Episode10:因果と業

 彼は夢を見ていた。それはまだ彼が今のように・・・・・なる前の、そして今のようになる切っ掛けとなった出来事の追憶。何よりも記憶に残っているのは、彼を恐怖と嫌悪の眼差しで拒絶した1人の少女の姿。


 彼女が拒絶しなければ……理解を示してくれていれば、あるいは彼の人生は全く違うものになっていたかも知れない。だが現実はもう変えられない。全ては過ぎ去った出来事だ。



「……!」


 そして彼は目覚めた。そこはどこか薄暗い部屋の中であった。周囲には他にも自分と同年代くらいの子供たちがいた。人種や性別・・は様々だが、共通するのは子供ながら目を惹くような美少女、美少年ばかりであるという点だ。


(ここが例の島…………って、あれ? 何か、頭に……)


 イリヤは額の部分に何か違和感を覚えた。頭に何かが嵌まっている。イリヤはすぐにその感触に覚えがある・・・・・に気付いた。


(え……ま、まさか、嘘でしょ……!?)


 イリヤは青ざめて、頭に嵌っているモノを触る。無骨な金属の感触。やはり覚えがあるものだった。怯えた目でこちらを注目する他の子供たちを無視して視線を巡らせたイリヤは、壁に掛けられた大きな鏡があるのを発見した。


 急いでその前に駆け寄って自分の姿を確認する。そしてある意味で予想通りの光景に目を瞠った。


(そ、そんな……どうして!?)


 自分の額に巻かれた黒い武骨な機械の輪。それは実験体・・・としてのあの悪夢の記憶と密接に結びついた器具……『制御装置』であった。



 反射的にそれを外そうとするイリヤ。しかし念動力を発動した途端に『制御装置』から強烈な信号・・が発せられた。


『イギッ!!? ギャアァァァァァァァッ!!!』


 決して慣れる事のない激痛にイリヤはのたうち回った。最早間違いない。これはロシア政府が使っていた制御装置と同じ物・・・だ。ここがエルスタイン島だとして、何故この装置がここにあるのか。そして何故それが自分の頭に嵌っているのか。


(ぼ、僕が超能力者だってバレてた……? だったらお姉ちゃんは……!?)


 カバールの悪魔は自分の領域内であれば、ビアンカの『天使の心臓』を察知できるらしい。イリヤにこんな物が嵌められている事からも、ビアンカの事は既に露見していると思った方が良い。


(お姉ちゃんが危ない……!)


 咄嗟に部屋から出ようとしたが扉には鍵が掛かっていて出られない。無論ESPを使えば簡単に開けられるだろうが、そうするとこの『制御装置』から信号が発せられる事になる。あの装置がもたらす激痛はとてもではないがESPを発動するのに必要な集中力を保てない。


「……ッ」


 超能力が使えない彼はただの無力な少年に過ぎない。どうすればいいのか解らず呻吟していると、部屋の扉が向こう側から開けられた。



「……!」


 入ってきたのは強面の黒服姿の男達であった。イリヤや他の子供たちの顔を見回していく。子供たちは誰もが怯えたように身を縮こまらせている。イリヤはドアの近くにいた事もあって身を縮こまらせる暇もなかった。


 男達の視線がイリヤの美貌を注視する。彼等は頷き合うとイリヤの腕を取って強引に部屋から連れ出した。


『お、おい、何するんだ! 離せよ!』


 ロシア語で叫んで暴れるが、超能力が使えず無力な少年に過ぎない今の彼は、男達を振り払う事も出来なかった。為す術もなく連行されていく。


 すぐに悪趣味な赤い絨毯やビロードのカーテンに覆われた広いホールのような場所に出た。ここがエルスタイン島だとして、事前にレクチャーされていたこの島の外観からしても、このような巨大なホールを内設できるような建物は存在していなかったはずだ。


 つまりここは地下・・という事だ。恐らく地上部分の建物はカモフラージュとしての役割しかないのだろう。



『う……!!』


 イリヤは顔を顰めた。部屋の内装などすぐに気にならなくなるくらい悪趣味な光景がそこかしこで展開されていたのだ。


 高級そうなスーツやドレスなどの身を包んだ大人達がその顔を卑しい欲望に歪めながら、イリヤと殆ど歳も変わらなそうな少年少女たちを侍らせて弄んで・・・いたのだ。


 子供たちは歳に似合わないような卑猥な格好や化粧をさせられていて、どう見ても望んで侍っているようには見えなかった。


 イリヤと殆ど同年代の白人の少年が、醜い中年女性に抱えられてその頬や半裸の身体を舐め回されていた。向こうでは黒人の少女2人を両脇に侍らせた醜い老人が、彼女らの胸を弄りながらワインを飲んでいる。


