Episode10:不安材料

「あー……とりあえず今夜はもう敵の襲撃はないだろう。私は先に家に帰っているよ。色々積もる話・・・・もあるようだしね。私の護衛とカバールの討伐という任務だけは疎かにしないでくれたら、あとは自由にしてくれて構わないよ」


 おおよその事情を察したジェロームが触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに、それだけを告げて先に自宅へと帰っていった。まあある意味正しい選択と言えるだろう。


 とりあえず夜道の真ん中で立ち話という訳にも行かないので、近くに深夜営業のカフェに場所を移す。4人席に座るが、自分はサディークの隣以外座るつもりはないとばかりにナーディラが陣取り、仕方ないのでビアンカはライルの隣に座るという変な構図になった。


「うふふ、ああ……サディーク様の逞しいお身体。この1年余、本当に寂しさの余り気死してしまいそうでしたわ。でももうこれからはずっと一緒ですわ」


「お、おい、やめろ馬鹿。ビアンカが見てるだろうが」


 身体を摺り寄せてもたれかかってくるナーディラに、サディークは辟易したように上体を離そうとする。いつもビアンカに強引ともいえる姿勢で迫ってくる彼が逆に迫られて辟易している姿は、ある意味で新鮮ではあった。


「あら、構いませんわ。性悪の泥棒猫・・・・・・にもっと見せつけてやりましょう。私達の愛情の深さを」


 ナーディラはサディークに敬遠されているにも関わらず全く気にした様子もなく、言葉通りビアンカに見せつけるようにしなだれかかる。こうまであからさまな態度を取られるとビアンカもいい気分はしない。しかも完全に謂れのない言いがかりを付けられているのだ。


 ビアンカの目が若干吊り上がる。


「……ムスリムの女性ってもっと慎み深いものと思ってたわ。随分あげっぴろげに殿方・・に迫るのね? アメリカやヨーロッパの女性の事を言えないわね」


「あら? 一度心に決めた殿方に対しては、移り気で淡白なクリスチャン女達などよりも余程献身的で情熱的なのがムスリムの女ですわ。私達はあなた方のように、自由恋愛を口実に何人もの男をとっかえひっかえする淫乱・・とは違いますの」


「……っ!」


 ああ言えばこう言う。ビアンカの嫌味に全く動じる事無く、むしろ更なる挑発を返してくるナーディラにビアンカの目が若干剣呑に眇められる。



「いい加減にしろ、ナーディラ! ビアンカとはまだ・・そういう関係じゃねぇ。さっきも言っただろ。この国に巣食ってるカバールって奴等を駆逐するまで俺は国に戻る気はねぇ。あの悪魔共を見ただろ? あんな奴等を放って帰ったとあっちゃ聖戦士の名折れだ。そうだろ?」


 サディークが少し語気を強めて現状を説く。ナーディラは少しビクッとしながらも引き下がらずに、逆に眉を吊り上げる。


「それは勿論ですわ! でも悪魔などこの国だけの問題でしょう? サディーク様がわざわざ自ら出張る必要などないはずですわ!」


「馬鹿言え。俺はこの1年で多くの悪魔共やそれ以外の奴とも刃を交えた。向こうにいたんじゃ滅多に味わえねぇ刺激続きで、退屈する暇もねぇくらいだ。そういう意味でも俺は今この国から……ビアンカから離れる気はねぇよ。解ったら大人しく国に帰りな」


「……!」


 ビアンカの『天使の心臓』は悪魔を呼び寄せる性質がある。即ち彼女の側にいれば必然的に魔物と戦う機会が増えるという事だ。それはこのボストンに来て短い間だけでも既に証明されている。



「ほ、本当にそれだけなんですの……? サディーク様はこの女に、特別な感情・・・・・を抱いているのではないのですか?」


 ナーディラが疑念に満ちた表情で問いかけると、サディークは眉を顰めながらも誤魔化す事無く頷いた。


「ああ、それは否定しねぇ。自分の特性を知っていながら、逃げる事無くそれを逆手にとってカバールと戦う道を選ぶなんざ、こんな女には今まで会った事がなかったからな」


「……っ!」


 迷いのない断言にナーディラの顔が引きつる。基本的に無言を通しているライルはむしろ面白そうに眉を上げた。ナーディラはしばらくワナワナと身体を震わせていたが、やがて顔を上げるとキッとビアンカを睨み据える。


「み、認めませんわ。『天使の心臓』などと、そんな邪道・・。そんな呪い・・でサディーク様を誑かして、利用しているだけの性悪なのですわ! サディーク様、目を覚ましてくださいまし!」


