Episode2:中間選挙

 アメリカ合衆国ワシントンDC。その中心にある大統領官邸、通称ホワイトハウスの地下に広がる要人用核シェルター。関係者の間では『リバーシブルハウス』と呼称されるこの地下シェルターが、ここ一年以上の間ビアンカの住まいとなっていた。


 ここは彼女の住居であると同時に、任務・・のブリーフィングを行う為の職場でもあった。大統領府の極秘エージェントとして全米でカバールの仕業と思われる事件を調査し、場合によっては彼女の持つ『天使の心臓』によって悪魔を炙り出して殲滅する。それがビアンカの専らの仕事内容であった。


 今日も今日とてビアンカは、ブリーフィングルームで大統領補佐官のビル・レイナーから新たな任務の通達を受けていた。



「一応確認するが中間選挙・・・・の事は知っているな?」


 殆ど前置き無しでそんな質問をしてくるレイナー。問われたビアンカは辛うじて頷いた。一応選挙権のあるアメリカ国民としては知っている、というか知っていなければならない物だ。


「え、ええ。4年に一度の大統領選挙の、丁度中間時点で行われる国政選挙……ですよね?」


 間違ってはいないはずだ。レイナーは渋い顔をして頷いた。


「まあ、間違ってはいないが言葉が足らんな。正確には『2年に一度・・・・・行われる国会議員選挙で、大統領選挙の中間時点に行われる選挙』が中間選挙と呼ばれる」


 大統領選挙の時にも上下院選挙が同時に行われているが、こちらは大統領選に隠れて余り目立たない。だが大統領選の2年後に行われるこの中間選挙は国民の関心も高い選挙だ。


 上院は2年毎の選挙で3分の1の議席が改選となるが、下院は2年毎に全議席が改選される。アメリカは民主主義国家なので議会の権限は大きく、この上下院で過半数を取る事は国民党、自由党ともに自党が国政においてイニシアチブを取る事と同義である。


 勿論大統領が最高権力者なのだが、大統領も議会を無視して勝手に政策を決める事は出来ない。必ず議会の承認が必要になるのだ。また政策に必要な予算なども下院の承認が必要だ。


「現在大統領は国民党の代表たるウォーカー大統領であるが、議会は両院とも自由党が過半数を占めている状態だ。そのため大統領も自身の政策を国政に活かす事が難しい状況だ。だが……今回の中間選挙の結果・・如何では、その『捻じれレームダック』状態を解消できるかもしれん。これが如何に重要な事かは分かるな?」


 議会を国民党の手に取り戻す事が出来れば、ダイアンは内政外交において格段に政策を進めやすくなる。その意味では確かに今回の中間選挙が極めて重要というのが分かる。



「そこで今回の本題・・だ。全国各地で行われる中間選挙だが……当然ながら過半数を死守したいのは自由党、ひいてはカバール・・・・にとっても同様だという事は想像がつくな?」



「……!」


 これだけでビアンカにも今回の任務の内容が何となく予想できた。それを裏付けるようにレイナーが首肯した。


「そう……中間選挙で確実に妨害行動・・・・を行ってくるであろうカバールや一部外国勢力から国民党の候補者達を守る事が今回の任務だ」


 やはりそういう事になってくるか。しかしそうなると疑問も出る。


「でも……中間選挙は全国で行われるんですよね? 流石に選挙期間中だけで全国は飛び回れませんよ?」


 ビアンカの身体は1つしかないのだ。だがレイナーは再び分かっているという風に頷いた。


「勿論だ。それにカバールとて全国の選挙全てに介入することなど出来ん。必ず落としたくない重要な選挙区に的を絞って・・・・・妨害してくるはずだ。それら危険な選挙区のピックアップは既に済んでいる。これはつまり国民党としては自由党に逆転するために必要不可欠な選挙区という事でもある。この内の1つにお前を派遣する」


「1つ? でもそれだと他の所は……」


「勿論お前を派遣する場所以外に他にもカバールの介入が予測される危険な選挙区はある。そしてお前の護衛メンバー達は誰もが対カバールにおいて貴重な戦力だ。なので今回彼らには全員バラけて・・・・・・別々の選挙区へ赴いてもらう事になる。お前はその内の1人・・・・・・と共に尤も重要度の高い選挙区へ向かってもらいたい」


「……!」


 1人、と言われてビアンカが思い浮かべたのは、やはりユリシーズの顔だ。だが彼は今現在ここには不在であった。


「既に大統領は各地の応援のために全国を回っている。その間アシュクロフトは大統領の護衛に付きっきりとなる。これも極めて重要な役目なので外す事は出来ん」


 この所ダイアンもユリシーズも不在なのは中間選挙の応援演説のためであるようだった。ユリシーズは本来がSPなのでむしろそちらが本職ではあるのだが。



「他のメンバーに関しても各々向かってもらいたい先は既に決まっている。そして肝心のお前は……今回はマサチューセッツ州のボストンに赴いてもらいたい」


「ボストン、ですか?」


 アメリカ北西部にあるマサチューセッツ州の州都を兼ねる大都市だ。アメリカの中では最も古い歴史を持つ街の1つであり、地理的に英国とも関わりが深く、またMITに代表されるように世界有数の教育機関が籍を置く大学都市としても有名だ。


「そうだ。知っているかは解らんが、アメリカ北西部の州はこれまで軒並み自由党の牙城だった。ニューヨークやお前の住んでいたペンシルベニアなども含めてな。北西部の州は面積こそ小さいが人口の密集した大都市が集中しており、特に州人口によって議席が配分される下院に関してはこれらの州を押さえられているだけで自由党の優位は揺るがなかった。……今まではな」


