Episode9:許嫁
「ち……何だってライルの奴がこの国に。まあいい、本人に聞きゃ解る事だ。てな訳で、てめぇはさっさとくたばりやがれ!」
サディークは自身の苛立ちを目の前の中級悪魔アラボラスに向ける。ライル・ハリードは『ペルシア聖戦士団』に位階第3位に位置するエリート戦士であり、第2位であるサディークと
基本的に上位の戦士の任地や任務を被らせる事は戦力の無駄使いでしかないからだ。また上位の戦士ほど連携能力よりも個の強さが重視されるので、彼らはまず派遣されるとしたら単独任務なのが普通だ。
にも関わらず第3位のライルが自分と同じ場所に赴いてきているのは相応の理由があるのは間違いない。それを聞き出すためには目の前の悪魔が邪魔になる。さっさと片付けたい所だ。
その邪魔者……アラボラスが肉塊から大量の触手を繰り出してきた。一本一本が業務用のロープのような太さで、尚且つそれが大量に、そして高速で鞭のように撓って四方八方から打ち付けられるのだ。常人は勿論の事、並みの戦士であっても対処しきれずに、触手鞭打の雨あられで一方的に撲殺されるしかないだろう。だがサディークは並みの戦士ではない。
「はっ!」
不敵な笑いと共に二振りの霊刀を左右に広げ、正面から触手の雨を迎え撃つ。そして目にも留まらぬ速さで曲刀を閃かせ、殺到する触手群をまるで食品を裁断する業務用の機械のように
だがアラボラスの触手は次から次へと肉塊から飛び出してきて終わりがないように見えた。このままでは埒が明かない。
「ち……面倒くせぇな。一気に片を付けるか!」
サディークは霊力を高めて、曲刀だけでなく自らの身体にも霊力の障壁を纏わせる。そして多少の被弾を覚悟で強引に前へと踏み込んでいく。
「ぬぅぅぅぅぅ!!」
斬り払えるものは払うが、対処しきれないものは被弾するに任せる。膨大な霊力で強化された今の彼の肉体は悪魔の攻撃にすら耐え切る。そして触手の弾幕を突っ切ってアラボラスに接近したサディークは、その赤黒い肉の塊に二本の霊刀を深々と突き立てた。
「くたばれ、グロブスター野郎が!」
本体に直接大量の霊力を流し込まれたアラボラスは、得意の再生能力も追いつかずに内部からその存在ごと完全に破壊されて、内側からの圧力で四散爆発した。醜い肉片がそこら中に飛び散るが、幸か不幸か悪魔なのですぐにその肉片や残骸も消滅していく。
『何ダ、貴様ハ!? 邪魔スルカ!』
カニと人間が融合したような中級悪魔ルルゲーデが、突如現れてビアンカ達を救った戦士……ライルに敵意を向けてその巨大な鋏が付いた腕で攻撃してくる。人間の胴体など簡単に両断できそうなサイズの凶器だ。だがライルは危なげなくその攻撃を躱す。かなりの身のこなしだ。
『貴様!!』
ルルゲーデが激昂して鋏を連続で振るってライルを挟み込もうとしてくるが、彼は流麗な体捌きで全ての攻撃をいなす。彼の体術はサディークに匹敵するレベルかも知れないとビアンカは思った。
「さて、今度はこちらの番ですね?」
ライルは曲刀を構えて攻勢に出る。彼の武器もサディークと同じく二振りの曲刀だ。基本的に『ペルシア聖戦士団』の戦士は全員が曲刀を扱う戦闘スタイルで、位階50位以上の戦士になると両手に曲刀を持った二刀流の
LAで見たセネムという女戦士も曲刀の二刀流であった。尤も彼女の位階は40番台だったらしいが。
「ふっ!」
ライルはその飄々とした見た目とは裏腹の鋭く力強い剣閃で、恐らくビアンカでは傷一つ付けられない強固な甲殻に覆われているはずのルルゲーデの腕を一撃で斬り飛ばした。
『ギゲッ!? 貴様ァァッ!!』
ルルゲーデは泡を吹いた。それは比喩的な意味ではない。本当に大量の泡を口から吐き出したのだ。そのシャボンの群れはライルを取り巻くように展開する。ビアンカはこれをボルチモアでも見た事があった。
「あ、危ない! それは
「……!」
ビアンカの警告にライルが跳び退るのと同時に、シャボンの群れが爆ぜて強酸をまき散らした。アスファルトの道路が煙を上げて溶ける。
「なるほど、これは厄介ですねぇ。じゃあ私も
ライルは二刀を交叉して、低く腰だめに構える。ビアンカはこの構えも見た事があった。これはサディークの……
『霊空連刃!』
ライルが二振りの曲刀を振り抜くと、そこから軌道に合わせて霊力を帯びた真空刃が射出される。それも一つではない。彼が高速で刀を振り回す度に真空刃が射出され、それは無数の連刃となる。
大量の真空刃は空中に漂う強酸のシャボンを一つ残らず斬り弾き消滅させる。そして勢いを減じる事無くルルゲーデの元まで殺到した。
