Episode5:カリビアン・バケーション

「『ツアー』の予約・・が取れたぞ。午後二時にロングベイの13番乗り場だ。クルーザーに乗ったらそれはもうエルスタイン島への片道切符だ。後戻りは出来ん。準備はいいか?」


 手配の為に出払っていたユリシーズが戻ってくると、神妙な表情でそう告げた。決行の時が間近に迫っており、流石にビアンカも緊張を隠せなくなっていた。


「え、ええ、大丈夫よ。いつでも行けるわ」


「おい、もうちょっと肩の力を抜け。あまり緊張してると怪しまれて警戒されるぞ」


 ユリシーズに注意されるが、何せ人身売買で売られるなど当然初めての経験である。あくまで任務であり、ユリシーズやイリヤのサポートを受けられると解っていても緊張するのは仕方がない事であった。



「お姉ちゃん、心配しないデ。向こう・・・で何があっても、僕がお姉ちゃんを守ってあげるカら。誰かさん・・・・じゃナくて僕が、ね」


 そのイリヤは一緒に攫われる役処だというのに、当然というか全く緊張した様子もなくリラックスしたものだ。彼はどんな探知機でも感知できず、また取り上げたりもできない強力な武器・・を常に所持している状態なので、恐れの感情とは無縁だ。全く羨ましい限りである。


「ち……。おい、いいか、イリヤ。ビアンカに何かあったら只じゃ済まさんぞ? お前の責任は重大だからな。よく覚えとけよ?」


 イリヤに当てつけられたユリシーズが舌打ちして凄む。するとイリヤも負けじと背伸びして彼を睨み返す。


「ふん、アンタに言われるまデもないよ。お姉ちゃんを守るのノは僕に任せて、アンタはここで指咥えて待っテなよ」


「っ! このガキ……!」


 イリヤに反抗されたユリシーズが目を吊り上げて詰め寄ろうとする。



「ちょっと、これから任務って時につまらない事で喧嘩しないでよ! 子供相手に大人げないわよ!」


「ぬ……! だ、だがこのガキ……」


「返事は?」


 文句を言い掛けるユリシーズを一睨みすると、彼は怯んだように降参のポーズを取った。


「わ、解った。解ったから、そんな睨むなって」


 そんなユリシーズを見て気分を良くするイリヤだが、一方であくまで子供扱いでしかない事に複雑な表情を浮かべるのであった。



 しかしある意味でいつも通りな彼等のやり取りに毒気を抜かれたビアンカは、先程までの緊張が幾分和らいでいる事に気付いた。


(そうだ。ここまで来たら今更尻込みなんてしてられないわ。イリヤも一緒だし、ユリシーズも控えていてくれる。私は私でいつも通りやるだけだわ)


 自然とそう思えるようになった彼女は手を叩いた。


「さあ、そうと決まれば後は時間に遅れないようにするだけね。あなたこそちゃんと島の地理は頭に入ってるの? 集合時間に間に合わなくて作戦失敗なんて笑い話にもならないわよ」


「当たり前だろ。ガキじゃあるまいし・・・・・・・・・、当然事前に下見は済ませてるに決まってる」


 今度はユリシーズがイリヤに当てつけるように胸を張る。それを受けてイリヤが威嚇するような顔つきになる。争いは同じレベルの者同士でしか発生しない、という言い回しを思い出して、ビアンカは嘆息するのだった。



*****



 セント・トマス島の中央部に位置するロング湾。シャーロットアマリエはこの湾沿いに広がっているのだが、東部分はその名の通りシャーロットアマリエ・イーストと呼ばれている。ここにはクルーザーでロング湾に出る為の小型の桟橋がいくつも伸びており、島内の様々な旅行代理店が借り切っていた。


 『カリビアン・バケーション』が借りている13番ポートに向かうと、そこには既に一隻のクルーザーが停泊していた。船の種類も事前に『代理店』から聞いていた物と相違ない。これで間違いないようだ。


