Episode4:常夏の暗部
アメリカ領ヴァージン諸島の『首都』シャーロットアマリエのあるセント・トマス島には、大小様々なクルーズ船以外では、空の玄関口であるシリル・E・キング空港から入る事になる。
今回は
「着いたな。ここがシャーロットアマリエだ。ヴァージン諸島観光の中心地でもある」
「ここが……ヴァージン諸島」
空港のターミナルから出たユリシーズの言葉に、ビアンカは強い日差しに目を細めながら周囲を見渡した。赤道に近い地域特有の湿度のある暑さで、アメリカ本土の夏とはまた異なった趣だ。
島の中心部に伸びる道路の脇には、やはり本土では見られない植物が自生し景色を彩っている。道路と木々の向こうにはシャーロットアマリエの街並みが垣間見えて、如何にもリゾート地という雰囲気を醸し出していた。
空港から出てバスやタクシーに乗り込む大勢の人々もどこか浮かれたような雰囲気で、服装も開放的であり、南の島のリゾートというイメージを補強していた。
服装と言えば……
「さあ、近いとはいえ歩いていくのは面倒な距離だ。ヴィラまでタクシーで直行するぞ」
ユリシーズがキャリーバッグを押しながら2人を促す。彼はいつもの黒スーツ姿ではなかった。オレンジと白のまだら模様になったやけにトロピカルなデザインの開襟シャツに、下は膝までの白いハーフパンツという出で立ちで、やはり白いメンズハットと細長くて先の尖ったサングラスを着用していた。
その姿はどこからどう見てもリゾート地に屯する柄の悪いチンピラそのものといった風情で、ある意味非常に様になっていた為に、最初その姿を見た時ビアンカもイリヤも笑いを堪えるのに一苦労であったのは余談だ。
だがこれは別にユリシーズがリゾート観光に浮かれている訳ではなく、予め決められた作戦の一環であった。因みにビアンカとイリヤは特にいつもの服装と変わりはない。ビアンカの衣装はむしろこの常夏の島の方が違和感がないくらいだ。
彼等の役目は
空いているタクシーを捕まえて、予約してあるヴィラまで直行する。街の中心部からやや外れたビーチ沿いにある立ち並ぶヴィラは、テラス席からビーチとカリブ海の景色が望め、夜にライトアップしたこのテラス席でユリシーズと向かい合って……と、DCでルイーザと話したシチュエーションそのままの条件にビアンカは内心でドギマギしてしまう。
「よし、俺はもう一つのヴィラに泊まるが、明日から早速作戦開始だ。今日は早く休んで英気を養っておけよ」
だがそんな彼女の内心などお構いなしにユリシーズは殊更そっけない態度でビアンカ達にそう告げると、自分はさっさと隣のヴィラに引き払ってしまった。
「あ、ちょっと……! 何よ、もう! 少しくらいゆっくりしたっていいじゃない……」
ビアンカは口を尖らせて不満を漏らす。遊びにきたのでない事は自覚しているが、折角このような場所に来たのだから、せめて少しはそういう気分に浸りたいと思うのが普通だろう。
「お姉ちゃん、あんな奴ほっとけばいイよ。今回は僕がお姉ちゃんを守るンだから」
ビアンカの様子を見て取ったイリヤが、その薄い胸を叩いて請け負う。それから急にもじもじした様子になった。
「そ、その……お姉ちゃん。ここのシャワーって1人で入ルには凄く広いね。それに外にあるジャグジーもとっテも気持ちよさそうダよ……?」
「え? ああ……そうね。ホント気持ちよさそうだわ。それにとても開放的だし」
シャワーやジャグジーを見たビアンカは、再び自分がユリシーズと2人でそれらを利用している場面を想像してしまった。そして瞬間的に顔を火照らせると慌ててかぶりを振った。
(もう! これじゃ私が色ボケみたいじゃない! ユリシーズとはそんな関係じゃないんだから……)
そう自分に言い聞かせたビアンカは、イリヤににっこりと微笑みかける。
「でも明日は早いし、今日はもう休みましょう。イリヤも旅客機での長旅で疲れたでしょう?」
「え……? あ、その……」
