは母が下院議長の座を用意してまで彼に出馬を打診した理由が実感出来ていた。
「だからこそ自由党陣営……カバールがこのまま手をこまねいて見ているなんて事は絶対ないだろうね。近い内に必ず大きな動きがあるはずだ。くれぐれも気を抜かずに頼むよ?」
ジェロームの言葉にサディークは自身の胸を叩いて請け負う。
「誰に物を言ってんだ? 俺様が戦いに関して油断するなんざあり得ねぇ話だ。そのカバールの野郎は死んだも同然だぜ」
他の者なら油断からくる自信過剰とも取れるセリフも、サディークなら『素』で言っているのだと分かる。
「でも最近本当に襲撃がないわね。まさか敵の戦力がもう打ち止めって事かしら?」
ビアンカが疑問を呈する。勿論そういう可能性もあるだろうが、それならいよいよ本命のカバール構成員が出てきてもおかしくないはずだ。ボルチモアではそうだった。だが今の所その気配もない。
「確かにお前の『天使の心臓』を奴等が放っておくってのもありえねぇ話だな。何か不測の事態でも起きてやがるのか?」
サディークも首を傾げる。敵が来ればいくらでも撃退できる彼も、流石に敵の内情までは見通せない。だが……そんな彼等の疑問は予想もしていなかった形で氷解する事となる。
彼等のいる事務所の扉が勢いよく開け放たれた。咄嗟に警戒して前に出るサディークだが、その扉を開け放った者を見て目を丸くした。
「てめぇ……ライル!? 今度は何しに来やがった!」
そこにいたのは『ペルシア聖戦士団』の位階第3位の超戦士にして、今はあのナーディラ王女の
「サディーク殿下……申し訳ありません。大変な事態が起きてしまいました」
「ああ? 大変な事態、だと? ……おい、ナーディラの奴はどうした? 何でお前だけここにいる?」
ライルの様子にサディークが目を細める。ライルは苦渋の表情を顔に貼り付けたままサディークに再び謝罪する。
「申し訳ありません、殿下。ナーディラ様は先日の邂逅で殿下のご不興を買ったといたく気に病み、ご自身がそこのファーストレディ殿より優れている事を殿下に見せると思い詰めて、ご自身であの悪魔たちと戦うという
「な、何だと……!?」
サディークが目を瞠った。ビアンカも同様だ。あのナーディラは彼女への
「勿論この私が一緒にいるのです。先日のような雑魚どもだけならナーディラ様をお守りする事は何も問題ありませんでした。しかし……先日の連中とは比較にならないような強大な魔力を持つ悪魔が突如現れたのです。当然そいつの相手は私が受け持ったのですが、その隙にそいつの手下の悪魔どもがナーディラ様を捕らえて
「……!!」
中級悪魔を危なげなく倒せるライルが苦戦するという事は、間違いなく上級悪魔……つまりこの街に潜むカバールの構成員だ。ついにそいつ自身が表に出てきたのだ。だが不幸にもナーディラ達が先にそいつと当たってしまった。いや、ナーディラ自身が率先して戦いを挑んでしまったのかも知れない。
いずれにせよようやくカバールを表に引きずり出せるはずだった所に、思わぬ
「あの、馬鹿……! てめぇもてめぇだ、ライル! 何であいつを止めなかった!?」
ライルの胸ぐらを掴んで怒鳴るが、彼も怯まない。
「無茶言わないで下さいよ! 私はオマーン王家の家来ですよ!? サウジ王家の家来に諫言されたとしてあなたなら素直に聞きますか!?」
「……! ちっ……」
サディークは舌打ちして手を離す。確かに彼が家来の言う事を素直に聞くとはビアンカにも思えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます