Episode9:儚き抵抗

 LAの郊外に建つ一軒のトレーニングジム。元々は寂れた変哲もないフィットネスジムで、経営不振により閉鎖寸前であった。しかしある時とある女性・・・・・が大金を持って現れ、このジムを丸ごと買収した。


 事情を知る者はその女性の無謀を嗤い、ただの金持ちの道楽か何かだろうと決めつけた。だが……それから数か月もすると、そのジムは多くの入会希望者・・・・・が引きも切らない状態となっていた。


 といってもその理由はそれ程複雑ではなく……




「……準備はいいですか? ではいつでも始めて下さい」


 そのジムのメインホールは改装されて、格闘技などに適しただだっ広いフロアとなっていた。その中心に静かに立つのは、銀髪で色素の薄い瞳や肌をしたミステリアスな雰囲気の北欧人女性シグリッドであった。露出度の高いトレーニングウェアに身を包んでいる。


 その彼女を円を描くように複数の男達が取り囲んでいた。人種は様々だが、誰もが筋骨隆々で血気の有り余っていそうな若者達だ。シグリッドも女性としては長身だが、取り囲む男達は彼女よりも身長も体重も遥かに上の者ばかりであった。


 シグリッド自身に促された事によって、男達はまるで餓えた野獣のように彼女に襲い掛かる。そう、それは打ち掛かるというより、襲い掛かるという表現がぴったりの勢いであった。


 自分より遥かに体重のある男達から襲い掛かられる。当然これが普通の・・・女性であれば完全に詰みだ。というより犯罪が想定されるシチュエーションだ。だが……



「ふっ!!」


 シグリッドは冷静に周囲を俯瞰して、自分から最も距離が遠い位置にいる男目掛けて自分から突進した。


「……!?」


 まさか彼女の方から向かってくるとは思わず、ターゲットにされた男が動揺した。慌てて掴みかかってくるが、シグリッドは容易くその腕を払って逆に掴み取る。そして勢いを殺さずに背負い投げを決める。


「ごぇっ!」


 あまりに鮮やかに投げられた男は受け身も取れずに床に叩きつけられて呻く。当然リタイアだ。他の男達は一瞬動揺するが、当然そんな隙を逃すシグリッドではない。あっという間にもう1人の男が鋭い蹴りを鳩尾に叩き込まれて沈黙した。


 止まっていたらいい的だと理解した男達がとにかく動けとばかりに攻めかかって来る。だがそんな破れかぶれの特攻が通じるシグリッドではない。ましてや男達は連携も何もなく、個々人がてんでバラバラに動いている。


 シグリッドは極めて冷静に男達の付け焼刃の連携を分断し、1人ずつ沈黙させていく。程なくしてフロアの中央に立っているのはシグリッドだけになり、後は死屍累々と男達が倒れ伏して呻いているだけの状態となっていた。


「さあ、これで私がやらせ・・・でない事は納得して頂けましたね? では事前の契約通り、入会手続き・・・・・をお願い致します」


 シグリッドが倒れている男達を悠然と見下ろしながら促す。その様子を遠巻きに見守っていた他の会員たちが拍手喝采する。会員の中には女性の姿も目立つ。



 シグリッドは今は亡き主ルーファスの遺産の一部でこのジムを買い取ると、自らの格闘技経験を活かした護身術道場に改装した。ミステリアスな北欧美女が道場主という事もあって人気を博し、会員集めは比較的順調に進んでいた。


 しかし中にはシグリッドが自身の外見を売りにして会員を集めているマスコット・・・・・だと批判する連中も後を絶たなかった。そしてそういう批判に対して彼女は実地・・で納得させるという手法を取った。


 それが今のこの光景に繋がっている。納得・・した者達はこのジムに入会するという事前条件付きだ。シグリッドが本物・・だと知れ渡ってくると、本気で護身術を習いたいという女性の入会希望者も徐々に増えてきた。


