Episode24:死蟲の王

「う……ぐく……はっ!?」


 意識が闇の底から覚醒したローラは、慌てて辺りを見渡す。そこは薄暗く、コンクリートがむき出しの広場のような空間であった。判然としないが、何となく地下のような気がした。業務用の無骨な電灯が壁にいくつか取り付けられており、それが最低限の視界を確保していた。 


 そしてその灯りによってローラは、自分以外にもこの広場に複数の人間が倒れているのが見えた。全員若い女性のようだ。その中の一人に見知った姿を見つけた。


「ビアンカ! 大丈夫、ビアンカ!?」


「う……うう……っ!! ロ、ローラ!? あいつは……『リーヴァー』は!?」


 ローラが揺さぶるとすぐに目を覚ましたビアンカは、やはり慌てて周囲を見渡す。ローラはかぶりを振った。


「私もついさっき目を覚ましたばかりだから。とりあえず奴の姿は見ていないわね」


「そうなの……。ここはどこなのかしら?」


「分からないけど、地下鉄のどこかじゃないかしら。ああいう工事用の電灯が使われてるし」


 大都市の地下鉄というものはその線路が走る走行部分は勿論、他にも拡張工事用の機材保管庫や作業員用のスペース、他にも様々な用途から得てして広大な地下空間を形成する事が多い。ここもそんな場所の一つなのだろう。


「とりあえず他の人達も起こしてここから逃げましょう」


 ローラの提案で気を失っている他の女性たちも起こして回る。10人ほどいる女性たちはやはり全員が若い女性で、職業や家庭環境などは様々であったが、ローラ達と同じく『リーヴァー』によって襲われて、しかし殺される事無くこの場に連れてこられたようだ。


「『リーヴァー』って人を殺す事を目的に作られた怪物で、事実今までは無残に骨だけにされた人達ばかりだったのよね? 私達もだけど、何で殺されずにここに運び込まれたのかしら?」


 女性たちの話を聞いたビアンカが眉を顰めて疑問を呈する。確かにそれは大きな疑問だ。勿論自分たちがあの場で殺されずに済んだ事は幸いではあったが。



「――疑問があるならに直接聞けばいい。そうだろう?」



「「っ!!?」」


 ローラ達を含めたその場にる全員が、唐突に聞こえてきた男の声・・・に驚いて、弾かれたように振り返った。


 いつの間にそこにいたのか。広い部屋の出口に一人の男が佇んでいた。ローラは男の容貌をを見てすぐに分かった。リンファの報告にあった容姿と同じだ。つまりはこの男が……


「あなたが……オットー・ベルクマンね? 『リーヴァー』の生みの親・・・・……」


「え……!?」


 ビアンカだけでなく、他の女性たちも一様にギョッとした目をローラに向けた。ベルクマンは苦笑した。


「君は刑事だったね。しかも僕の事件を担当してるんだろ? 子供たち・・・・の目を通して君を見て以来、何故か君の事が忘れがたくてね。ようやくこうして直に会えたね」


「……!」


 以前に『リーヴァー』に襲われた際の事か。あの時ビアンカと出会ったのだ。ベルクマンがローラを意識している理由は間違いなく『特異点』の影響だろう。



「……私だけじゃなくこの人達まで攫った理由は?」


 ベルクマンが自分に聞けというので遠慮なく質問するローラ。彼は肩をすくめた。


「まあ君を攫った理由も同じだけど、僕の『糧』になって欲しくてね」


「か、糧ですって?」


「そう。子供たちへの『糧』はもう存分に与えてきたけど、僕自身・・・の『糧』が足りない状況でね。今まではそれでも良かったんだけど、僕を追ってるあの中国人・・・は少々厄介でね。彼を何とかするのに君達が必要なのさ」


「人質にでもする気? 彼にそんな手は通じないわよ」


 中国人とは間違いなくリキョウの事だろう。その仲間であるビアンカが鼻を鳴らす。リキョウの実力を知るが故の断言なのだろう。だがベルクマンはかぶりを振った。


「まさか。『糧』とはそのままの意味だよ。君たちを直接食らう・・・のさ。そうする事で僕はより完全無欠の存在になれる。そして僕は子供たちと違って僕の嗜好・・は人間のままでね。どうせ食うなら男よりも若い女の方がいいに決まってる」