 桟橋に近付くと、クルーザーの中から男が2人出てきた。白人とヒスパニック系の2人で、どちらも愛想のいい笑顔を浮かべている。


「やあ、こんにちわ! ご予約の方で間違いない?」


「ああ。コンゴ・ポイント行きだ。宜しく頼む」


 ユリシーズは頷いてチケットを差し出した。白人男がチケットを確認すると頷いて再び笑顔になった。



「なるほどなるほど。承りました。ようこそ、『カリビアン・バケーション』へ! 今日は魅惑のカリブ海秘境を存分に堪能できますよ! いや、あなた方は目の付け所がいい!」


 とても人攫い組織の一員とは思えないような愛想のいい笑顔と態度でビアンカ達を促す白人男。相方?のヒスパニック男の方は操舵を担当しているらしく、こちらは不愛想で一言も喋らなかった。


「私はガイドを務めます、アーチャーです。あちらは操舵手のマルチネス。どうぞ宜しくお願いします、ミセス・カッサーニ」


「ど、どうも。今日は楽しみにしてるわ」


 なるべく不自然さが出ないように演技するビアンカだが、目の前の男達が人攫いの一員である事を意識するとどうしても若干引き攣り気味になってしまう。可能なら今すぐこいつらを叩きのめしたいくらいだ。だがそんな事をしたら何もかも台無しになってしまう。


「お姉ちゃん、僕、こんな暖かい海に来るの初めてナんだ。とってもきれイな所だね!」


 機嫌よく笑ってビアンカの腕に絡み付いてくるイリヤ。彼の方が余程自然に演技が出来ている。そう思って自戒するビアンカだが、イリヤは特に演技している訳ではなかった。


 温かい海の景色を見るのも初めてなのは事実であったし、何より人前で堂々とビアンカに抱き着き、それをユリシーズに見せつけられる優越感に浸っていた彼は全くのであった。


「……宜しく頼むよ。俺は仕事があって同乗出来ないが、『妻』と義弟をしっかりもてなして・・・・・やってくれ」


「……っ!」


 少し顔を歪めたユリシーズが、殊更に『ワイフ』という単語を強調してアーチャーの肩を叩く。そういう設定・・でクルーズツアーを申し込んであった。


 ユリシーズはイリヤへの牽制としてその単語を強調したつもりだったが、イリヤだけでなくビアンカも思わず反応してしまう。


(わ、私が……ユリシーズの、『妻』。彼の口から直接そう言われると…………って、いや、何考えてるのよ、私!? これはあくまで任務上の設定に過ぎないんだから……!)


 ビアンカはかぶりを振って、余計な煩悩・・を振り払う。その間にも事態は進んでいた。


「勿論ですとも! 我々が責任を持っておもてなし・・・・・致しますので、どうぞお任せください。ささ、お2人はどうぞご乗船下さい」


 アーチャーに促されてクルーザーに乗船するビアンカとイリヤ。これでもう後戻りは出来ない。


「では出発します! いざ、魅惑のカリブ海へ!」


 アーチャーの音頭で桟橋を離れるクルーザー。埠頭で見送るユリシーズの姿が徐々に小さくなっていく。彼は最後にビアンカに向けて頷いたように見えた。この後は完全に別行動となる。ユリシーズはユリシーズで今回の任務に当たって別の役目があるので、エルスタイン島潜入後は彼のサポートは受けられなくなると思っていい。ビアンカは再び緊張を感じた。



 ビアンカ達を乗せたクルーザーはロング湾を出ると、そのままセント・トマス島を迂回して島の北側にあるコンゴ・ポイントという場所を目指す。少なくとも表向きはそうなっている。


 ロング湾内は勿論、島の南側は全体的にポピュラーな観光スポットが多く、この船以外にも多くのクルーザーや客船などが行き交っていた。流石にこんな場所で『事』に及んだりはしないだろう。


「島の南側はご覧の通り込み合っていまして中々秘境ツアーとも行きませんが、島の北側はまだまだ人の少ない『秘境』が数多くあります。これから向かう場所もそんな中の1つです」


 アーチャーが本職の観光ガイドよろしく案内する。いや、或いは普段は・・・観光ガイドが本職なのかも知れない。そう思うくらいには人当たりがよく話術も達者であった。対照的に操舵手のマルチネスは今の所一度も肉声を聞いていなかった。