 他にも似たような光景がそこかしこで繰り広げられ、醜い大人達の哄笑が響き渡っていた。中にはもっと直接的・・・な行為に及んでいる者もいた。また怯える少女を伴って奥の個室に消えていく者もいる。恐らくもっと特殊・・な行為に耽る為の場所なのだろう。


 『RH』で受けたレクチャーがイリヤの頭をよぎった。悪徳と退廃の宮殿。ここはまさにその現場・・だ。そしてここに自分も連れて来られたという事は……




 巨大なソファベッドに腰掛けていた脂ぎったアジア系の中年男が、イリヤを連行してきた黒服たちに合図をする。彼等はイリヤをその男の元まで引き摺って行く。


「ふふふ……ロシア人の美少年。儂の希望通りだ。高い会費を払ってここに来ている甲斐があったな」


「……っ!」


 醜い男が欲望に滾った目でイリヤの顔や身体を舐め回すように値踏みしてくる。男の目的は明らかだ。イリヤの顔から血の気が引いた。今まで気づく余裕が無かったが、元々履いていたハーフパンツの裾が短く切られて、太ももが剥き出しのショートパンツのような形状にされていた。


 露わになった少年の色白の脚に、無遠慮な欲情の視線が注がれる。男が舌なめずりをした。イリヤは怖気から反射的に遠ざかろうとするが、黒服の男達に強引に突き飛ばされて、逆に中年男の懐に自分から飛び込んでしまう。


「ひっ……!」


「ぐふふ……この瑞々しい白い肌。堪らん! もっと味わわせろ」


 中年男は気色悪い笑みを浮かべながらイリヤを抱きすくめて、身体を弄ったり顔を舐めたりしてくる。イリヤは全身に鳥肌が立って反射的にESPを使おうとするが、すぐに制御装置から例の信号が発せられそうになり、慌ててそれを引っ込める。


「ふふふ、ほれ、どうした! もっと嬉しそうな顔をせんか! 客を楽しませるのも『従業員』の役目だぞ?」


「う……くっ……!」


 好き放題弄られても抵抗できない。超能力が使えなければ自分は何も出来ない無力な子供でしかないのだ。それを思い知らされる。


「ふぅむ、この子供は来たばかりか? 今イチ気分が乗らんな」


 あくまで嫌がって怖気に耐えるイリヤの姿に、中年男は不服そうな様子になる。嗜虐趣味のある者にとってはむしろ興奮を倍増させそうな今のイリヤだが、幸か不幸か目の前の男はそういう趣味は無いらしい。すると近くにいた黒服の1人が寄ってくる。



「コバヤシ様、お察しの通りこの少年は昨日ここに来たばかりなのです。まだここに慣れていないので、サポート・・・・を付けた方が宜しいかと」



「ふむ……そうだな。このままでは興が乗らんしな。では予約してあるいつもの・・・・を寄こせ。先輩・・にここのやり方を教わると良い」


 中年男……コバヤシは邪な笑みを浮かべると、黒服に誰かを連れてくるように頼んだ。どうやらここに連れて来られて日が長い・・・・別の『従業員』を呼んでくるらしい。このおぞましい行為が分散するなら何でも良かった。


 程なくして黒服が別の『従業員』を連れてやってきた。どうやらこれが件の先輩・・とやららしい。



「おお、よく来たな、オリガ・・・! さあ、今日もご主人様に奉仕しておくれ」



「は、はい。今日もお越し頂きありがトうございます、御主人様」


「……っ!?」


 たどたどしい英語だが聞き覚えのある名前にイリヤは思わず、新たにやってきた人物の姿をまじまじと見据えた。それはほぼ下着と変わらない卑猥な衣装を纏わされて、顔にも化粧を施されていたが、イリヤには一目見て解った。


(オ、オリガ……な、何で!?)


 それは紛れもなく彼が故郷の村で別れたはずの、そして二度と会う事は無いはずのオリガ・ゼレンスカヤ本人だった。彼を、拒絶・・した少女。


 だが奇妙な事がある。オリガの額には黒っぽい色の無骨な金属の輪が嵌まっていたのだ。イリヤが付けている物と同じ。つまりあれは『制御装置』のはずだ。何故オリガが制御装置を付けているのか。