「……っ! ちょっと、あなたね……!」


 謂れのない中傷に流石に我慢の限界を感じたビアンカが思わず立ち上がりかけるが、その前に強い霊圧がその場を覆い女性2人の動きを止めた。


「サ、サディーク様……?」


「……ナーディラ。言っていい事と悪い事があるくらいは解らねぇか? お前がビアンカの何を知ってる? 誰よりも『天使の心臓』で苦しんでいるのは他ならないビアンカ自身だ。そしてこいつは断じて男を誑かして利用するような、そんな事ができる器用な・・・女じゃねぇ。俺が勝手に押しかけてるんだよ。そこは履き違えるな。これ以上ビアンカを侮辱したら例えお前でも許さねぇぞ、ナーディラ」


「……っ!!」


 本気で怒りを滲ませるサディークの様子と圧力に、ナーディラは青ざめて言葉を失う。



「……ナーディラ様、今日の所は一旦ホテルに帰って頭を冷やしましょう。久しぶりにサディーク殿下と再会できた喜びで少し興奮してつい心にもない・・・・・事を言ってしまった。そうですよね?」


「……! そ、そうですわね。私としたことがつい浮かれていたようですわ。オホン! ……失礼いたしました、サディーク様。それに……ビアンカ様。今日の所はご挨拶だけで一旦引き上げますわ。それでは……ごきげんよう。行きますわよ、ライル」


 ナーディラは優雅に挨拶すると、席から立ち上がってライルを促した。ライルも苦笑して立ち上がる。


「じゃあ私もこれで失礼しますよ、殿下。それとファーストレディ・・・・・・・・も。お騒がせして申し訳ありませんでしたね」


 飄々とそれだけ告げると、ナーディラの後を追ってカフェから立ち去って行った。二人の後姿を見送って盛大に溜息をつくサディーク。



「はぁぁぁ……悪かったな、ビアンカ。まさかアイツが直接この国に来るなんざ予想もしてなかったぜ。昔から行動力だけはある奴だったが……」


「な、何だか強烈な人だったわね。許嫁って本当なの?」


 ビアンカがまず気になっていた事を聞くと、サディークは苦虫を噛み潰したような顔ながら否定はしなかった。


「まあ親同士が勝手に決めた縁談だがな。俺は曲がりなりにもサウジアラビアの王子、あいつはオマーンの王女。隣国の王族同士で血縁関係を結ぼうとするなんてのは、昔からヨーロッパなんかでもよくあっただろ?」


 確かにそう言われてみればそうかもしれない。現代は『王族』という存在自体が貴重になったので、そういう事例も珍しいのだろうが。


「でも……王女様という割にはあんまりお淑やかって感じじゃなかったわね。ムスリムの女性ってもっと大人しいイメージがあったし……」


「外国からはそう見えるみてぇだな。確かに表じゃそうだが、家の中じゃ案外……てケースも多いんだぜ? 尤もあの女はそれに輪をかけてるが」


 サディークは思い出したくもないという風にゲンナリした顔になる。


「オマーンのアドナーン国王が随分奔放に甘やかして育ててきたみたいでな。親同士が決めた結婚だってのに、何でか俺の事を運命の相手・・・・・とか思ってやがるみたいでよ。暑苦しいったらねぇぜ」


「運命の相手? 何か切っ掛けでもあったの?」


 確かにサディークは客観的に見て堂々たる美丈夫なのは間違いないし、その自信に満ち溢れた性格や言動に魅力を感じる女性も多いかもしれないが。


「何の事はねぇ。10年くらい前に邪霊に襲われてたあいつを助けたのさ。それからはずっと今みたいな感じだ。あいつ自身にも霊力の素養があったってんで、俺を追って『ペルシア聖戦士団』に入団しちまうくらいだ。勘弁しろよっての」


「ええ!? あの王女様も『ペルシア聖戦士団』!? それって凄い事なんじゃ……?」


「別にそうでもねぇよ。位階も60番台くらいだったしな。戦士としちゃそこまで酷くもねぇが、まあ中の下って所じゃねぇか?」


 第2位のサディークから見たらそうかもしれないが、憧れと追っかけだけで入ったという割には充分凄いのではとビアンカには思えた。 


「まあそんな奴で、自分が一度決めた事は絶対に曲げようとしねぇからなぁ。今日の所は引き下がったが、これで収まるとも思えねぇ。面倒な事にならなきゃいいが……」


 ただでさえジェロームの護衛とカバールの駆逐という重要な任務を請け負っている最中だ。ビアンカもサディークと同じように、この不確定要素・・・・・の存在が何か任務に悪影響を及ぼさない事を願うばかりであった……

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