「……っ!」


 ベルクマンの言う『食う』というのは比喩ですらなく、本当にそのままの意味・・・・・・・であろう。


「既にある程度・・・・の『糧』は食ったんだけどね。だがもうひと押しが必要だ。君達も食らえば僕は完全無欠の存在になり、あの中国人も敵じゃなくなる。僕の計画はまだまだこれからなんだ。君達にも協力してもらうよ!」


 そう叫んだベルクマンが両手を広げる。すると奴の身体に変化・・が起こった。まずその背中を突き破って巨大な一対の虫翅が出現した。そして両腕の関節が変化してまるでカマキリの腕のような形状になり、その『手』には鋭利で巨大な鎌が備わる。


 脚もまるで昆虫が無理やり直立しているかのような奇怪な形状となり、黒っぽい甲殻に覆われる。否、脚だけではなく奴の全身が、見るからに強固そうな甲殻に包まれていた。


 そしてその顔は……ムカデのような巨大な大顎が口を裂けて突き出し、目はまるでハエトリグモを恐ろしく巨大にしたような複数の目が横並びに付いて不気味に赤く発光していた。頭や顔も全体的に昆虫のようなフォルムで甲殻に覆われている。


 極めつけはその臀部からいくつもの節に分かれたサソリの尾のような器官が生えてしなり、その先端には鋭い針が備わっているように見えた。



 全身が黒っぽい甲殻に覆われ、巨大な虫翅や大鎌、サソリの尾などを備えたハイブリッド蟲人間。体長も優に2メートルを超える巨体となっている。それが『リーヴァーの王』ベルクマンが一瞬で変身した姿であった。その余りの悍ましさに他の女性たちが悲鳴を上げて、中には腰を抜かしてへたり込んでしまう者もいた。



『ふふふ……食事・・の時はこの姿にならないと、『糧』を効率よく吸収・・出来ないんだよ』


「……っ! 化け物……!」


 ビアンカが女性たちを庇うように身構える。その手にはあの霊力を発散するグローブが装着されている。ローラも懐からデザートイーグルを抜いて構えた。


「ローラ……私が奴の注意を引くわ。あなたはその隙にあの神聖弾を準備して奴に撃ち込んで」


「……! ええ、分かった。それしかなさそうね」


 ベルクマンがどんな怪物だろうと、ローラの神聖弾なら当たれば一撃で倒せる可能性はある。こいつがかつて神聖弾で斃した首なし騎士デュラハーン死神サリエルより強いという事は流石にないはずだ。


 よく見ると部屋の入り口には黒い塊が蟠っている。『リーヴァー』だ。ローラ達がベルクマンの注意を引きつけている間に女性たちを逃がすという手は使えそうにない。やるしかないようだ。



『さあ、恐怖と絶望の音色を奏でてくれ。それが君達の『味』を一層高めてくれるだろう……!』


「よし、行くわよ、ビアンカ!」


「ええ!」


 ローラの合図に頷いてビアンカが踏み出す。踏み込みながら彼女は拳を素振りで繰り出した。あの霊拳波動だ。威力はそこまで高くないが牽制には最適だ。


『……!』


 案の定初見のベルクマンにクリーンヒットして、その身体を僅かに揺るがせた。だがやはりこれでダメージを与えられるような甘い相手ではないようだ。しかしその注意をビアンカの方に向ける効果はあった。


『ははは! いいねぇ! 精々抵抗して僕を楽しませておくれ!』


 ベルクマンは哄笑しながらその大顎の突き出た口を開いた。何か溶解液のようなものでも吐いてくるかと警戒するが、奴は何と口から大量の黒い蟲……『リーヴァー』を吐き出してきた!