「彼は元々ああいう性格でして。お気になさらずロボットとでも思っておいて下さい」


 とはアーチャーの弁だ。しかしマルチネスの操舵手としての技術は確かなようで、風を切って進むクルーザーは揺れも少なく快適で、ビアンカもイリヤも心配していた船酔いには悩まされずに済んだ。


 横に流れていく綺麗な青い海と、遠くに見える水平線。そして大小様々な岩礁と島の緑。所々別の観光客たちのヨットなどが横切る。ビアンカはこんな場合ながらカリブ海の美しい景色に目を奪われていた。


 これが任務などではなく本当の観光旅行で、横にはユリシーズも乗っていて彼と一緒に船の上でこの景色を眺めながら他愛もない話を語り合う。ついそんな光景を想像してしまう。


「お姉ちゃん、またアイツの事考えてルの?」


 と、そんなビアンカの気持ちを見透かしたようにイリヤがジト目を向けてくる。いつの間にか無意識にユリシーズの事を思い浮かべていた事に気付いたビアンカは慌てた。


「ええ? ち、違うわよ。ただ海が綺麗だと思って見惚れてただけよ。私もカリブ海に来るのは初めてだし……」


「……ふぅん、まあいいけど、今はアイツはいないンだから僕を見てよね」


 取り繕ったビアンカの言い訳などテレパシーを使うまでもなくお見通しなイリヤは、少し不機嫌そうに口を尖らせる。彼は彼で、この任務でビアンカにいい所を見せようと意気込んでいるきらいがあった。



 そんなやり取りをしている内にクルーザーは島の北側へと回り込んでいた。この辺りまで来ると他の船舶も余り見かけなくなってくる。


「さあさあ、着きましたよ。あの小島の岬が『コンゴ・ポイント』です。そして……」『このクルーズの終点・・でもあります』


「え……!?」


 突然声の調子が変わったアーチャーを訝しんで振り返ったビアンカは目を瞠った。そこにイカ・・と人間が融合したような怪物が立っていた。ビアンカはこれと同じ種類の怪物を見た事があった。確かボルチモアでアダムが倒した、スキアタンという中級悪魔・・・・だ。


「お、お姉ちゃん……!」


 イリヤがマルチネスの方を指差して叫ぶ。そちらにも目線を向けると、舵を握るマルチネスも飛蝗と人間が合わさったような怪物の姿になっていた。あれは確かシアトルでも戦った下級悪魔ウェパールだ。


(これは……エルスタインは完全にクロ・・ね……!)


 図らずもエルスタインがカバールの一員である事の裏付けが取れた形だ。尤もこんな人攫い要員に眷属の悪魔を使っているとは予想外であったが。いや、超常能力を持つ悪魔だからこそ現場作業・・・・がより露見しにくいというメリットもあるか。現にクルーザーの周囲は既に『結界』に覆われて外部から遮断されているようだった。 



「ひっ!? な、何? 一体何なの!?」


 ビアンカはわざと無知で恐怖に慄いているように装う。アーチャー達が悪魔だった事は予想外であったが、『天使の心臓』に関してはカバールの構成員、つまり上級悪魔でなければ確証は得られないはずだ。過去に襲ってきた眷属の悪魔達はいずれも主人である上級悪魔の指示でビアンカの前に現れていたに過ぎない。


『くはは……あなた方は何も知る必要はありません。ただ眠って・・・頂ければそれで良いのです。次に目を覚ました時は、この世の楽園にいる事でしょう。あなた方はそこで第二の人生を送るのです』


 アーチャー……スキアタンはそう言って嗤うと、その口(と思しき器官)から霧状の何かを吐き出してきた。微妙に異臭のするその薄い霧は意思を持ったようにビアンカとイリヤに纏わりつく。


「う……!? こ、これ、は……」


 その霧を吸ったビアンカは急速に眠気を感じて意識が遠のいていくのを自覚した。睡眠作用のあるガスか何かのようだ。その作用は強烈で、身体の小さなイリヤは既に寝入ってしまっているようだ。


『ふふふ……ゆっくりとお休みなさい。恨むのならあなたを売った御主人・・・を恨むのですね』


 スキアタンの嘲笑も徐々に遠ざかって聞こえなくなっていく。そして……ビアンカの意識は完全に闇へと包まれた。

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