Episode11:裏方の仕事

 アメリカ領ヴァージン諸島の『首都』、シャーロットアマリエ。漁業と観光業で栄えるこの街の大通りを足早に進む1人の男。黒い短髪に金色の瞳をサングラスで隠したユリシーズであった。服は例の常夏仕様・・・・のままだ。


 彼は街を東に抜けて、そのままロング湾の埠頭に出る。『カリビアン・バケーション』の船にビアンカとイリヤを乗せた場所だ。


(……あいつらは上手くやってるかな? 予定通り・・・・なら、ぼちぼち行動を開始・・・・・する頃合いだな)


 エルスタインが『黒』だった場合、『天使の心臓』を持つビアンカの事はすぐに知られる。そうなったら後は矢継ぎ早に事態は進むはずだ。その際のビアンカの警護はイリヤに任せる他ない。


 ではその間ユリシーズが何もしないでいるかといえば、勿論そんな事は無い。彼は今現在そのためにこの場所に再訪しているのであった。



 彼が物陰に隠れて見張る先、埠頭の1つに例の『カリビアン・バケーション』の船が停泊しており、あの二人……ツアーガイドのアーチャーと操舵手のマルチネスがいた。彼等は誰かと話している最中であった。


 それは若いカップルのようであった。といっても若いのは女の方だけで、男の方は多少歳がいっているようだったが。魔人の聴力で盗み聞きした所、これから『カリブ海ツアー』に出かける所だが男の方は急な体調不良・・・・・でホテルに戻る事になり、相方を1人でツアーに行かせようとしている所であった。つまる所、新たな売買現場・・・・という訳だ。


 女性の方は急な予定変更で少し渋っているようだったが、アーチャーの言葉巧みな話術でその気にさせられ、結局1人貸し切りツアーを楽しむ事を了承していた。このままだと彼女はエルスタイン島行きだ。だがそれも今日で終わりである。


『ענן שינה』


 眠りの雲を発生させる魔術を発動する。それはカップルを包み込み瞬く間に深い眠りに落とす。


「……!? 誰だ……!!」


 突如倒れて眠り込んだ2人を見たアーチャーが周囲に警戒の視線を投げる。マルチネスも咄嗟に懐にしまっていたらしい拳銃を抜いている。ユリシーズはこの周辺を覆う『結界』を発動しつつ彼等の前に姿を現した。



「よう! 事故・・があったばっかだってのに、随分と仕事熱心なツアー会社だな! そんなに予約・・が立て込んでるのか?」


「……! お前は……」


 アーチャーが目を瞠る。彼等とは直近で面識があるので当然だ。それも彼は本来であれば・・・・・・二度と会う事が無いのが不文律であったはずだ。


「……何か御用でしょうか? 慰謝料・・・の振り込みにはもう少し時間が掛かると予めお伝えしてあるはずですが?」


お互い・・・猿芝居はここまでにしようぜ。俺は大統領府のエージェントだ。ボス・・はお前らをこれ以上野放しにする気はないんだとよ」


「……っ! だ、大統領府!? という事は先日の2人も……!?」


「そういうこった。今頃あっち・・・は大騒ぎだろうな。勿論多くの人間を誘拐してきた下手人のお前らも見逃す気はない。今まで好き放題してきたツケは払ってもらうぜ? ああ、因みに『店舗』の方は既に掃除済み・・・・だ。後はお前らだけだ」



「貴様……! 撃て! 殺せぇぇ!」


 アーチャーがユリシーズを指差して叫ぶ。後ろにいたマルチネスが躊躇う事無くユリシーズに向けて連続で発砲する。だが……


「はっ! てめぇら・・・・の前に姿を現す奴が、こんなモンで殺れると思ったか?」


 ユリシーズは撃ち込まれた銃弾を全て掴み取ってみせた。それを見たマルチネスは銃を捨てると擬態・・を解いた。飛蝗と人間が合わさったような下級悪魔ウェパールだ。下級悪魔は人間への擬態能力が低いので、殆ど喋らなかったのはそれが理由だろう。


 アーチャーもまた悪魔の姿へと変じる。こちらはイカのような姿の中級悪魔スキアタンだ。こいつはエルスタインの眷属だろう。



『ケェェェェッ!!!』


 スキアタンが奇声と共に、その触手と化した両腕を振るってきた。どんな達人が振るう鞭よりも速いそれは、最早音速の域と言っても過言ではない。しかもそれが二本同時だ。人間なら何が起きたかも分からない内に身体を切断されて即死しているだろう。だがユリシーズはただの人間ではない。

  

 黒炎の剣ヴェルブレイドを発動させると、振るわれる触手の鞭を正確に迎撃した。切断された触手が地に落ちて跳ね回る。


『ギェェッ!?』


 スキアタンが大きく怯む。その隙に追撃しようとするユリシーズだが、そこにウェパールが迂回しながら突撃してきた。ユリシーズはターゲットを切り替えてヴェルブレイドを薙ぎ払うが、何とウェパールは身を屈めてそれを躱した。そのまま足払いを仕掛けてくる。


