Episode11:揺さぶり

 LA市内では比較的高級なホテルの一室。そこのベッドの上に2人の女性・・・・・の姿があった。1人は30代くらいと思しき白人の女性。もう1人は長い艶のある黒髪を垂らした絶世の美女……ミラーカであった。


 相手の女性は既に息も絶え絶えな様子でベッドに横たわっており、完全に自失状態にあるようだった。食事・・の時間だ。


 ミラーカの口から明らかに犬歯というには長すぎる2本の『牙』が伸びる。そしてその牙を自失状態にある女性の首筋に突き立てた。牙は停滞なく女性の首の皮膚を突き破り、そこから鮮やかな血が溢れ出る。


「……!」


 だが女性は長い牙で首に噛み付かれている痛みなど感じている様子もなく、それどころか更なるエクスタシーを覚えたかのように恍惚の表情を浮かべて身を震わせる。


 時間にして1、2分だろうか。ミラーカがそっと牙を離す。女性は恍惚に包まれたままベッドに突っ伏して気絶してしまった。数時間は目を覚まさないだろう。ミラーカは気絶した女性をベッドに放置したまま手早く身支度を整えて部屋を後にした。元々そういう契約・・だ。


 女性専用のコールガールを職業とする彼女は、こうして客の中から良さそうな獲物・・を見繕って吸血鬼・・・としての『本能』を満たしていた。相手を絶命させる事無く、さりとて吸血行為を気取られる事無く吸血を行うには、今の所この方法が最も都合が良かった。なのでお金には不自由していないにも関わらず彼女はこの仕事を続けていた。



 ホテルを出たミラーカは当てもなく夜の街を歩く。『食事』の後はいつも気分が良くて、高揚したまま適当に街を散策するのが習慣となっていた。適当とは言ってもローラから頼まれている例の件もあるので、不穏な魔力をそれとなく探知しながらではあったが。


「…………」


 しかし街を行き交う人々を見ると、たった今食事を終えたばかりだというのに、何とも言えない餓え・・に似た感覚を覚える事があった。


 あの『魔界ゲヘナ』での決戦以降、このような事が多くなってきた。理由は解っている。彼女の内に潜む真祖ヴラドの穢れた魔力が彼女を浸食しつつあるのだ。この浸食が完全に終わると、彼女は元の邪悪な吸血鬼に戻る羽目になる。そして自身が封印したはずのヴラドを自らの手で甦らせてしまうだろう。それだけは絶対に避けねばならなかった。


 だがそれでも未だに時折疼きを感じる程度・・で済んでいるのは、モニカに事情を打ち明けて対症療法・・・・を施してもらっているお陰だろう。やはり彼女はある程度だが、ヴラドの浸食を抑える術を知っていた。


 後はミラーカが再びあの『イヴィル形態』にさえならなければ、これ以上の症状の進行は抑えられるはずだ。モニカからもそのお墨付きはもらっていた。


 ローラと一緒にこの街に現れる人外を狩る使命を自らに課したミラーカ。ローラの『特異点』に引き寄せられて今回も新たな人外が街に出没しているようだ。それに大統領府のエージェントとやらの事もある。


 しかし流石に彼女が『イヴィル形態』を使わされた【悪徳郷カコトピア】だの【悪魔禍デビルハザード】だのといったレベルの脅威がそうそう現れるはずもないので、彼女の症状・・がこれ以上進行する心配はしなくていいだろう。



 ミラーカは頭を振って疼きを払うと、途上にある一軒のバーに立ち寄った。洒落た内装で一般人にはやや敷居が高い高級バーだ。だが金はあるしマナーの悪い客も少ないので、彼女は基本的に立ち寄るのはこうした場所が多かった。


 それでも彼女ほどの美女が1人でいれば声を掛けてくる男もいそうなものだが、ローラと同棲するようになってからはそういうのも煩わしいだけなので、本当に極わずかに軽く魔力を発散しておく。こうすると人間は無意識的に、魔物・・を怖れる本能によって誰も彼女に近付かなくなるのだ。


 ワラキアでヴラド達と共に民を恐怖に陥れていた頃は常にこれを発散している状態だった。今ではバーで1人の時間を優雅に過ごしたい場合に便利な程度であったが。


 やはり同じ魔力で無意識に委縮しているバーテンダーが淹れたカクテルを味わうミラーカ。人間の生血は彼女の生命を維持するために必要不可欠なので仕方なく摂取している、言ってみれば『餌』のようなものだ。


 本来の邪悪な吸血鬼は人間の生血こそを好むが、ミラーカは彼等とは違う。こうして人間の料理や酒を味わう事は彼女にとって『趣味』であり『嗜み』であった。


 食事・・の後の一服をカウンター席で楽しむミラーカ。そしてカクテルを飲み終わり、バーテンダーに二杯目を頼もうとした時……


 まだ頼んでいないのに、彼女が飲んでいたのと同じカクテルが横からスッと差し出された。



「どうぞ、一杯奢らせてくれ。アンタみたいな美女と飲みたい気分なんだ」



「……!」


 ミラーカはピクッと眉を上げて、その無粋・・な男を横目で見やった。逆立てた黒い短髪、黒いスーツ姿の若い男であった。鍛えているのかスーツの上からでも分かるほど体格がよく、それでいて顔立ちは厳つすぎない整った容貌で、まさに美丈夫という言葉がよく似合う男だ。