 今の所彼女の第三の人生・・・・・は概ね順調と言えた。そして、かつて死闘を共に潜り抜けた友人達の1人であるローラに呼ばれたのは、そんな最中さなかの事であった。


 そこにはかつての仲間達が勢揃いしていた。そこでローラから聞かされた話。街に新たな人外が出現したかもしれないという話や、大統領府のエージェントがこの街に調査に訪れているという話。


 事情を知っていて共に戦ってきた身としては、荒唐無稽な話だとは思わなかった。恐らくどちらも事実なのだろう。何が彼女達にとって迷惑になるかも分からないので自分から積極的に首を突っ込むつもりはないが、もしローラ達から請われれば友のために全力を尽くす所存であった。




 そしてその『会合』から数日後……。ジムでの仕事を終えたシグリッドは、現在借りているアパートまで自転車で帰宅していた。露出度の高いトレーニングウェア姿のままなのが衆目を惹いた。


 彼女が乗っているのは競技用のロードバイクに近い形状で、これは日頃の運動量確保の為でもあったが、何よりこの街は交通渋滞が非常に激しいので、距離によっては自転車の方が余程スムーズに移動できるという側面もあったからだ。勿論シグリッドの人間離れした脚力と持久力あっての賜物ではあったが。


 トロールの姿にならずとも非常に高い身体能力を誇る彼女の乗る自転車は、第三者からは目を瞠るほどの速度で郊外の道路を走り抜けていく。景色が物凄い速さで流れていくいつもの感覚。だが……


(……これは、何?)


 彼女のトロールとしての超感覚が何か違和感のようなものを感じ取った。空気の微細な流れとでも言うべきか。それがいつもと違う。理屈では説明できなかった。


(……尾行されている?)


 この違和感を一言で説明するとしたら、それが最もしっくりくるかも知れない。何か・・が彼女の後を一定の距離を保ちながらぴったりと追随している。


 彼女の自転車は人通りの少ない場所では時速にして30~40キロほどは出ているはずだ。尾行するとしたら車が必要になるが、通りには多くの車が行き交っており渋滞や信号などもある。シグリッドの自転車を安定して尾行する事は不可能だ。バイクの類いでもない。それなら違和感など抱くまでもなく気付いている。


 つまり今彼女を尾行している存在がいるとしたら、それ以外の・・・・・移動手段で尾行している事になる。だがそれは人間・・ではあり得ない話だ。と、なると……


(まさか……例の新たな人外?)


 それしか考えられない。友人であるローラは『特異点』という厄介な性質を背負っており、人外を無意識に呼び寄せてしまう。そしてその影響は彼女に近しい者達にも及ぶのだ。


「…………」


 シグリッドは意識的に自転車の速度を更に速めた。最早40キロを超える、ちょっとしたバイク並みの速度になった自転車。だがやはり違和感が消えない。この速度でも引き離せないという事だ。この時点で彼女の方針が決まった。


 不穏な存在にいつまでも張り付かれている訳にもいかないし、もし件の人外であるならそれを倒す事はローラ達の為にもなる。


 彼女はいつもの帰宅ルートから外れて、人気のない寂れた工場の裏手に入りそこで自転車を停めた。周囲に他の人間の気配はなく、ここなら問題なし・・・・だ。



「……さあ、ここなら邪魔は入りません。隠れてないで出てきたらどうですか? 女の尻を追いかけ回すのが趣味と言うなら話は別ですが」


 言葉が通じる相手なのかどうかも不明だったが、とりあえず挑発してみる。すると彼女の目の前で予想外の事象が起きた。


 彼女の手前、3メートルほど先の空間が歪んだ・・・。その空間の歪みはすぐに人の形・・・を取って実体を露わにした。



「……ふむ。多少甘めに設定していたとはいえ、俺の遮蔽に感づくとは。やはりただの人間ではないようだな。サディーク・・・・・の言っていた事は正しかった」



「……っ!?」


 シグリッドは目を瞠った。まるで何もない空間からいきなり出現したかのように、そこに1人の男が立っていたのだ。身長は2メートルほど、体重は優に150キロはありそうな鍛え抜かれた巨体の黒人・・男性であった。


 登場の仕方からして明らかに人間ではない。だがシグリッドは目の前の男から魔力の類いを感じ取る事が出来なかった。人間ではないが魔物でもない。この不思議な感覚……彼女はこれに似た感覚の持ち主に以前に一度だけ相対した事がある。


(あのクリストファーという男と同じ……?)