「……! こいつ……!」


 ユリシーズは舌打ちして跳び退る。ウェパールは下級悪魔の中では強力な部類で、特殊能力を持たない代わりに格闘戦能力に優れている。


『カァァァッ!』


 そこにスキアタンも口から黒っぽい液体を噴射してくる。奴は様々な効能の毒液を吐き付ける能力を持っている。これは恐らく致死毒の類いだろう。


 ユリシーズは咄嗟に障壁を展開して毒液を防いだ。そこにウェパールが追撃してくる。強靭な瞬発力で打撃を連打してくる悪魔に対処しながらユリシーズは魔力を練り上げる。


「図に乗るな!」


 そして震脚のように振り上げた足を地面に打ち下ろした。するとそこから魔力の波動が衝撃波となって周囲に拡散した。近距離にいたウェパールが衝撃波を受けて体勢を崩す。


「ふん!」


 そこにヴェルブレイドを一閃。ウェパールの胴体が上下に分断されて地面に転がる。



『オノレェェェッ!!』


「……!」


 ウェパールを倒した瞬間を狙われてスキアタンの触手が叩きつけられる。いつの間にか再生していたらしい。躱しきれずに被弾したユリシーズは数メートル吹き飛ぶが、空中で一回転して地面に着地した。


『死ネェェッ!!』


 そこにスキアタンが追撃で二本の触手を同時に叩きつけてくる。しかしユリシーズは慌てる事無く冷静にその『鞭』を正確に掴み取った!


『何……!?』


「へ……ようやく捕まえたぜ、燻製野郎」


 中級悪魔と触手を挟んで引き合いになるが、ユリシーズもまた魔人の膂力を持っているので引き合いは拮抗する。だが互いにいつまでも綱引きを続ける気はない。


『化ケ物メッ!!』


 スキアタンが口から再び毒液を吐き付けてきた。だがユリシーズも同時に練り上げていた魔術を発動させた。


「お前らにだけは言われたくないな! 『התחשמלות!』」


 高くジャンプして毒液を躱しつつ、触手を掴んでいる彼の手から発せられた強烈な電撃・・が触手を伝ってスキアタンを直撃した!


『ギョエェェェェェェェェェッ!!!!』


 聞くに堪えないような絶叫を上げながら消し炭となった悪魔が消滅していく。エルスタインの手先として今までに幾多の少年少女たちを誘拐してきた下手人に相応しい末路であった。




「ふぅ……手こずらせやがって。だがこれでこっちの任務は終わりだな」


 ユリシーズは周囲を覆っていた『結界』を解いた。あとはビアンカとイリヤが上手くやってくれる事を願うだけだが……



「……その『結界』って本当に不思議で便利な力よね? 望遠鏡で見張っていたはずなのに、まさかあなたの姿どころか存在まで急に認識できなくなるとは思わなかったわ」



「……!! マチルダ・・・・!?」


 唐突に聞こえてきた女の声にユリシーズは振り返った。そこには予想通り彼がよく知る女……CIAのマチルダ・フロックハートの姿があった。当然あの猫獣人ではなく、人間の姿に戻っていたが。


 そして彼女もいつものスーツ姿ではなくラフなTシャツにミニスカート、頭にかけたサングラスという常夏仕様・・・・で、こんな場合ながら一瞬ユリシーズは目を奪われた。そしてすぐにそれを誤魔化すように殊更顰め面になる。


「お前……CIAが何故ここに?」


「エルスタインの存在は国防上・・・由々しき問題になりつつあるという意味で、CIAも大統領府と同じ見解なのよ。彼はあまりにも多くの秘密やスキャンダルを知り過ぎている。世界中の要人だけでなく、この国の要人たち・・・・・・・・のスキャンダルも、ね」


「……!」


 彼が一瞬だが見惚れた事に気付いたらしく、妙に上機嫌なマチルダの意味深な台詞。『この国の要人達』の中には恐らくカバールの構成員も含まれているのかも知れない。或いはCIAやFBIの高官すらも。


「でもあなた達が代わりに彼を始末してくれるなら私達の手間が省けそうで助かるわ」


「ふん……どこまで本当だかな」


 ユリシーズは鼻を鳴らした。言っている事は確かに尤もだが、彼女の言葉をそのまま信用すると痛い目を見る事になるのは学習済みだ。マチルダは苦笑した。



「まあそう思われても仕方ないわね。ならもう少し客観的な事実を教えてあげましょうか? エルスタインはロシア政府・・・・・とも取引があったの。何といっても綺麗な白人の子供を金で手に入れやすい国だしね」


「……!」


 ロシア政府という言葉にユリシーズの眉が上がる。偶然だろうか。今ビアンカと共に島に潜入しているイリヤは……


「エルスタインは当然ロシアの超能力者の事は知っているし、ESP能力の有無を探知できる機械もロシアから購入しているらしいわ。そして……あの『制御装置』もね」


「何……!?」


 ユリシーズは目を見開いた。ビアンカが『エンジェルハート』だというのは島に運ばれたらすぐに露見するはずだ。もしその時イリヤが『制御装置』を嵌められて力が使えない状態だったら……?


「他に選択肢がなかったとはいえ、『ナンバー・ゼロ』を一緒に潜入させたのはちょっと悪手だったかも知れないわね?」


「くそ……!」


 毒づいたユリシーズは即座に駆け出した。揶揄するようなマチルダの台詞だが、今は構っている時間も惜しい。幸いというか先程倒した連中の船はそのままだ。これなら拝借しても問題ないはずだ。


 彼は『カリビアン・バケーション』の船に飛び乗ると、差したままだったキーを回してエンジンを始動させ、脇目も降らずにリトル・セントジェームス島……即ち『エルスタイン島』へと出航していった。




「……お礼くらい言っても良かったと思うけど? でも……相変わらず『エンジェルハート』にお熱・・なのね……」


 遠ざかっていくボートを見送りながらマチルダは、様々な感情が綯い交ぜになった表情で呟くのだった…… 

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