Episode10:忍び寄る不穏
『肉剥ぎ殺人事件』の新たな犠牲者と思われる死体が発見された。それも今度は
被害者はいずれもこのチャイナタウン内に住む中国系アメリカ人で、中国本国からの雑貨や食材などをこのチャイナタウン内の商店に卸している業者であった。中国本国とも繋がりが深い、いわゆる華僑というやつだ。その伝手で正規の輸入よりも安く商品を仕入れていたらしい。
『ちょっと目を離した隙だよ。ほんの数分だ。倉庫内で社長たちと話をして、それから搬入のトラックを誘導する為に外に出て行ったんだ。そこで運転手とやり取りして搬入の準備をしてたら、倉庫の中から物凄い悲鳴が聞こえてきて……』
事務所内でリンファが聞き込みしているのは、殺された被害者の会社に所属する従業員で、趙という男性であった。元々が中国人でチャイナタウン暮らしが長いからか、アメリカに住んでいながら英語を全く話せないようだった。チャイナタウンにはこういう中華系が結構いる。
しかし今回の第一発見者で、なおかつ
『で、悲鳴を聞いて倉庫に踏み込んだあなたは見たんですね……
リンファも中国語で質問すると、趙は神妙な面持ちで頷いた。
『ああ……何かの悪い夢みたいだ。倉庫に入ったら
趙がその時の光景を思い出したのか身震いする。今も鑑識が忙しく動き回る倉庫内には、3つの
『黒い虫みたいな何か? それが彼等を殺した犯人だというの?』
『信じられないのも無理はねぇが、俺は見たままを言ってるだけだ。俺自身があれは悪い夢か何かだと思いたいくらいさ。だがあれは紛れもなく現実だ。言っとくが俺はクスリなんかやってないからな?』
『…………』
その後もいくつか質問をしたが、結局趙は『3人が黒い大量の蟲に集られて死んだ』という証言を曲げず、リンファは彼に礼を言って聴取を終えた。
「先輩、彼は何て?」
相棒のアマンダがすぐに駆け寄ってくる。彼女は中国語が話せないので趙の話は聞き取れなかった。リンファはすぐに趙からの証言を掻い摘んで伝えた。アマンダは目を丸くした。
「く、黒い虫、ですか? 先輩はその証言を信じるんですか?」
「うーん、でも他にあの死体の状態と発見時の状況を説明できなくない? 彼の後すぐにトラックの運転手も死体を発見してるし、あんな手の込んだ工作してる時間はなかったはずよ」
人間の皮と肉を全部剥ぐなど、やろうとしたら丸一日掛かりだ。ましてや3人分である。
「それは……そうですけど。でも……」
「それにまあ……こういう事は
「……!」
そう。彼女達はこれまでにも超常的な現象や存在に何度か遭遇してきている。リンファはそれには主に上司であるローラが関与していると思っているが確証はない。となると今回の件もそうした今までの超常犯罪に連なるものと思えば納得はできる。
「……?」
その時リンファは、事件現場を離れた場所から見つめて何かを考え込んでいる様子の1人の男性に、何とはなしに目を引かれた。
人種は中国人のようだが、非常に研ぎ澄まされた冷たい雰囲気を漂わせていた。長髪を撫でつけて後ろに垂らしている髪型が印象的だ。見るからに堅気ではない風体だ。
このLAのチャイナタウンも例に漏れずチャイニーズマフィアが裏でのさばっている。あの男はその一員かもしれない。いや、それだけではなく……
(……犯人は現場に戻る、なんて格言もあるくらいだしね)
「アマンダ、ついてきて」
「え……先輩!?」
突然歩き出したリンファに、アマンダは戸惑ったように追随する。あの男性に対する違和感に気付いたのは自分だけのようだ。男性はリンファ達が近付いてきているのに気付いている様子であったが、特に逃げたり慌てたりする事も無く、それどころか興味深そうににこやかな笑みを浮かべて迎える。
『LAPDの
敢えて中国語で話しかけてみる。すると男は気障な仕草で一礼した。
『おや、
流暢な北京語が返ってきた。本国人は同じ本国人を『同胞』と呼んで、現地の中国系住民と区別する事が多い。このリキョウと名乗る男も中国本土出身であるようだ。
『か、可愛らしい!? 馬鹿にしてるの!?』
いきなり予想もしていなかった言葉を浴びせられ動揺したリンファが、顔を赤くして詰問する。任は微笑んだままかぶりを振った。
『まさか、女性に嘘を吐く趣味はありません。西洋の女性も美しいですが、同胞の女性はまたそれとは違った奥ゆかしい可憐な美があります。あなたはまさにそれを体現したかのような女性です』
『……ッ!! は、はぐらかそうとしても無駄よ! 聞きたい事があると言ったでしょ!』
『はぐらかしてなどおりませんが……。それより特に問題なければ英語で話した方が、後ろのお嬢さんにも聞き取れて良いのでは?』
リキョウは苦笑しつつそう提案してくる。つまり彼も英語が話せるのだろう。確かに後でアマンダに伝え直す手間を考えたらその方が効率がいい。
「そういう事なら……オホン! それで……任さん。先程から熱心に事件現場を見ていましたが、何か事件について知っている事でも?」
「まさか。私は普段はDCに住んでいまして、このLAには
「……!!」
人間の仕業ではない。それを全く冗談とは思えない真顔で述べるリキョウ。そして今のリンファにとってもそれは共通の認識であった。
「邪気ですって? やっぱりあなた、何かを知っているわね。もう少し詳しく聞かせてもらうわよ?」
「おや、まともに取り合うとは意外ですね。しかしこの事件にあまり深入りしない方がいいとご忠告致しますよ。これはあなた方の手に負える事件ではありません。私としても美しい同胞の女性が被害に遭うのは偲びありません故」
「……っ。ま、またそんな事を! 生憎これは私達の担当事件なのよ。とにかく署まで任意同行を求めます。そこで詳しく聞かせてもらうわ」
以前にも似たような状況があった。そしてその時彼女は実際に死にかけた。だが今の自分はあの時とは違う。そもそもどんな異常な事件だったとしても、刑事が尻込みしていては話にならない。
アマンダに合図して目の前の男に任意同行を掛けようとするリンファだが、その時現場の鑑識が何か見つけたらしくリンファ達を呼ぶ声が聞こえた。反射的に振り返る2人。そして鑑識にすぐ行くと合図してもう一度リキョウの方に振り返ると……
「あ……! い、いない!?」
アマンダが素っ頓狂な声を上げて辺りを見渡す。彼女の言う通り今の今まで目の前で話していたあのリキョウという男が、2人がほんの一瞬目を離した僅かな時間の間に、まるで最初からいなかったかように忽然と消え去ってしまっていたのだ。
(え……ど、どういう事!? 幻覚!? いえ、そんなはずない! 彼は確かにここに居て話もしていた!)
アマンダも見ていたのだから間違いない。まるで魔法か妖術でも使われたかのようであった。
「せ、先輩……」
「……いなくなってしまったものは仕方ないわ。とりあえず戻りましょう」
不安げな様子のアマンダを安心させるように、敢えて平静を装って促す。だが内心ではこの事件が再び今までの悪夢の再来になりそうな予感に、アマンダ以上の不安を覚えて憂いを帯びた溜息を吐くリンファであった……
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