「ふふふ、私は少年も少女も両方イケる・・・口でねぇ。このオリガもロシア人なんだよ。まあロシアは広い。知り合いという事もないだろうが……」


「え…………っ!?」


 コバヤシの言葉にオリガもまたこちらを初めて認識したようにイリヤの顔を見た。互いの視線が交錯する。オリガの目がこれ以上ないという程に大きく見開かれた。


『え……イ、イリ……ヤ……? う、嘘……何で……?』


「……! 何だ、まさか知り合いだったのか? ははは! 信じられん、こんな偶然もあるのか! ロシアは……いや、世界は狭いな!」


 ロシア語が少し解るらしいコバヤシは哄笑して手を叩く。そしてこれ見よがしにオリガを抱き寄せた。


「ほら、オリガ! 知人の少年が見ているぞ! 彼に教えてやれ! お前がいつも・・・どんな風に『客』を悦ばせているかをな!」


「う……あ……」


 イリヤに見られていると知って急に及び腰になるオリガ。だがコバヤシはそれを許さない。


「何だ、ご主人様に逆らうのか? またその『制御装置』をオンにしてもらいたいのか?」


「っ!!」


 オリガが露骨に身体を震わせる。彼女の頭に付いているのは本物の『制御装置』らしい。ならば致し方ない事だ。あの苦痛は経験したものにしか分からない。



『オ、オリガ……オリガ、だよね? どうして……ここに? それに何で、君がその装置を……?』


『……っ。イ、イリヤ……。私……私は…………ごめんなさい』


『……!!』


 オリガの苦悶して絞り出したような謝罪の言葉を聞いてイリヤは目を見開く。彼には解ったのだ。その謝罪が、あの時・・・の事を指していることに。



『あの後、ロシア政府に捕まって……。私……あ、あなたと同じ・・になってしまったの……』



『……っ!!』


 同じ。つまり超能力者という事だ。それが彼女が『制御装置』を嵌めている理由か。


 イリヤはあの『トリグラフ』という連中の事を思い出した。彼から抽出したデータを元に作り出された『サイ・コア』という物体を頭に埋め込まれ、人造の超能力者に生まれ変わった超人部隊。


 オリガがあの『トリグラフ』のメンバーに選ばれていたはずはない。それに彼の知る限り女性の隊員はいなかったはずだ。恐らく『トリグラフ』を作る前段階の実験体・・・だ。そういう者達がいたという話だけは聞いた事があった。まさかオリガがそれに含まれていた事など知る由もなかったが。


 超能力者である彼を忌み嫌って拒絶したオリガが、人工的に彼の力を移植されて自らが忌み嫌った超能力者に変わってしまう。一体どんな因果の業があれば、そのような運命を辿るのであろうか。

  

 そして用済み・・・になったオリガは、ロシア政府によってこの島に売られたのだろう。残酷なまでの転落人生だ。


『ごめんなさい、イリヤ。きっとこれは、私があなたにした事をご覧になっていた主から与えられた『罰』なのよ。私はここで死ぬまで自分の罪を償う定めなのよ』


『……!!』


 イリヤは彼女が敬虔なロシア正教の信者であった事を思い出した。オリガは恐らく本気で今の境遇がイリヤを拒絶した『自分への罰』だと思っているのだ。いや、しかし彼女がそう思い込んでも仕方がないような運命の悪戯であった。



「さあ、ほれ! いつものように儂の物を咥えるのだ! そしてしっかりご奉仕する様を新入りに教えてやるのだ!」


 だが現実はそんな2人を置いて容赦なく進む。コバヤシは屈みこんだオリガの頭を掴むと、彼女の顔を自らの股間に近付けていく。何をするつもりかは一目瞭然だ。


『や、やめ……』


『いいの、イリヤ。これが私への『罰』なの。どうか……私を許して』


 オリガはその美貌に諦念を浮かべ、自ら口を開いてコバヤシの物を受け入れようとする。だが……その動作とは裏腹に、彼女の眦から一粒の涙が零れ落ちた。


『――――――』


 その涙を見たイリヤの頭から、任務やビアンカの事が消えた。また……あの時と同じ思いを繰り返すのか。自分はあの時よりずっと強くなったはずなのに。



「や……めろ……」


「んん? 何か言ったかね?」


 もう同じ過ちは絶対に繰り返さない。『制御装置』は過去にも破った事がある。あの時に出来て今出来ないはずがない。



「やメろ……。その汚い手を……オリガから離セェェェェェェェェッ!!!!!」



「な、何だ……!?」


 ESPの開放。当然ながら『制御装置』から信号が発せられ、激痛と共に彼の力を封じようとしてくる。だが……


『ヌアアァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーー!!!!!』


 その可憐な口から荒々しい咆哮を轟かせつつ、激痛に抗いESPの力をひたすら高め……彼の額から『制御装置』が弾け飛んだ!!


 同時に開放された力が荒れ狂い、コバヤシ……だけでなく、オリガ以外の全ての物を周囲から吹き飛ばした。その力に耐え切れずに床が陥没してクレーターを形成する。


 周囲は途端に阿鼻叫喚に包まれ、パニックになって逃げ惑う人々の悲鳴と黒服たちの怒号が交錯する。


「お前ら……オリガを虐めた奴等、全員許さナい……。皆、消えて無くナっちゃえ!!」


 その喧騒の中心でイリヤは、オリガを自分の後ろに庇いつつ怒りの赴くままに再び力を解放した!


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