Episode12:二つの凶星

 ローラの予想通り『肉剥ぎ殺人事件』は終わる事無く、次々と街中で類似の事件が発生し始めていた。共通しているのは日中、屋内であろうと関係なく発生するという事と、ほんの数分の間にそれまで生きていた人間が一瞬にして皮膚も肉も内臓も全て剥ぎ取られたように白骨化して死んでいるという点だ。


 事件の規模が大きくなるにつれてメディアにも取り上げられるようになり、特に屋内にいても被害に遭うという点が民衆の恐怖を煽り、街はパニック状態に陥る寸前とも言えた。


 このセンセーショナルな殺人鬼はマスコミから『リーヴァ―』と呼称されるようになり、連日テレビや新聞、ネットを賑わせた。そして例によって正体不明の殺人鬼に対する恐怖は、それを逮捕できない警察への不満に転換され、LAPDには早く『リーヴァ―』を逮捕するなり射殺するなりしろという市民からの電話がひっきりなしに掛かって来るようになり、マスコミも無責任に警察を槍玉に挙げる状況となっていた。


 そしてその責任・・は当然、この事件の捜査責任者である警部補のローラの所に来るわけで……



「今日だけで100件以上の電話が掛かってきている。この本部だけでな。分署を合わせたら軽くその数倍は行くだろうな。煽ってるのは勿論無責任なマスメディアだ。だが現実に犯人を検挙できていない事も事実だ。なあ、そうだろうギブソン警部補?」


 警部補であるローラのオフィス。更迭されたネルソンの後任であるスタイナー警部が訪れていた。用件は明々白々だ。


「勿論重々承知しています、警部。今現在も多くの部下達が捜査を継続中です。徐々にですが有力な手がかりも出てきています。一両日中に事件は必ず解決するとお約束致します」


 断言するローラ。勿論根拠はない。ただ捜査責任者の立場で『解決できるかどうか解りません』などと口が裂けても言えないし、実際に部下達も含めて日夜解決に向けて努力しているのは事実だ。


 スタイナーとしてもそんな事は解っているだろう。ただ彼はローラに釘を刺して安心したいだけなのだ。だから望む通りの言葉を言ってやる。


「解ってるならいい。とにかく今うちはそういう状態だという事を肝に銘じておくように。一刻も早い事件解決を期待しているよ、ギブソン警部補」


「ええ、お任せください、警部」


 案の定、露骨に安心したように息を吐いたスタイナーは、それだけ告げてオフィスを後にしていく。それを見送ってローラは嘆息した。マイヤーズやジョンなどかつての上司達も皆こういう経験はしていたのだろう。今度は自分の番という訳だ。


 だがスタイナーに言った事は完全に出まかせという訳でもない。部下達の懸命な捜査や聞き込みの結果、徐々にだが有力な情報が出てきていた。といっても一般的な・・・・刑事事件として有力な情報かと言われると微妙なのだが、少なくともローラにとっては有力な情報であった。


 特にリンファ達が報告してきてくれた情報。被害者が黒い虫・・・の集団に集られて死んだという証言。それに加えてつい先だってヴェロニカ達が遭遇したという黒い怪物。


 その二つには確実に繋がりがある。そしてもし犯人が黒い虫の集合体だとするならば……



(……背後にその黒い虫達を操っている何らかの存在・・・・・・がいる。そいつが『犯人』ね)



 これがローラが他の刑事達と違う部分だ。人を襲って食い殺す虫の集合体。そんな異常な存在の目撃情報が増えれば、普通の警察官であればその異常性にだけ気を取られて、黒い虫達をたたの怪物として扱い、その場しのぎの対策に追われるばかりになるだろう。


 だがこれまで幾多の怪物達と戦ってきたローラの経験は、黒い虫達の背後に潜む『犯人』の存在を確信していた。となればセオリーは通常の犯罪捜査と同じだ。


 蟲達はただランダムに人を襲っているのではない。被害者達には必ず何らかの共通点があるはずだ。ローラはリンファ達を含む捜査員全員に、犯罪の異常性に惑わされず『被害者の共通点』を念頭に置いて今一度、情報の整理や関係者への聞き込みを徹底するように指示していた。


 そこからまた有力な情報が出てくるのはそれこそ『一両日中』という事になるだろう。そうして出てきた情報を更に絞り込んで『犯人』に近付いていく。捜査に焦りは禁物だ。


 後は部下達の報告待ちとなり、とりあえずローラも帰宅できるようになった。この事件の捜査責任者になってからは帰宅できない日もあり、ミラーカとも会えずじまいだったので、今夜は久しぶりに彼女に会えるかも知れないと、若干弾んだ気持ちで家路に着くローラ。



 しかし彼女が自宅に程近い、この時間には人気が殆どなくなる路地に差し掛かった時……


「……!!」


 夜の闇よりも更に暗い……いや、黒い・・人影が、彼女の行く先に佇んでいた。微かな街灯に照らされたその顔は一見人間のように見えるが、よく見るとそれはただ人間の顔の皮膚が張り付いているだけだと分かる。そしてその黒い身体は何やらもぞもぞと微細に蠢いているようだ。


 ローラは瞬間的に悟った。こいつが今、巷を騒がせている連続殺人鬼『リーヴァ―』だと。


 こういう類いの突発的なコンタクト・・・・・は初めてではない。『特異点』はやはり彼女の前に怪物を誘き寄せた。今までに幾度も怪物達と遭遇してきた経験は、ローラに誰何すいかのような無駄な行程・・・・・を省かせ即座の警戒態勢を取らせた。警察支給のグロックではなく、彼女の私物・・であるデザートイーグルを抜く。


 黒い虫の集合体。こいつに話も警告も通じるとは思えない。案の定、黒い怪物はこちらに『腕』を向けてくると、そこから微細な粒が渦を巻いて射出された。あれが全部羽虫だとすると……


(冗談じゃない……!!)