 なるほど、これなら自分に自身を持っていてミラーカのような美女に粉を掛けてくるのも不思議ではなかった。


 だが彼女は今現在も魔力を軽く発散しており、無意識的な人間避け・・・・の効果を発揮しているはずであった。この男はそれにも関わらず彼女に声を掛けてきたという事になる。


「ユリシーズだ。隣に座ってもいいか?」


 彼女の魔力による威圧など感じている様子もなく問い掛けてくる男……ユリシーズ。初めて彼の顔を正面から見たミラーカは、ユリシーズの瞳の色を見て若干目を瞠った。それは非常に珍しい金色・・の瞳であったのだ。


「……好きにしたら。奢りたいというならありがたく受け取るけど、別に私があなたと何か話さなきゃいけない義務・・はないという事が解ってればね」


「勿論だ。ただアンタは必ず俺と話したくなるさ」


 ユリシーズはそう笑って隣に座ってきた。その手には自分の分の酒が入ったグラスが握られている。ユリシーズの謎の自信にミラーカは再び眉を顰めたが、それが彼のやり口かも知れない。


 ここでユリシーズに「大した自信ね」などと皮肉でも言うと、彼と『話した』事になってしまいそこから会話の糸口を掴まれてしまう。なので敢えて彼を無視して1人でグラスを傾ける。


 ユリシーズも気にした様子無く、落ち着いた所作で自分のグラスを呷る。しばらくその場に無言の時間が流れた。



「映画の聖地ロサンゼルス……なんだが、最近この街ではそんなハリウッドで作られる映画もかくやという面白い・・・事件が頻発してるらしいな」


「……!」


 唐突に話し出すユリシーズ。ミラーカのグラスを握る手が無意識に揺れた。


 今までこの街で起きた事件には多くの衆目に触れたものもある。街の外から来た人間が興味を示すのは不思議ではない。攻略難度・・・・の高そうな美女相手に、会話の取っ掛かりとなる話題を振っているだけだ。何も気にする必要はない。


「ただ映画だと大抵そういう事件は派手なクライマックスを迎えて、ヒーローが怪物を倒して街を救ってめでたしめでたしってなるのが普通だよな。でも……この街で起きた事件はそうじゃない・・・・・・


「……!!」


 ミラーカの動悸が若干速くなった。よりにもよって当事者・・・である彼女相手に、この街で起きた事件の話を振るのは偶然だろうか。


「どの事件も全部人知れずひっそりと終息しているんだよな。明確に犯人が逮捕された訳でもないのに。ある時を境にぱったりと犯行が止んで、そのままお蔵入り。そんな事件ばっかりだ」


「……映画ではなく現実ならそれこそ、都合よく犯人が逮捕される事件ばかりじゃないでしょう?」


 我慢できなくなってついそんな合の手を入れてしまう。ユリシーズが会心の笑みを浮かべる。


「ほら、俺の言った通りだろ? アンタは俺と必ず話したくなるってな」


 外見にそぐわない意外と悪戯っぽいというか、人懐っこそうな笑みを見てミラーカは不本意ながら一瞬目を惹かれてしまった。そしてすぐにそんな自分に腹を立てた。



「確かに一、二件であればアンタの言う事も一理ある。だがこれだけ立て続けに同じような結末・・を迎えるとなると……確実に偶然じゃないな」


「偶然じゃなければ……何だというの?」


「勿論、誰かが討伐してる・・・・・・・・のさ。裏で人知れずな。全ての状況証拠がそれを示してる」


「……っ!!」


 ミラーカは図らずも僅かに身体を震わせてしまう。この時点でユリシーズが彼女に近付いてきたのも偶然ではないと確信する。


「それを……何故私に話すの? 女を口説く話題としては余り良いチョイスではないわね」


「確かに世間一般の女には受けないだろうな。だがアンタ・・・はこの話に興味を持つんじゃないかと思ってな。そして俺の見立ては正しかったようだ」


「……何が目的?」


 ユリシーズの素性・・を察したミラーカは静かに問い掛ける。恐らく彼等・・は既にかなり『核心』に迫っている。下手なはぐらかしは無駄だろう。


「もう察しは付いてるんじゃないか? この街は呪われてる。俺達・・はその呪いの元を特定し、それを除去・・するのが役目だ。『呪いの元』が何なのか。アンタに聞くのが早そうだと思ってな」


「……っ」


 以前にナターシャ達が言っていた推論が先方から肯定された形だ。やはり大統領府は『呪いの元』を排除するつもりなのだ。そして彼等の言う『呪いの元』とは即ちローラの事である。


(それだけは……絶対にさせない)



「何の話か全く分からないわね。話題がそれだけなら、つまらないから帰らせてもらうわ」


 ミラーカは自分の分の代金だけきっちりとカウンターに置くと席を立った。ユリシーズの奢りを受けないという意思表示も兼ねている。


「人外の怪物が現れる度に、巻き込まれて死ぬ人間が大勢いる。怪物が現れなければ本来生きていた人間が、な」


「……!!」


 立ち去ろうとするミラーカの背中が僅かに震える。ユリシーズはそんな彼女の背に容赦なく言葉を重ねる。


ボス・・はこの問題を放置する気はない。今なら傷は浅くて済む。よく考える事だな」


「……失礼するわ」


 喉元まで出かかった反論を呑み込んで拳を握り締めたミラーカは、それだけ告げると後は振り返る事無く店を立ち去っていった。ユリシーズはそんな彼女の背中を見送りながら、口の端を微妙に歪め再び酒の入ったグラスを呷るのであった……

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