Location10 ボストン

Episode1:熱砂の情熱

 中東と呼ばれる地域の大部分を占めるアラビア半島の、更に右端に位置する専制君主制国家オマーン。そのオマーン第二の都市である南部の要衝サラ―ラ。インド洋に面しており海洋貿易の中継地点として、またアラビア半島の海の玄関口として港湾で栄えてきた街だ。


 だがこの街のもう一つの特徴として、南の隣国イエメンとの距離が近い国境都市という点があった。イエメンは現在国を割った内戦が泥沼化して、いくつもの暫定政府が乱立した混沌とした状況となっていた。


 その影響は否応なしに隣国にも波及してくる。内戦によって家や仕事を失い難民化した人々が、故郷から逃れようと隣国へと押し寄せるのだ。勿論サウジアラビアもオマーンも国境の警備を厳しくし、イエメンの難民が無秩序に入ってこないように取り締まってはいた。


 だが一口に国境といっても、広く長い。国境線の全てを24時間監視し続ける事など不可能で、一部の体力のある活発な難民・・・・・達はそうした監視の目をすり抜けて隣国へと不法入国を果たしてしまう。


 密入国した難民たちは国境近くの街に拠点・・を築き、当然真っ当な職には就けないので、自分達が生きていくために犯罪に手を染めるようになる。


 イエメンとの国境に近いこのサラ―ラにもそうした不法難民達の拠点がいくつもあり、そのうちの1つ、郊外の打ち棄てられた太陽光発電所の管理事務所跡。ギャングと化した武装難民たちが仕事・・の成果を持ち寄り、新たなターゲットを決める。そんな場所のはずであったが、この夜はそれとは全く異なる異様な光景が展開していた。



 その廃墟の中に、荒廃した周囲の風景とは全く似つかわしくない、1人の優美な女性・・が佇んでいた。一見してアラブ系と解る堀の深い美しい顔立ちのその女性は、しかしムスリムの女性としては考えられないような露出度の高い鎧のような衣装を身に纏っていた。


 しかし考えられないが、客観的に見ればそれは全身を覆い隠してしまうブルカやニカブより余程その女性の魅力を最大限に引き立てる衣装ではあった。


 そして……この場にいるのはその女性だけではなかった。


『ギヒャァァァッ!!!』


 大量の涎を垂らし奇声を上げながら彼女・・に飛び掛かってくるのは……人間ではなく、異常に長い節くれだった四肢の先に鋭い鉤爪を備えた霊鬼ジャーンと呼称される怪物だった。


 彼女は振り回される鉤爪を最小限の動きで回避する。そして霊力・・を帯びた刀剣を一閃する。彼女の持つ刀剣はシャムシールと呼ばれる、独特の形状をした細身の曲刀であった。


 流麗で、それでいて力強い剣捌きで、彼女は襲い掛かってきたジャーンを斬り裂く。ジャーンは醜い悲鳴を上げながら消滅していく。


「これで8体! 残りは――」


 彼女がそう言って視線を巡らそうとした時、丁度残りのジャーンが3体・・同時に飛び掛かってきた。


「……っ!」


 彼女は顔を引き攣らせてそれでも何とか1体は斬り払うが、残りの2体にまでは対処しきれない。霊鬼の鉤爪が彼女の露出した柔肌を斬り裂こうとして……


 ――瞬時にして2体同時に斬断されて地面に転がった。目の前でそれを見た彼女にも全く見切れないほどの鋭い斬撃・・であった。



「……ふぅ。危なかったですね、ナーディラ様。いけませんよ、最後まで気を抜いては」



 建物の入り口にいつの間にか1人の男が佇んでいた。ゆったり目のアラビア衣装に身を包んだ、精悍だがどこか飄々とした雰囲気の青年であった。


「……っ。ライル……こいつらの主の霊魔シャイターンは?」


 青年……ライルに助けられたその女性……ナーディラは、若干バツが悪そうな表情になって確認する。ライルは肩を竦めた。


「勿論討伐しましたよ。あの程度の悪霊ジン、本来なら20番代・・・・くらいの戦士で充分な任務ですからね。まあとりあえずこれで、不法難民共を霊鬼に変えていた悪霊は退治できました」


 事も無げに彼がそういうのも頷ける。ライルは『ペルシア聖戦士団』の位階第3位・・・・・の地位にいる、団内でも最上位の戦士の1人なのだ。そんな彼が位階20番代でも充分な任務に出張っているのは訳があった。


霊鬼ジャーン程度なら倒せる腕がある事は解りましたから……自分の位階以上の任務を強引に請けるなどという事はこれっきりにして下さいよ、ナーディラ様? あなたはれっきとしたオマーンの王女・・の1人なのですから。そもそも組織への所属が認められてるのも……」


「ええ、ええ! 何度も言われなくとも分かっていますわ! あのお方・・・・に少しでも近づけられるように、でしょう!? でもあのお方は従順なだけ、媚びを売るだけの惰弱な女など好まれません。これはあのお方の側に在る為に必要な花嫁修業・・・・の一環ですわ」