ユリシーズに素気無くされて若干ふてくされ気味のビアンカは、イリヤの言外のアピールに気付く事も無く、自身もさっさと部屋に引きこもってしまった。残されたイリヤは唖然としつつ、ユリシーズと違って未だ『男』としては見てもらえない現状に内心で地団駄を踏むのであった。
*****
翌朝。隣のヴィラではまだ寝ているだろうビアンカ達を残して、ユリシーズは単独でシャーロットアマリエの街中を歩いていた。この朝早い時間、通りを行き交うのは殆どが島の地元民たちだ。観光客の殆どは夜中や明け方までの馬鹿騒ぎの疲れで未だ夢の中だ。
その観光客たちを当て込んだ飲食店やホテルの従業員、または経営者などが仕入れやその他の準備のために忙しく行き交い、地元民が集う現地の市場は朝から大盛況の様子だ。そんな活気のある雑踏の中を1人進むユリシーズは、昨夜のビアンカとのやり取りを思い返していた。
(……流石にちっと素気無くし過ぎたか? だがあのままビアンカに付き合ってたら俺の方が妙な気分になっちまってたかも知れないしな。任務の前だってのに……)
このヴァージン諸島に限らないが、有名なリゾート地は特に
夕暮れ時の浜辺で美しい海を眺めながら、テラス席でビアンカと差し向かいでグラスなど傾けた日には、色々と
(そうなったら任務にも差し支える。いや、それ以前にアイツはあくまで警護対象だからな。あまり私情が絡むと色々と悪影響が出ちまうかも知れん)
その思いもあって、ビアンカとこれ以上距離を縮めようとする気持ちに歯止めを掛けている側面もあった。そんな彼の憂慮も知らぬげに意識的なのか無意識なのか、事あるごとに秋波を送ってくるビアンカ。
彼も理性を保つのが難しいと感じる場面もあり、ここ最近の悩みの種となっていた。かといって彼女がリキョウやサディークら他の男に靡く所を想像すると、何とも言えない面白くない嫌な気分になる。
我ながら勝手だとは思ったが、この不条理な心理もまた人間の特徴と言えたかも知れない。
「……! ここか」
そんな取り留めのない思考を巡らせている内に
主に観光客用にヴァージン諸島内の日帰りツアーを手配するツアー会社の1つだ。玄関を潜るとすぐにカウンターとその奥に小さな事務所があり、カウンターには人相の悪いヒスパニック系の壮年男性が座っていた。
入ってきた客(ユリシーズ)を見ても、ジロッと胡乱気な目を向けてきただけで声を掛ける事すらしない。これでよくツアー会社の受付などやっているものだと
「
ユリシーズは低い声でそう告げて、一枚の黄色いチケットのようなものを差し出す。カウンターの男は物も言わずにチケットを受け取って、その内容に目を通す。
「……数と
「2人。白人の女と少年だ。これが写真だ」
ユリシーズは懐から2枚の写真を出して男に手渡す。そこにはそれぞれビアンカとイリヤの姿が写っていた。男は写真に目を通して頷いた。
「……間違いないようだな。場所はロングベイの13番乗り場。時間は午後の2時。5分以上遅れた場合、この
「支払いは?」
「『ミスター・E』の
その後いくつかの確認事項をすり合わせたユリシーズは『カリビアン・バケーション』を後にした。これでお膳立ては完了だ。
エルスタインは世界中に
あそこに売りたい『商品』の情報を持ち込んで、クルーズツアーに『商品』を参加させればOKだ。そのツアーで不幸な『転覆事故』が発生し、巻き込まれた不運な観光客は世間的には
仲介者(今回のケースではユリシーズ)には後ほど、『転覆事故の賠償金』という名目で
(全く……不謹慎だがよく出来たシステムだな。接触自体もダークウェブがなきゃ不可能だったしな)
通常のインターネットとは隔絶された、非合法の闇のインターネット。そこは人身売買は勿論、殺し屋の契約、麻薬やスナッフフィルムの売買など凡そ禁忌というものが存在しない闇の世界であった。
仲間の1人であるリキョウがこのダークウェブにアクセスする事が出来たので、その伝手を利用してエルスタインの組織に接触したのだ。そして今回の作戦ではユリシーズがビアンカ達を売り払う『仲介者』の役割となっていた。
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