Episode6:お忍び王女

 ボストンの空の玄関口と言えるローガン国際空港。ニューヨークを越えた先にあるアメリカ北東部においては随一の都市であるボストンでは、日々多くの国際便が発着する。今日も今日とてローガン空港にそんな数多ある国際便の1つが到着した。


「ふぅ……ようやく着きましたわね。こんな何時間も飛行機に座りっぱなしになる経験など初めてでしたわ」


 飛行機から降りてターミナルで大きく伸びをして愚痴を漏らすのは、オマーンの王女・・たるナーディラ・ビンティ・アドナーン・アール=サイードだ。


 本国ではムスリム女性らしい黒いアバヤとヒジャブ姿だが、今回アメリカに出向くに当たって目立ち過ぎないようにとの配慮で、頭に薄紫のスカーフを巻いているだけで、服は体の線が出ないゆったりとしたデザインの私服姿であった。


「座りっぱなしとはいってもエコノミーではなくビジネスクラスの席なんですから、これで文句を言ってたら庶民の皆様に怒られますよ」


 そう言って苦笑したようにナーディラを嗜めるのは、オマーン国王アドナーンの命令でナーディラのお付き兼護衛として随伴しているライル・ハリード・アイハムであった。一見飄々とした雰囲気の青年だが、れっきとしたオマーン政府の役人であり、また『ペルシア聖戦士団』の位階第3位という超戦士でもあった。


 ライルのお小言にナーディラは眉を顰める。


「もう、一々うるさいですわね! そんな事よりサディーク様の居場所は解りましたの?」


「勘弁して下さいよ。今は任務・・でこの街にいるらしいという事までしか分かりませんって。それでさえアドナーン陛下のお立場でようやく知る事が出来たんですから。任務の詳細や詳しい所在地なんかはかなり上の方の機密らしく、流石に陛下でも聞き出せませんでしたからね」


 ライルは肩を竦める。アメリカは広大なのでどの街にいるかが解るだけでも大分違うのだが、田舎町ならともかくこのボストンは大都市なので、ここから1人の人間を見つけ出すというのは骨が折れる。


「任務……確か、この地に潜む悪魔達を討伐しているという物ですわよね? 一体何がそんなに機密だと言うんですの?」



 空港内のカフェに移動した2人は、サディークの現状についての話を続ける。


「殿下はどうもアメリカ政府の仕事を請けているようですね。それも……恐らくは大統領本人の」


「……! 大統領ですって!?」


 オマーンは専制君主制国家だが、それでも民主主義国家がどういう物か知識としては知っている。大統領はこの国の名実ともに国家元首であり、いくらサディークがサウジアラビアの王子とはいえ、外国人がその仕事を直接請けるなど通常は考えられない。


「いえ、むしろサディーク様のご身分が高ければ高い程、そのような極秘任務に関わらせるはずがありませんわ。一体どのような裏がありますの?」


 ナーディラとてその程度の事は分かる。サディークのような貴人に下手に機密に触れさせれば、サウジアラビアに弱みを握られるとも知れないのだ。


 彼女としてはサディークがアメリカに『武者修行』に出たと聞いても、退屈を持て余しての一時的なストレス発散程度にしか思っていなかったのだ。精々がアメリカ各地を旅して回って、もし魔物の類いがいれば斬り捨てて、そんな風に気ままにアメリカを一周したら気が済んで戻ってくるだろうくらいに考えていたのだ。


 ところが蓋を開けてみたらいつまでも戻ってこず、焦れてこちらから事情を聞いたらアメリカ政府の仕事を請け負っていると来た。もしかしてアメリカにとって何か都合の悪い事実を知ってしまって、実質的な軟禁状態になっているのではとも考えた。


 しかし反面あのサディークがそんな状況に大人しくしているとも思えないし、もし彼に何かすればサウジアラビアが黙っていないはずだ。そしてそんな様子はサウジアラビアにはなく、アドナーンもサディークが息災・・でいる事は保証してくれた。


 どう考えてもおかしい。サディークは束縛を嫌う磊落闊達な気質だ。ナーディラが知らないアメリカ政府との何らかの関係があったとしても、態々『政府の極秘任務』などという窮屈なものを自分から請け負うはずがない。


 何か彼と大統領を繋ぐ接点・・があるはずだ。そしてそれは彼をアメリカに繋ぎ止めている・・・・・・・物と同一である事も間違いない。その『接点』を突き止めなければならない。



 そして……彼女の懸念・・はある意味で現実のものとなった。ライルが顔を寄せて耳打ちするようなポーズを取る。2人はアラビア語で話していて、周囲に聞き取れる者もいないであろうに芝居がかった仕草だ。