 ローラはヴェロニカのように『障壁』で身を守ったりできない。黒い虫に集られたら数分で他の被害者達と同じ姿になってしまうだろう。


 ――ドウゥゥゥゥゥンッ!!!


 重い銃声が轟いた。ローラの放った銃弾は狙い過たず黒い人影の中心に吸い込まれた。すると人影は何かが砕けたように形を失い崩れ落ちてしまう。地面に落ちた黒い塊は蜘蛛の子を散らすようにして消えていく。後には人骨の束が折り重なって残っているだけだ。いや、正確には顔の皮膚もか。


(事前にヴェロニカの話を聞いておいて良かったわね)


 恐らくあの骨はグロックでは砕けなかったはずだ。無駄撃ちしている間にあの黒い虫に集られて……というケースは充分あり得た。ヴェロニカに話を聞いてから、もし怪物と遭遇した際には最初からデザートイーグルを使うと決めていたのが功を奏した。



 蟲共が逃げた事から恐らく倒せてはいないのだろうが、とりあえず撃退できた事にホッと息を吐くローラ。だが……悪夢はまだ終わってはいなかった。


「……っ!?」


 ローラは目を瞠った。いつの間に現れたのか……更にもう二体・・・・の黒い人影が、彼女を挟み込むように前と後ろ両方に出現していた。やはり人の顔を張り付けているのが何とも不気味だ。


 そして二体の『リーヴァ―』は、ほぼ同時に『腕』を掲げてローラの方に向けてきた。


(ま、まずい……!)


 デザートイーグルは威力は高いが連射が効かない。一体を撃ち抜いている間に、確実にもう一体の攻撃が彼女に到達する。そうなったらジ・エンドだ。今ここにはミラーカを始めとした仲間が誰もいない。単身でいる所を狙われたのがそもそもマズかったのだ。


 二体の怪物が容赦なく黒い渦を発射しようとする。ローラは絶望的な気持ちで、それでも僅かな可能性に賭けてまず片方を銃撃しようとするが……


「――危ないっ!!」


「っ!?」


 甲高い女性の叫び声。と同時に空気が激しく震動するような感覚があり、ローラの後ろ側にいた怪物が何か不可視の衝撃・・・・・・を喰らったように大きくよろめいた。その身体から無数の黒い虫が散開して再び集まる。


 ローラは一瞬ヴェロニカかと思ったが、今の声は彼女の物とは違っていた。そして声のした方を見やると、そこには見慣れない1人の若い女性が拳を振り抜いた姿勢で立っていた。彼女が今の衝撃波・・・を放ったのだろうか。


 長い茶色の髪を緩く後ろで束ねており、白いタンクトップにジーンズのホットパンツというワイルドなスタイルだが、彼女の雰囲気にはよく似合っていた。その両手には不思議な紋様の入った指貫きのグローブを嵌めている。



「話は後! まずはこいつらを……!」


「……っ! そうね!」


 確かに今は『リーヴァ―』共を何とかしなければならない。ローラは意識を切り替えて目の前の敵に集中する。後ろの敵はあの女性が引き受けてくれるようだ。


 それで余裕が出来たローラは意図的にマグナム弾に『ローラ』の神力を纏わせて、神聖弾ホーリーブラストを撃ち込んでみる。霊力を帯びたマグナム弾は『リーヴァ―』の芯となっている骨を正確に撃ち抜いた。


 すると先程は骨が砕けて飛散するだけだった黒い虫達が、その暇もなく一斉に爆散・・した。やはりこいつらは魔物・・だ。霊力に弱いようだ。


「……! なるほど、一点に集中すれば……!」


 ローラのマグナム弾が一撃で怪物を倒したのを見た女性は、グローブを嵌めた手を拳から貫手に変えた。そして力を溜めるような動作の後、一気にその貫手を突き出した。


「ふっ!!」


 するとその女性の手から先程よりも先鋭化した衝撃波が発生し、『リーヴァ―』の中心辺りに命中した。最初の攻撃では身体が飛散するだけだったが、今度はヴェロニカの『弾丸』のように芯となっている人骨を砕く威力があったらしく、『リーヴァ―』が崩れ落ちて蜘蛛の子のように地面に散開して消えていった。



 とりあえずの危機は去った。だが当然ながら新たな疑問が目の前に出現していた。その疑問の主たるワイルドな女性は、失敗したという顔で頭を掻いていた。


「はぁ……やっちゃった。どうしても見ていられなくって……。こんなんじゃエージェント・・・・・・失格ね」


「……! あなたは、まさか……」


 女性が漏らしたエージェントという単語に反応するローラ。今の状況で彼女の前に現れる『エージェント』といえば心当たりは一つしかない。女性は諦めたように溜息をつくと首肯した。


「ええ、お察しの通りよ。私はビアンカ・カッサーニ。この街を覆う『呪い』の元を調査するために大統領府・・・・から派遣されてきたエージェントよ。まあまだ新人・・だけどね」


「……!」


 ローラとビアンカ。『特異点』と『天使の心臓』。共に特殊な性質・・・・・を持つ2人の女性の邂逅は、この街に更なる危機と混乱を呼び込んでいく事となる……

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