Episode8:遭遇
ローラの仲間の1人であるヴェロニカは大学を無事に卒業して、現在は市内にある映画スタジオに勤めていた。といっても映画産業のメッカたるLAの事。大手のスタジオはどこも凄まじい倍率で、ヴェロニカのような大学を卒業したての未経験者が就職できるような余地はなかった。
なので市内に無数に存在する小さなスタジオに何とか職を得た彼女は、大手の下請けのような仕事で糊口を凌ぐ毎日を送っていた。
理想と現実のギャップがなかったかと言われれば嘘になるが、反面最初から華々しい仕事が出来ると思うほど夢見がちでもなかった。まずは小さな仕事からコツコツ経験と実績を積んでいくしかない。そう割り切っていた。
しかし同じ作業の繰り返しばかりで、退屈で刺激に欠ける日々である事も確かだった。ほんの半年ほど前までの在学時代を既に懐かしく思い始めていた。ローラやジェシカ、そして他の仲間達と共に、街を脅かす怪物達と戦いを繰り広げた記憶。
死を覚悟したほどの激闘も何度も経験した。というより一度
だが過ぎ去ってみればそれらの戦いの日々は、どんな映画の中の世界よりも刺激に満ちた記憶や経験として彼女の中に色褪せる事なく残り続けていた。
なまじ過去にあのような体験をしてきているせいで、余計に今現在の生活が物足りなく思えてしまっている事は否定できなかった。
しかしそんな日々が続く中、この間久しぶりにローラから緊急の呼び出しがあり、かつての仲間達が顔を揃える機会があった。あの面子で戦った日々が昨日の事のように彼女の脳裏に甦った。
そしてその場で実際にローラやナターシャから告げられた内容。また新たな人外が街を脅かしているという話。そして……大統領府のエージェントがローラを(正確には街に災いをもたらす原因を)調査するために派遣されてきているというとんでもない話まで。
それを聞いた時ヴェロニカの脳裏に浮かんだのは危機感や焦燥感等ではなく、一種の
勿論頭では深刻な事態だという事は良く解っている。ローラに危機が迫っているのだ。遊びではない。場合によってはまた死闘になるかも知れない。
だがそれらの事実を理解していても尚、彼女は再びこの面子で共に戦えるかもしれない、また一時とはいえあの夢のような日々に戻れるかも知れない、その嬉しさやワクワク感の方が勝ってしまっているのを認めなければならなかった。
そんな風に気分が高揚していた事もあってこの日、後輩であり恐らく同じ気持ちを抱いているだろうジェシカと久しぶりにランチの約束をしていた。
「よう、先輩! 久しぶり……てか、この前会ったばっかだよな」
国民的ファーストフード店の店内。ヴェロニカが座る席に近付いてきて気さくに声を掛けるのは、言葉通り先日の会合で会ったばかりの後輩であるジェシカであった。その手には既にジャンクフードが大量に積まれたトレーを持っていた。相変わらずの食欲のようだ。
「でもこのタイミングでまた会いたいなんて、やっぱ
「ええ、そうよ。ローラさんはああ言ってたけど、今回も私達に話が回ってくるのは最後の最後になるでしょ。いえ、それどころかまた蚊帳の外になる可能性も高いわ」
トレーを置いて対面の席に座るジェシカにヴェロニカは頷いた。
「ああ、まあ……確かにそうだよなぁ。ローラさん、あたし達に大分気を遣ってるっぽいし」
ジェシカが頭を掻きながら肯定する。彼女達自身がそれを望んでいるというのに、肝心のローラが彼女達を戦いに巻き込む事を憂いているのが原因だ。
「そうよ。ねぇ……だから今回も私達の方で勝手に動いちゃわない? 前みたいに
そしてそれには魔物などを探知する嗅覚に優れたジェシカの協力が必要不可欠であった。
「う、うーん……。ローラさんに黙って動くのはなぁ……」
やや消極的な態度のジェシカ。彼女はまだ大学生だし卒業後も友人達とミュージシャンを目指すようなので、ヴェロニカのような勤め人の哀愁とは無縁だろう。そのためこの件に積極的に関わりたいという動機がヴェロニカよりも薄いのは仕方ない。
「お願い! ジェシーだけが頼りなの! ローラさんに危機が迫ってるのに、またあんな風に除け者にされて肝心な時に役に立てないなんて事態はあなたも嫌でしょう?」
「……! そりゃまあ……」
ローラの危機という言葉に反応するジェシカ。ヴェロニカは手応えを感じて内心でほくそ笑んだ。
「ローラさんを助けるためよ。大統領府からも狙われるかも知れないって考えたら、絶対にミラーカさん達だけじゃ手が足りなくなるわ。私は後になってから後悔したくないのよ。だから――」
「――ああ、解った! 解ったよ! アタシも協力するよ。確かに今回もヤバそうな臭いがプンプンしてるしな。これもローラさんを守る為だ」