「実は……サディーク殿下がアメリカから戻らない理由は、『天使の心臓・・・・・』を見つけたからだと専らの噂なのです」


「『天使の心臓』? 何ですの、それは?」


 少なくともナーディラには初めて聞く単語であった。


「数百年に1人と言われる極めて希少な心臓の持ち主で、何でも『天使の心臓』は無限の霊力・・・・・を貯蔵できる底なしの器なのだとか。『天使の心臓』を食した魔物は真に不滅の存在・・・・・になる事が出来ると言われ、それ故に悪魔や邪霊など魔の者共にとって抗いがたい究極のご馳走という訳です」


「それは……確かに由々しき存在ですわね。でもそれがサディーク様が戻ってこない理由とどう関係していますの?」


「お分かりになりませんか? 魔物どもは『天使の心臓』を狙って次々と現れる。つまり『天使の心臓』の側にいれば、態々自分から探し出さなくても魔物と戦える・・・という事です」


「……!」


 それで彼女にも分かった。元々新たな刺激を求めてアメリカに赴いたくらいだ。確かにあのサディークなら、そんな美味しい物・・・・・を手放すはずがない。だが……


「でもそれだけなら、その『天使の心臓』とやらを国元に持ち帰ってしまえば良いだけのはずでしょう。それが出来ないという事はその『天使の心臓』とやらはアメリカ政府、もしくは大統領に近しいものという事なのでしょうか」


 無論その『天使の心臓』の持ち主が生きた人間であるなら、その意思を無視して強引に連れ帰るのは難しいが、サディークなら大金と引き換えに契約・・を結ぶなど様々な手段が取れたはずだ。それが出来ずにサディークがアメリカ政府に協力しているという事は即ち『天使の心臓』はアメリカ政府、もしくは大統領の関係者・・・という線が強くなる。


 自身の考えに沈むナーディラは、その時ライルが若干ほくそ笑んだ事に気付かなかった。



「それなのですがね、ナーディラ様。大変言いにくいのですが……『天使の心臓』は若い女性・・・・である事が判っていまして……」



「……何ですって?」


 ナーディラの目が若干据わる。サディークは『天使の心臓』を狙って現れる魔物を討伐しているのだという。それは即ち彼が手ずから『天使の心臓』を守っている・・・・・という事だ。そして守ったり守られたりというのは特別な感情・・・・・が発生しやすい状況だ。その対象が若い女性というのはナーディラにとって余り宜しくない。


「それも恐らくは現アメリカ大統領ダイアン・ウォーカーの実の娘・・・……つまり『ファーストレディ』が当該人物であるようです。殿下がアメリカ政府に協力・・しているのは、間違いなくこの『ファーストレディ』の存在故でしょうね」


「……!!」


 ナーディラは目を見開いて固まった。大統領の娘。勿論民主主義国家では全く事情は異なる訳だが、それでも今は・・その女性がアメリカの王女・・のような物だ。


 別の国の『王女』がサディークをたぶらかして・・・・・・自分の側に置いている。『天使の心臓』という特性で魔物に狙われるので、優秀な戦士であるサディークを自分の護衛としていいように利用しているのだ。


 一気にそこまで想像が及んだナーディラは憤怒に双眸を燃え立たせた。


「……許せませんわ。そのような不埒な女にこれ以上サディーク様を利用される訳にはいきません。何としてもあの方を探し出して目を覚まして頂かなくては!」


 そう決意を新たにする。だが決意したはいいものの問題点は依然として同じだ。



「でも……この広い街から極秘任務に就いているというサディーク様をどうやって捜せば良いのか……」


 ボストンは都市圏全体を含めれば、オマーンの首都であるマスカットを遥かに凌ぐ人口だ。都市の規模自体も同様だ。こんな大都市の中から何の指標もなく1人の人間を見つけ出すなど、例えサディーク自身が目立つ人物であったとしても困難だ。


「まあそうなんですが……案外それほど難しくないかも知れませんよ? 我々・・ならね」


「え……?」


 ナーディラが見やるとライルは自信ありげに口の端を吊り上げた。


「『天使の心臓』絡みで極秘任務となれば、間違いなく魔物・・との戦いになるはずです。そして我々聖戦士は皆、程度の差こそあれ魔物の魔力を探知する力を持っています。それはあなたとて同じでしょう?」


「……!」


 確かにそうだ。というよりそれは『ペルシア聖戦士団』の一員として活動するに当たって必須条件でさえあった。


「ならば話は簡単です。探知のアンテナを広げて、この街で発生する魔物の気配を辿って行けば良いのです。そうすれば自ずと殿下の元に行き着く事でしょう」


 ライルが自信を持って請け負うとそんな気がしてくる。少なくとも何の指標もない中で探偵の真似事をするより余程確実な方法だ。


「そうですわね。他に良い方法もありませんし、それで行ってみましょう。……サディーク様、もう少しの辛抱です。すぐに私がその悪女・・からあなたを救い出してみせますわ」


 勝手に思い描いた想像で自分に酔ったナーディラは、独り善がりに宣言し決意を固めるのだった……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る