 過去に彼女が戦った、異星人・・・の技術で改造されたサイボーグの男。目の前の黒人はあの男と似た気配を纏っていた。


「……あなたは何者ですか? 私に何の用が?」


 慎重に問い掛ける。同時にジリジリと距離を取りながら魔力を高めて臨戦態勢となる。彼女は激しい精神的緊張を強いられていた。この黒人の男は恐ろしく強い。シグリッドの魔物としての、そして戦士としての本能が盛んに警鐘を鳴らしていた。



「俺の名はアダム。大統領府・・・・から派遣されている。お前にいくつか質問がある。何を聞きたいかは想像が付くのではないか?」



「っ!!」


 シグリッドは別の意味で驚愕した。そっち・・・は予想していなかった。ローラ達の話では、大統領府はまだ彼女の事までは掴んでいないはずではなかったのか。だがローラの仲間・・であるシグリッドに対してこのように尾行して詰問してくるとなると、大統領府は既にかなり核心・・に迫っている可能性が出てくる。


 シグリッドは激しい危機感を抱いた。やはり国家権力というものを甘く見るべきではなかった。このままではローラの事が知られるのも時間の問題だ。このアダムという男はシグリッドを尋問して、誰が・・『特異点』なのかを特定するつもりだろう。そうはさせない。



「……何のお話か皆目見当が付きません。今すぐ立ち去らないのであれば力づくで排除します」


「ふむ、であるなら仕方ない。この任務に関しては大統領より、現場の裁量で超法規的措置を採る事が認めら――」


「――ふっ!!」


 アダムが肩を竦めて一歩踏み出しながら何かを喋っている間に、シグリッドは先手必勝で踏み込む。その武骨なブーツに覆われた太い脛目掛けて渾身のローを蹴り込む。人間なら一撃で脛骨が砕ける威力だ。


「……!」


 だが蹴られたアダムではなく、蹴ったシグリッドの方がたたらを踏んだ。まるで太い鉄の芯を蹴ったかのような感触であった。アダムは微動だにしていない。


「抵抗する気か? 俺に歯向かうのは大統領府に歯向かうのと同じ事だぞ?」


 シグリッドの全力のローを喰らっておきながら、何事もなかったように威圧してくるアダム。


「そんな物は関係ありません。何でもあなた方の思い通りなると思ったら大間違いです」


 今のまま・・・・では戦いにすらならない。それを悟ったシグリッドは自身の魔力を全開にする。瞳が金色に輝き、その額から太い角が生える。トロールとしての姿を露わにする事で全力戦闘が可能になる。


「そうか。愚かな選択だぞ、それは」


 トロールの姿になり魔力を倍増させたシグリッドを見てもアダムの態度に大きな変化はない。だが僅かに腰を落として臨戦態勢らしき姿勢になる。



 これ以上の言葉はいらない。シグリッドは無言で、そして全力で踏み込む。最初の時とは桁違いに速く力強い踏み込み。そして低い姿勢から敵の胴体目掛けてストレートを撃ち込む。


 アダムが初めて防御行動を取った。シグリッドの突きを片腕でガードしたのだ。魔人の膂力による衝撃が伝播する。アダムが僅かに目を瞠った。


「ふっ!!」


 動きは止めない。そのまま流れるようにアダムの脚目掛けて組み付く。彼女の真骨頂は組み付いてからのサブミッションだ。組み付いてしまえば技術が物を言う。多少の膂力差体力差は技術で埋められる。だが……


「いい判断だ。だが甘いな」


「……!?」


 その瞬間アダムの身体から放電現象・・・・が発生した。体表に凄まじい電圧を感じた彼女は反射的にアダムから身体を離した。


(今のは……!?)