ジェシカが降参といういう風に両手を上げて受諾した。ヴェロニカは心の中で喝采を上げた。
「やった、そうこなくちゃ! それじゃ今日から早速
ジェシカに再度『ローラの安全』を強調する事で念を押すヴェロニカ。その後ファーストフード店で食事を終えた2人は街に繰り出す。
「ミラーカさん達は街に『陰の気』が漂ってるって言ってたけど、どう? 何か感じる?」
「うーん、どうだろ。そう言われてみると確かに人間じゃない嫌な臭いも感じるんだけど……街全体に漂ってて特定は難しいかなぁ」
人狼だけあってジェシカの嗅覚は並外れているが、それでもいきなり手掛かりを見つけるのは流石に難しいようだ。
「まあ仕方ないわね。でも今までの傾向から言っても人外が街中で暴れ回るというケースは少ないわ。もっと人気の少ない区画の路地裏なんかを探ってみましょ」
「ええ、大丈夫か? そういう所は人外じゃなくてもヤバいジャンキーとかギャングとかが屯してるかもだぜ」
一昔前に比べたら治安も向上しているLAだが、それは表から見える部分だけで、一般人や旅行者などが寄り付かないような場所はまだまだ危険な所も多い。だが……
「何普通の女の子みたいな事言ってるのよ。そんな奴等、人外に比べたらどうって事ないでしょ。襲ってくるようなら返り討ちにしてやればいいのよ」
事も無げに言うヴェロニカ。自衛のために力を使う分には問題ないだろう。そんな事よりこの件に積極的に関わりたいという欲求を満たす方が重要であった。
LAの中では『比較的』治安の悪いサウスLA地区。2人はその地区でも特に人気が少なく治安が悪いとされている通りへ向かう。路地裏ともなると日中にも関わらず空気が淀んでいて、如何にもな雰囲気が漂っている。
こんな所に女の2人連れで来るなど
「変ね……。いくら人気が無いとはいっても、こんなに誰も居ない事ってある?」
ヴェロニカが周囲を見渡して眉を顰めるが、ジェシカはそれに反応せずに若干顔を引き攣らせている。
「……あー、先輩? もしかしたらもしかするかも知れないぜ。何かヤバい臭いが滅茶苦茶強くなってる」
「え……!?」
ヴェロニカはギョッとしてジェシカを見やった。だが彼女は不快気に顔を顰めており、嘘を言っている様子はない。まさかこんなに早く
「どうする? 臭いの元を辿るのは簡単だけど……ローラさんかミラーカさんに連絡した方がいいんじゃ……」
「ここまで来て何言ってるのよ。ローラさんを守ろうっていうのにそれじゃ本末転倒でしょ。当然私達で倒すか捕まえるかするのよ。そこまで行くわよ」
やや消極的な様子のジェシカの尻を叩いて臭いの元を追跡させる。そこは隣り合った二つの建物の塀によって作られた間隙のような場所であった。日中だというのに薄暗く、殆ど日の光が当たっていない。
そこに……
「……っ! あ、あれは何!?」
それは一見すると真っ黒い人型のシルエットをした何かであった。しかしよく見るとその黒い身体は細かく蠢動しており、何か黒い微細な集合体が人型を取っているかのようであった。
そしてその『顔』。そこには人間のような顔が付いていた。しかしその顔は明らかに生きた人間のそれではなく、どうも
「……ッ!!」
そのあまりにも悍ましい異形に、ヴェロニカもジェシカも顔を青ざめさせて後ずさりして、反射的にこの場から離れようとする。
だが……彼女らは寸での所で踏み止まった。この謎の怪物を倒さねばという使命感から……ではない。彼女らの視線の先、怪物と
「せ、先輩、あれ……!」
「……! なんで、こんな所に
そう。それはどう見ても年端も行かない子供であった。薄暗い路地裏でも輝くような
「……っ! やめなさい!!」
考えるより先に動いていた。ヴェロニカが手を翳すと、その手から『衝撃』が発生して黒い怪物を打ち据えた。怪物の身体が激しく揺らめいて何か黒い微細な物体が飛散したが、すぐに元通りになってしまう。だがその子供から注意を逸らす事は出来た。
顔の皮を張り付けただけの『顔』がこちらを向いた。
「ジェシーはあの子をお願い!」
「わ、解った!」
『衝撃』を喰らってから元通りになる様子を見る限り、どうもあの怪物はジェシカとは相性が悪そうな気がした。それにどのみち子供が見ている前で人狼に変身は出来ない。
怪物がこちらに向けて『手』を翳してきた。するとそこからあの黒い微細な粒のようなものが渦を巻いて射出された。
「……!」
ジェシカはそれを躱しつつ飛び込んで、あの子供を背中に庇うような位置取りになる。ヴェロニカは『障壁』を張ってその黒い渦をガードした。
「う!? こ、これは……!」
その黒い無数の物質は間近で良く見ると、翅の生えた
(冗談じゃないわ!)