『バ、馬鹿ナァッ!?』
ライルの攻撃力の前に強固な甲殻も意味を為さず、細切れに裁断されたルルゲーデが消滅していく。他に敵の増援が来る気配はない。この場は決着したようだ。
「ふぅ……どうやら終わったようだね。しかし、彼は一体何者かね? サディーク氏の知り合いのようだが」
敵の悪魔が皆消滅したのを見届けてジェロームがホッと胸を撫で下ろしている。そして安心すると当然の疑問が湧いてくるようだ。それはビアンカも同様であった。
「そのようですね。そういえばこの街に来る前にサディークが、彼の名前を挙げていた事を思い出しました」
ビジネスジェットの中でサディークと交わした会話を思い出した。彼があの時挙げていた
第2位のサディークに匹敵するような戦闘能力からして間違いないはずだ。
「第3位……。そんなエリート戦士がもう一人ここに? ダイアンがそれだけ私の安全を重視して……という訳じゃなさそうだね」
「え、ええ、多分。サディークの他に、かの組織の聖戦士と伝手があるという話はお母様から聞いていませんし」
そんな重要な情報があれば必ず事前のブリーフィングで、レイナーを通してでも通達されていただろう。
「とりあえず彼の話を聞いてみようか。いや、既にサディーク氏と話しているな。彼らの話を聞けば事情が分かるだろう」
「そうですね。もう敵もいないようですし」
うなずいたビアンカはサディーク達の話に耳を傾けてみる。
「さあ、敵は片付けたぜ? 約束通りなんでお前がこの国に来てるのか話せよ」
「そんな怖い顔しなくてもちゃんと話しますよ、殿下。まあ一言でいうと……あなたはこの国に長く居すぎたんですよ」
「ああ? どういう意味だ?」
サディークが訝しげに眉を顰める。ライルは肩をすくめた。
「そのままの意味ですよ。あなたが長く国に帰らない事で
「……! まさか……」
サディークが珍しくやや動揺したように顔を引きつらせる。ライルの笑みが深くなる。
「私がここにいる時点でそれがどなたかご想像が付きますよね? いけませんよ、殿下。仮にも
ライルはそう言ってビアンカの方に視線を向けてきた。だが話を聞いていたビアンカも同様に驚いていた。
(い、許嫁ですって? サディークの……?)
『許嫁』などという言葉や存在は、ビアンカ達のような民主主義国家に住む現代人からすると縁のない単語に思える。だが考えてみればサディークはサウジアラビアの第六王子という身分がある。彼は……
「ああ……サディーク様。やっとお会いできましたわ。あなたがこの国に発たれてから連絡を取る事も適わず……寂しさの余り
「……!」
突如聞こえてきた若い女性の声にビアンカは反射的に向き直る。そして目を瞠った。
どうやら戦いの間は離れていたらしい。ムスリムらしいシックな装いに、頭には髪を覆い隠すスカーフが巻かれた1人の女性がそこに立っていた。一見してアラブ系と分かる美しい女性であった。その目は陶酔したような感情に満ちて、サディークに熱い視線を送っている。
「ナ、ナーディラ……お前。よく
「お父様も私のサディーク様を愛する心に打たれたのですわ。ライルの同行を条件にアメリカ行きを認めて下さいました」
相変わらず陶酔したような女性……ナーディラの様子に、あのサディークが珍しく若干引き気味になっていた。
「俺は今この国で忙しいんだよ。さっき俺達が戦ってた化け物どもを見ただろ。もっと強ぇ奴等もウジャウジャしてる。奴等を駆逐するまで俺は戻る訳にはいかねぇんだよ。解ったらさっさと……」
「……それって『
「……!」
ナーディラの視線が急にこっちを向いたので驚くビアンカ。『天使の心臓』を知っているのもそうだが、その視線がどう見ても好意的な物ではなかった事も。そのナーディラがこちらにツカツカ歩いてきた。
「この国の現大統領と似た面差し……。あなたが『天使の心臓』ですわね? 初めまして、私はナーディラ・ビンティ・アドナーン・アル=サイード。オマーン王国の
「え……!?」
(オマーンって……中東の? そこの、王女ですって!?)
ビアンカはそれにも驚くが、考えてみればサディーク自身がサウジアラビアの第六王子なのだ。その『許嫁』がやんごとない身分なのはむしろ自然な事かも知れなかった。ナーディラはビアンカに指を突きつける。
「サディーク様を
「は、はぁ? 何ですって……?」
ナーディラの一方的な
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