「な……!?」


 これには意表を突かれたビアンカは攻撃を中断して慌てて横っ飛びに回避する。だが『リーヴァー』の群れはすぐに方向転換してビアンカを追尾する。溶解液などより余程厄介で恐ろしい攻撃だ。


「くそ……!」


 ビアンカは強引に体勢を立て直すと、迫ってくる『リーヴァー』に向かって霊拳波動を連続して撃ち込む。波動は『リーヴァー』どもを吹き散らかすが、案の定というか奴らはすぐに集まって元通りになってしまう。


「……っ」


『無駄だよ。自律性を持たせて街に送り込んだ『リーヴァー』は人間の骨・・・・などの『芯』がないと群体を保てないが、僕が直接操っている『リーヴァー』は別だ。自由自在に形を変えて離散と集合を行える群体には生半な攻撃など通じないよ』


 ローラやヴェロニカ達が以前に街で遭遇した『リーヴァー』は、その自律性を持たせた群体とやらだったのだろう。奴等には『芯』という弱点があったが、この『リーヴァー』にはそれが無いようだ。



 ビアンカは必死に『リーヴァー』の突撃を躱しながら反撃するが、勿論通じない。結果としてどんどん追い込まれていく。ベルクマンはまだ直接戦ってすらいないというのに。やはりビアンカでは全く歯が立たないようだ。だが……


『ははは! ほら、どうした! もっと必死に逃げないと子供たちに捕まるぞ!?』


 幸い奴の注意を引きつける事には成功したらしい。今ベルクマンの意識は必死に防戦を続けるビアンカにのみ注がれている。ローラの事はほぼ警戒していない。恐らくただの・・・銃弾なら効かないという自信があるのだろう。今なら確実に当たる。


(お願い……これで決まって!)


 ローラは十分に練り上げた霊力をマグナム弾に纏わせる。そして哄笑しているベルクマンに狙いを定めて発射した。


 ――ドウゥゥゥンンッ!!!


 地下空間に大きな銃声が轟き、女性たちが悲鳴を上げて蹲る。ローラの放った神聖弾は正確にベルクマンの身体を貫く――――事はなかった。


「……!!」



『ふは! 甘いよ、君! 子供たちの目を通して君達の戦いを見ていたと言っただろう!? 君が妙な力・・・を銃弾に纏わせて使う事は知っていたよ!』



 巨体からは想像もつかない身軽さで跳躍してローラの神聖弾を躱したベルクマンが嗤う。ローラは以前ビアンカと共に『リーヴァー』と戦った際に神聖弾を使っていた事を思い出した。あれで『リーヴァー』共は飛散する事無く弾け飛んで殺す事が出来たのだが、それを『リーヴァー』の目を通して見ていたベルクマンには警戒されてしまっていたのだ。後悔先に立たずだ。


 神聖弾は強力だが、敵に警戒されているとまず当たらないという弱点がある。どうしても何かで意識を逸らさなければならない。いつもなら・・・・・その役目をミラーカ達が担ってくれるのだが、ビアンカ一人では力不足は否めなかった。


(くそ……どうしたら!)


 有効な打開策を見出せないまま焦るローラの前で、ビアンカが『リーヴァー』によってどんどん追い詰められていく。


『さあ、まずは君からだ!』


「……っ!」


 敵の攻撃を躱した際に体勢を崩して転倒してしまうビアンカ。ベルクマンが哄笑しながら『リーヴァー』をけしかける。ビアンカの顔が青ざめた。ローラは躱されると分かっていながらそれでも神聖弾をもう一度奴に向けて撃とうとするが、その時……



「麟諷!!」



 鋭い掛け声に合わせて獣の咆哮・・・・が響く。同時に風の防壁のようなものがビアンカを包み込み、『リーヴァー』の侵害から保護した。


『……! 来たか、早かったね』


 ローラが呆気に取られた現象だが、ベルクマンはそれが誰の仕業かすぐに分かったらしく驚いた様子はなかった。しかしその声は先ほどまでより真剣なものになっていた。そして自体がすぐに分かったのはビアンカも同様であった。


リキョウ・・・・……!!」


「ご無事ですか、ミス・ビアンカ。あなたに虹鱗を張り付けておいて正解でした。すぐにこの痴れ者を片付けますので、もう少々お待ちください」


 広場の入り口を固めていた『リーヴァー』を蹴散らして中に踏み込んできたのは、長髪を垂らしたオリエンタルな服装と雰囲気を持つ東洋人男性。恐らくはリンファ達を助けてくれたという中国人、そして大統領府のエージェントの一人でもあるレン・リキョウであった!

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