ヴェロニカは力を溜めて『弾丸』を撃ち込む。『弾丸』は突貫力に優れた攻撃で、見事その黒い怪物を貫通した。
すると意外な事が起きた。その怪物はまるで水風船が弾けるように黒い虫が飛散して崩れ落ちてしまったのだ。地面に落ちた大量の黒い虫達は文字通り蜘蛛の子を散らすように路地の影や隙間に入り込んで消えていく。
その後にはただ白い
「な、なんだったのよ、一体……」
ヴェロニカは呆然とその散らばった骨を見下ろした。これがLAに現れた『新たな人外』なのだろうか。だがその正体が全く掴めない。
「お、おい、大丈夫だった…………っ!?」
一方で襲われていた子供を庇っていたジェシカは、とりあえず脅威が去ったと見てその子供に向き直って安否を確認する。いや、正確には確認しようとした。しかし子供に向き直った彼女は、何かに驚いたように硬直して目を見開く。
「ジェシー? どうしたの…………っ!?」
それに不審を抱いたヴェロニカが同じようにその子供を見て、やはり硬直した。といってもその子供が二目と見られない容姿をしていた訳では無い。むしろその
艶のある緩やかな金髪。吸い込まれそうな青い瞳、生まれてから一度も汚れた事が無いのではという滑らかな白い肌。神が精緻に造形したかのような整ったあどけない容貌。それは……このような寂れた裏路地には似つかわしくない、極めて美しい
「あ、あの……ありがトう、お姉ちゃん達」
訛りのある辿々しい英語で礼を言う美少年。どうやら非英語圏の外国人らしい。だがその声もまたベルを奏でたような美しさだ。
「あ、あー……ぼ、僕? 名前は? どこから来たんだ?」
ジェシカが普段の彼女からは考えられないような
「僕……イリヤと言いマす。
名前からしてロシア人のようだ。この路地裏に迷い込んであの怪物に襲われたという所だろうか。なんとも不運な少年だ。しかしヴェロニカ達の救援が間に合ったのは不幸中の幸いであった。
「そうだったの……。とても怖かったわね。でももう大丈夫よ。お姉ちゃん達、とっても強いの。それに警察の人とも知り合いだから、お母さんの事もすぐに見つけてあげるわ」
ヴェロニカも急に母性に満ちた優しい女性に
「ローラさんに報せるのか?」
「それが一番でしょ。どっちみちあの怪物の事も報せないといけないし」
あの怪物は逃げただけで死んではいないように思われる。実際に人外と遭遇してしまった以上、もう無関係ではない。この件に関わるという彼女の目的は既に果たされているとも言えた。
「さ、早くこんな所から出ましょ、イリヤ。お腹は空いてない? お姉ちゃんが好きなものを食べさせてあげるわ」
「う、うん、ありがト、お姉ちゃん」
イリヤが遠慮がちに上目遣いの表情でお礼を言う。それだけであまりの可愛さにヴェロニカは悶絶しそうになった。自分はてっきりゲイだと思っていたが、そういう訳でもなかったようだ。見るとジェシカもちょっと危ない顔付きになっていて、イリヤから目を離せない様子であった。
イリヤを促して路地裏を後にするヴェロニカ達。しかしイリヤに目と意識を奪われていた彼女らは、
なので気付かなかった。暗い路地のあちこちに先程ヴェロニカが倒したものと全く同じような、それも
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