Episode14:不徳の戦士

 時は少し前に遡る。スペクタクル島で敵の罠を退けたサディークは、その直後ジェロームから驚きの報せを受け取って、全速力で帰還した。彼によるとライルが突如裏切ってビアンカを攫ってしまったというのだ。ライルは事もあろうに悪魔の結社であるカバールと通じていたという。


 あり得ない話であった。ライルは『ペルシア聖戦士団』の一員であり、しかも位階第3位のエリートなのだ。それがよりにもよって不倶戴天の存在たる魔物と手を組むなどあり得ない、いや、あってはならない事だった。


 ジェロームの事務所の扉を荒々しく開けるサディーク。そこには驚いた顔のジェロームとシンシアがいるだけで、やはりビアンカとライルの姿はなかった。彼らが護衛対象であるジェロームを放って不在になる事などない。何らかの事情・・・・・・がない限りは。


(……クソッタレが!)


 サディークは内心で激しく毒づいた。心の何処かでこれが盛大なプランクかも知れないと淡い期待を抱いていたのだ。しかしその希望は無惨にも打ち砕かれた。



「おお、サディーク氏! まさかこんな事になるなんて……」


 ジェロームはシンシアに業務応対などを任せて駆け寄ってくる。


「悠長に話してる暇はねぇ! ビアンカがどこに連れ去られたか心当たりはあるか!?」


「いや、生憎と。とにかく逃げるのに必死だったからね……」


 ジェロームは無念そうにかぶりを振る。サディークは舌打ちした。ここに来るまでに携帯は当然確認したが、圏外で繋がらず位置情報も不明であった。彼は他のメンバー達と違ってビアンカの居所をピンポイントに探知できる能力や手段がない。それは唯一彼にとって痛い部分であった。


「ならライルの奴が裏切って、ビアンカを攫った現場・・どこだ?」


「あ、ああ。それならボストン・コモンだよ。ダウンタウンの西、ビーコンヒルにある大きな市立公園だ。タウンミーティングの帰り、ライル氏がそのボストン・コモンに妙な気配を感じると言ってね。で、そこに立ち寄ったらいきなり……」


 裏切ってビアンカを攫ったという訳だ。ビアンカは抵抗したそうだが、ライルが相手では最初から勝ち目はない。とりあえずそこから始めるしかないだろう。一分一秒も惜しい。


「俺は今からビアンカを捜しに行く。アンタは今日は家に帰って一歩も外に出るな」


 カバールの悪魔も今この時だけは捕らえたビアンカの方に完全に意識が集中していて、ジェロームにまで気を回す余裕はないだろう。敵の実行戦力も大分削った。


「あ、ああ、勿論だ。……色んな意味で君達が無事に戻ってくる事を願っているよ」


 ジェロームもその事は解っているのだろう。サディークを引き留める事もなく神妙な顔で頷いた。サディークは彼にボストン・コモンの場所だけを聞くと、猛然と事務所を飛び出していった。



*****



 ビーコンヒルの南東部分に広がるボストン・コモンは、アメリカ独立戦争時に英国軍が駐留したことでも知られる歴史ある公園だ。だがサディークにとってそんな事はどうでも良く、彼は目を血走らせて何か痕跡がないか探査する。だが当然というかそう都合良く何か痕跡が残っているはずもない……


(ん? こりゃあ……)


 サディークは目を眇める。公園の木の一本から微量だが霊力・・を感じたのだ。彼がその木に近寄って調べてみると、幹の目立たない所にとある紋様が彫られていた。その紋様から霊力が滲み出ているらしかった。


(これは……組織の。って事はライルの奴か?)


 その紋様は『ペルシア聖戦士団』が符丁に使うものの一つで、紋様を彫って微細な霊力を込める事で同志への合図や警告、簡易な指示などに利用する。紋様の種類や形によってそれぞれ異なる意味合いの暗号となっているのだ。そしてこの紋様は……


(……待ち合わせ・・・・・の符丁!)


 この紋様から霊力のライン・・・を引いて、特定の場所まで相手を誘導したい時に使われる符丁だ。事実今も集中してみると、微細な霊力の線がこの地点から西に向かって伸びていた。



「…………」


 他に手がかりもないので霊力の線を辿っていく。するとラインは公園から西に伸びて、最終的にビルに埋没したように建つキリスト教の教会で終わっていた。標識によると『トリニティ教会』というらしい。


 その教会はこんな街中に建っている割に不自然に静まり返っている。時刻は既に夜といっていい時間帯だが、それでも妙だ。


「……!」


 教会の敷地を潜ってみたサディークはすぐにその理由に気づいた。この敷地全体を覆う魔力……これは『結界』だ。悪魔達が用いる、人間を寄り付かせないフィールドを形成する能力。サディークは目を吊り上げて、真っ直ぐに教会の正門から中に飛び込んだ。