 今まではという事は、その状況に変化が生じつつあるという事か。

 


「ジェローム・アイゼンハワー。彼の名前を聞いた事は?」



「アイゼンハワー? ……! 前回の大統領選の時のお母様の顧問弁護士だった、あのアイゼンハワー氏の事ですか?」


 前回の大統領選でダイアンを勝利に導いた立役者の1人として有名な人物だ。選挙でダイアンが優位になってくると、自由党陣営は国民党側に不正があったと各地で訴えを起こしたのだ(今にして思えば連中の厚顔ぶりは噴飯ものだが)。


 それらの訴訟を悉く潰して回ったダイアンの顧問弁護団の代表がアイゼンハワーであった。その内の一件の訴訟は何と最高裁にまでもつれ込んだのだが、そこでもアイゼンハワーは大活躍を見せ、見事ダイアンと国民党の無実を最高裁で証明したのだった。


 この一連の裁判はマスメディアによって連日センセーショナルに報道され、国民の関心を一手に吸い寄せた。またアイゼンハワー自身も敏腕弁護士だけあって巧みな話術で、メディアを通して国民に対して熱い演説を繰り返しダイアンの無実と自由党の卑劣さを訴え続けた。


 そして結果は最高裁での劇的勝訴。それを受けて見事当選を果たした初の女性大統領。下手なエンターテイメントなど比較にならないような現実に全国が大いに沸き立ち、アイゼンハワーは一躍時の人になったのであった。


 当時は勿論自分がダイアンの実子などとは知らず、フィラデルフィアで好きな空手に打ち込んで特に政治に関心もなかった一学生に過ぎない自分でさえ、彼の顔と名前を知っていたくらいだ。ある意味でハリウッドスター並みの知名度と言えるかも知れない。



「そう、そのアイゼンハワー弁護士だ。彼が今回ウォーカー大統領のたっての願いで、マサチューセッツ州の下院議員として立候補する事となった」


「……!!」


 それが本当ならその訴求効果は抜群だ。彼自身も演説が巧みなので選挙活動も全く問題ないだろう。


「マサチューセッツ州は自由党の牙城で突き崩す事は不可能と思われてきた。だが彼の存在はその盤石の牙城を突き崩す『蟻の一穴』となり得る。彼のホームグラウンドが元々ボストンだったというのも大きい」


 アメリカは移民国家で国としての歴史が浅くアイデンティティが弱い。また連邦国家で州ごとに独立性の機運も高い。なのでアメリカ人は殊更にホームグラウンドという概念を重視する傾向にある。


 同じホームグラウンドの者は『身内』であり、『余所者』とは明確に区別される傾向が他の国より強いのだ。


「でも……下院なんですか? 上院議員ではなくて?」


 確かに下院そのものの役割は大きいが、下院議員は上院議員に比べて人数も多くまた2年で改選となるので、一度当選すれば6年間は安泰な上院議員に比べてせわしなく、余り盤石な権力を持っているとも言い難い存在だ。


 アイゼンハワーほどの知名度と能力があれば上院議員も充分狙えるはずだ。だがレイナーはかぶりを振った。


「あいにくマサチューセッツ州は今回の上院改選議席には含まれていないのでな。そしてそれだけではなく、大統領は今回特に下院の過半数奪還を絶対目標としている。そしてその暁にはアイゼンハワー氏を下院議長・・・・に推薦する事になっている。彼もその条件で今回の出馬を承諾したのだ」


「下院議長……!」


 与党側の下院議員たちの投票によって選出される、連邦下院の代表とでもいうべき役職だ。国家元首の大統領、そして上院議長を兼ねる副大統領に次ぐ、アメリカ議会のナンバー3に位置している。また大統領、副大統領共に何らかの理由で不在もしくは職務遂行不可能な状態の場合、国家元首としての役割を代行する権限もある。 


 確かに下院議長という事であれば、下手な上院議員よりも権限は上と言えるだろう。アイゼンハワーを国民党議員として出馬させる対価としては釣り合っているかも知れない。他の国民党議員達も自分達が与党になった暁には、その功労者であるアイゼンハワーを議長に選出するのに抵抗は無いだろう。


「では私の役割は……」



「以上のような現状から、カバールがアイゼンハワー氏の排除・・を狙ってくる可能性は極めて高い。お前の役割はアイゼンハワー氏の護衛と、彼を狙っているであろうカバールを釣り出して・・・・・逆に排除する事だ」



「……!」


 形式としては以前のニューヨークでの任務に近い。尤もあの時は護衛メンバーも5人勢揃いしていた大掛かりな任務であったが、今回同行メンバーは1人だという。ニューヨークの時と違って今回は全国で一斉に選挙が行われる。他にも彼等が同時に出向かなければならない危険・・な場所がいくつもあるらしいので、仕方ない事ではあったが。


 そして肝心の同行メンバーだが……



「オホン! ……連絡してあるのでそろそろ来る頃だが」


「え……?」


 ビアンカが訝し気な目をレイナーに向けた丁度その時、ブリーフィングルームの扉が勢いよく開かれた。


「よう、ビアンカ! 説明は全部聞いたか? 今回は俺がお前を独占・・させてもらうぜ。以前の任務じゃ貧乏くじを引かされたんだから当然の権利だよな?」


「……! サ、サディーク!」


 開け放った扉で仁王立ちして笑うのは、サウジアラビアの第六王子にして腕利きの聖戦士でもある男……サディーク・ビン・アブドゥルジャリール・アール=サウードであった!


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