 ナーディラの言葉にライルは苦笑して再び肩を竦める。



「随分血生臭い『花嫁修業』もあったものですねぇ。まあ仰る事には同意致しますが。しかし……肝心のあのお方はアメリカ・・・・に行ったきり中々お戻りにはなりませんね?」



「……!!」


 ナーディラが思わず肩を震わせる。ライルはそれに気付いて内心でほくそ笑む。


「何といってもあらゆる刺激に満ちた国ですからねぇ。何か余程あのお方の心を捉えて離さない物でもあったのか。例えば……従順に媚びを売るだけではない女性・・とか?」


「っ!!」


 ナーディラの震えが大きくなる。それと同時に彼女の目が不穏な感情に吊り上がる。彼女はライルにさりげなく思考誘導・・・・されている事に気付いていなかった。


「ここでの任務はもう終わりですわね? ……お父様・・・の所へ伺います。わたくし、もう待つのには飽き飽きしましたわ」


「流石、ナーディラ様。どうぞお気の済むように。組織への報告は私がやっておきますので」


 ナーディラを焚き付けたライルは何食わぬ顔でにこやかに促した。

  



******




「お父様! 私、もう限界ですわ! アメリカにいるサディーク様・・・・・・の元に向かう御許可を下さいませ!」 


 オマーンの首都マスカット。その沿岸部にある国王が住まう王宮アラム宮殿。贅を凝らした王の私室では現在、その部屋の主・・・・がタジタジとなるような剣幕でナーディラが詰め寄っていた。勿論現在は露出の多い鎧姿ではなく、ムスリム女性らしいアバヤと黒いヒジャブ姿であったが。


 しかし彼女の態度は、男性を立てて従順である事が美徳とされるムスリム女性の中ではかなり奔放で珍しいものである事は確かだった。親同士で取り決めた婚約者・・・の好みに合うようにと、敢えてそのように自由奔放に育ててきたので、それは国王の自業自得でもあった。


「ま、待て待て、落ち着け、ナーディラ! 確かにサディーク殿の現状・・は把握しておる。だが彼は今現在アメリカで強大な魔と戦う任務の最中なのだ。お前などが行った所で邪魔にしかならん。大人しくここで……」


 オマーン国王アドナーンはそう言って娘を宥めようとするが、ナーディラは納得せずに激しくかぶりを振った。


「私だって戦えます! 組織の任務を達成できたら一人前の戦士と認めると仰ったじゃありませんか! 一人前の戦士ならサディーク様の足手まといにはならないはずですわよね!?」


「そ、それは……」


 アドナーンが渋い顔になる。ナーディラには霊力の素養があったので、サディークの許嫁として教養・・の一環として『ペルシア聖戦士団』に権力を用いて入団させた。しかし組織内の位階にまでは横車を押していない。


 ナーディラの位階は67位であり、自分の位階以上の任務はこなせないと思っていたので、彼女を留め置く口実として利用していたのだ。それが裏目に出てしまった。



「はぁぁ……何を言っても決心は変わらんようだな」


 アドナーンは大仰に溜息を吐いた。こうなった娘が梃子でも自分の意思を曲げようとしない事は誰よりもよく分かっていた。それにアドナーンとしても正直、娘を嫁がせてサウジ王家と姻戚関係を結ぼうとしている所に、肝心の相手であるサディークがアメリカから帰ってこずに、向こうで出会った女性と懇ろ・・になってしまう可能性を危惧してはいた。実際にそれを懸念させるような情報も彼の元には届いていた。


 このままでは娘を通じてサウジアラビアにも影響力を持つという彼の計画に差し障りが出るかもしれない。となればナーディラをアメリカに派遣・・する事は、その事態を防ぐという意味でも都合が良いかもしれないと思い直したのだ。


「……! じゃあ……」


「ただし! アメリカにも強大な魔物どもが跋扈している事は確かだ。それ以外にも様々な犯罪に満ち溢れた国だ。そんな場所にお前を1人で行かせる訳にはいかん。ライルを護衛として連れていけ。それが条件だ。それを呑めるならお前のアメリカ行きを認めよう。サディーク殿を上手く繋ぎ止めてくるのだ」


 目を輝かせる娘に条件を付ける。ライルは『ペルシア聖戦士団』の位階第3位の超戦士だが、表の職業は親子代々オマーン政府で働く役人であった。アドナーンが意のままに動かせる非常に優秀な手駒だ。


「私1人でも大丈夫なのですけど……でもそれでアメリカ行きの許可を出して頂けるなら安い物ですわ。お任せください、お父様。必ずやサディーク様を取り戻して・・・・・きますわ!」


 父の思惑を知らぬナーディラは無邪気に目を輝かせたまま胸を張って請け負う。こうして遠くアメリカに住むビアンカの元に、新たな火種・・が自分から舞い込んでいくのであった……

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