「俺の身体には相手の組み付きを阻害する防御機構・・・・が備わっている。迂闊に密着しない方がいいぞ?」


「……!!」


 詳細は不明だが奴に組み付こうと密着すると、奴の身体から今の電圧が発生するらしい。つまりシグリッドはいきなり最大の攻撃手段を封じられてしまったのだ。



「さて、今度はこちらの番だな」


(……っ! 来る!)


 シグリッドは警戒して身構える。そして次の瞬間にはアダムの巨体が目の前に出現して、驚愕に目を見開く。まるで瞬間移動の如き速さの踏み込み。そしてやはり腕が消えたと錯覚する速度で牽制のジャブを撃ち込んでくる。


「ぐっ……く……!」


 ジャブだというのに一発一発が、彼女の全力攻撃に相当する重さだ。ガードするだけで身体を揺さぶられ体力を削られていく。トロールである自分が純粋な肉弾戦で押されるとは俄かには信じられなかった。


 横から丸太のような蹴りが来る。躱しきれないシグリッドは咄嗟に腕と脚を掲げてガードするが、凄まじい衝撃に堪え切れず吹き飛ばされた。


「くっ……!」


 衝撃に呻くが、すぐにアダムが追撃してくる。大きく身体を仰け反らせるようにして上から拳を降らせてくる。シグリッドは本能的に転がるようにして打ち下ろしを回避した。そして動きを止めずに起き上がる。



「ふぅ……!! はぁ……!! ふぅ……!!」


 激しく息を切らす。今の攻防だけでかなりの体力を消耗させられてしまった。一方のアダムは涼しい顔のままだ。


「ほぅ……俺の攻撃を耐え切るとは。では、これはどうだ?」


 アダムが右腕を掲げる。すると目を疑うような光景が展開された。奴の右腕が縦に割れた・・・。そして変形すると、右腕の中から見るからに鋭利そうな硬質な『剣』がせり出したのだ。まるでSF映画の中に迷い込んだような馬鹿げた光景であった。


(こんなの、馬鹿げてる……! これが大統領府の実行戦力だと言うの……!?)


 自分が今いるアメリカという国家の底知れなさを体感して戦慄するシグリッド。悪魔退治のスペシャリスト集団とは聞いていたが、どれだけ強くとも恐らくただの人間であろうそのエージェント達自身には、正直さほど脅威を感じていなかった。あくまで国家権力を敵に回す事を警戒していただけだ。だがその認識は間違っていた。


 動揺する彼女に対してアダムが容赦なく踏み込んでくる。


「むん!」


 右腕のブレードを振るってくる。当たったら非常にマズい予感しかしない。必死に跳び退って躱す。奴が今度はブレードを縦に斬り下ろしてくる。シグリッドはこれも横に跳ぶ事で躱す。


 だが彼女は些かブレードに意識を集中し過ぎていた。いや、最初からそうやって彼女の意識をブレードに引き付けるのが目的だったのかもしれない。


 アダムが左手・・をこちらに向けているのに気付くのが遅れた。



「『バインドアンカー』射出」



 いつの間にか奴の左手も割れて・・・おり、その中から何かが射出された。それは極細の繊維で構成された『網』のようなものであった。


「……っ!?」


 ブレードに意識を割かれていたシグリッドはその『網』を躱せなかった。『網』は彼女の全身に覆い被さり、その動きを完全に封じてしまう。為す術もなく地面に倒れるシグリッド。


「く……! こんな、もの……!!」


 必死にもがくが『網』は全身に絡まり、もがけばもがく程獲物を絡め捕って逃がさない。


「随分狂暴な野獣だ。しばらく大人しくしていろ」


「ッ!!」


 『網』に何か電流のようなものが走り、シグリッドはビクンと大きく身体を震わせた。そして身体が痺れて動かなくなり、意識が急速に遠のいていく。


(ああ、駄目……意識が……。ごめんなさい、ローラ。申し訳ありません、ルーファス様……)


 為す術もなく意識が闇に沈んでいく中、彼女は大切な人達に心の中で詫び続けていた……

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