「やれやれ、相変わらず思い立ったら迷いの無いお人ですね。他宗教とはいえ宗教施設なんですから、もう少し節度を持った厳かな入場をお願いしますよ」



「……! てめぇ……ライル!」


 門から入ると、そこはすぐに荘厳な聖堂を兼ねた広いメインホールとなっていた。その奥の祭壇前に一人の人物が佇んでこちらを見ていた。キリスト教の壮麗な聖堂には甚だ似つかわしくないアラブ系の容姿、衣装(サディーク自身も人の事は全く言えないが)の男であった。


 ライル・ハリード。『ペルシア聖戦士団』位階第三位の超戦士だ。彼は両手を広げて歓迎するようなポーズを取った。


「ようこそ! ブラード氏・・・・・配下・・が『結界』を張ってくれていますので、ここには誰も寄り付きません。いやぁ、便利な能力ですねぇ」


「御託はいい。……何故だ・・・?」


 サディークは殺気さえ込めた目でライルを睨みつける。彼はその視線を受けて肩をすくめた。



「私の家は代々オマーン王家の家来でしてね。常に王家に顎で使われる奴隷に過ぎません。自由など無いんですよ。それは私が『ペルシア聖戦士団』で頭角を現し、位階第三位まで昇り詰めても何も変わりません。いえ、より便利な手駒・・・・・として余計に扱き使われるようになっただけでしたね」


 ライルは自嘲気味な笑みを浮かべる。


「だからこの機会を利用させてもらったんですよ。あなたがこの国から戻らなければあのお姫様は必ず辛抱が効かなくなると解っていましたからね。あなたでさえ戦死・・・するような強大な魔物が相手なら、私がお姫様を守りきれなかったとしても何も不自然ではありません。私の親兄弟に責任の累が及ぶ事はないでしょう。そして私もまた戦死・・して、晴れて自由の身になれるという訳です」


 ライルはそう嗤って二振りの曲刀を抜いた。そしてその身体から研ぎ澄まされた殺気を漲らせる。


 この遠い異国アメリカなら、自らの死を偽装してオマーン政府の目を欺き姿を消してしまう事も不可能ではない。だがアドナーンは普段は優秀な手駒であるライルを国外、それもこんな遠く離れたアメリカに出向かせる事を許可しなかっただろう。だから国王が可愛がっているナーディラ王女を利用して、その護衛という形でまんまと国外脱出を果たしたのだ。


「あとはあなたさえ戦死・・して頂ければ万事完了です。という訳で死んで下さい。私の自由の為にね!」


 身勝手な理由を振りかざしながらライルが踏み込んでくる。聖堂の床が抉れるほどの凄まじい踏み込み。常人には消えたとしか映らないであろう速さだ。しかし……



 ――ガキィッ!!!


 激しい金属音が鳴り響き、サディークがライルの斬撃を正面から受け止めていた。その手には同じく二振りの曲刀が握られている。そのまま鍔迫り合いに移る。


「俺にはてめぇの境遇についてあれこれ言う資格は無ぇし、そのつもりもねぇ。だがな……んな事はどうでもいい・・・・・・んだよ」


「……!!」


 刀を押し返す圧力が強まりライルの表情が変わる。


「万が一だが、俺がシカゴでやったようにカバールの目を欺く何らかの策略の可能性も無いとは言えなかったから念のため・・・・確認したが……もういい」


 サディークもまた獰猛な怒りに顔を歪める。



「てめぇは聖戦士の誓いを破り、ビアンカとナーディラを故意に命の危機に晒した。俺がてめぇを極刑・・に処す理由はそれだけで充分だ」



「っ!!」


 サディークの身体から強烈な霊圧が吹き出し、物理的な圧力さえ伴ってライルを弾き飛ばした。だがライルは空中で器用に一回転すると危なげなく着地した。


「ふ、はは……いいですねぇ、サディーク殿下! あなたとは一度本気で・・・殺し合ってみたかったんですよ! アドナーン陛下があなたのお父上であるムハンマド国王に遠慮して、私を第三位という位階に押し込めた事も大いに不満でしたからねぇ!」


「本気でやり合えば自分の方が強いってか? 組織は位階に関しちゃ外部に忖度なんざしてねぇよ。今からそれを証明してやるぜ」


 外部の権力が位階に影響するなら例えばナーディラの位階はもっと高かっただろうし、アフメットがサディークを差し置いて位階第一位になる事もなかっただろう。


「はは! それなら是非証明してもらいましょうか!」


 ライルもまた霊力を全開にして斬りかかってくる。それを迎え撃つ……いや、積極的に自分からも斬りかかっていくサディーク。


 荘厳なキリスト教の聖堂で、皮肉にもムスリムの超戦士同士の死闘が始まった! 

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