Episode7:尋問
LAのサンセット大通りにある瀟洒なオープンカフェ。そのテラス席の1つにセネムは緊張した面持ちで座っていた。今日これからここで人と会う約束をしているのだ。しかしそれが断じて甘い逢瀬などでない事は彼女の様子と表情が物語っていた。
約束の時間よりかなり早く着いてしまった事も彼女の緊張の度合いを現している。
(……落ち着け。何もやましい事などない。組織がアメリカ政府と関係があるなどという話は聞いた事も無い。つまり間違いなく偶然、別件の用事だろう。ならば堂々としていればよいのだ)
そう自分に言い聞かせる。大統領府のエージェントが派遣されているという時期とタイミングが重なった事でミラーカが不審を抱いた。それを聞いてから、ただでさえ対面で会うには緊張する雲上人だというのに、更に余計な精神的負荷を感じてしまうようになっていた。
そして約束の時間が来ると……
「お? 何だ、もう来てたのか?」
「……っ!」
テラス席に入るや気さくな様子で片手を上げて話しかけてくる男性。周囲にいる他の客やウェイターの視線が一瞬彼に集中する。その男性はこの自由の国アメリカにあっても目を引く衣装を身に纏っていた。
一目でアラブ系と解る特徴的な容姿に加えて、紫を基調としたゆったり目の衣装にヒョウ柄の肩掛け、そして頭にはシュマッグと呼ばれる赤と白のチェック柄の被り物。もうどこからどう見てもアラビア半島からやってきましたと全身で主張しているような外見であった。
セネム自身もスカーフで頭を覆ったムスリム女性のシックな装いなので、この2人がオープンなテラス席にいると余計に目立った。
「サ、サディーク
「――おっと、一応
アラブ人――サディークが、思わず立ち上がって礼を取ろうとしたセネムを手で制する。こんな目立っていてお忍びもなかろうがとは思うが、恐らく彼の
彼の本名はサディーク・ビン・アブドゥルジャリール・アール=サウード。つまりサウジアラビアのれっきとした王族なのだ。それも現国王の第六王子という位置にいる高位の王族だ。
といってもセネムはイラン人なので、彼を畏敬しているのは主に組織での位階第2位という実力に対してであったが。
「まあ座って楽にしろや。ったく、この街は随分暑いな! 乾燥しまくってるし、
「は、はぁ。確かにそうですね」
その身分からは想像もできないラフな仕草で、ドカッと対面の席に座りながらボヤくサディーク。セネムは曖昧に
運ばれてきたアイスティーで喉を潤しながらサディークが再び口を開いた。因みに2人はアラビア語で話しているので、このようなテラス席で堂々と話していても殆ど周囲の人間に会話の内容が漏れる心配はない。『ペルシア聖戦士団』の者は最低でもアラビア語とペルシャ語の二か国語を喋れなければならない規則がある。
「しっかしまあ賑やかな街だよなぁ。人も娯楽も何でも揃ってる。生まれ故郷を悪く言いたかないが、リヤドよりもよっぽど刺激に満ちてる感じはするな」
「…………」
「お前がこの街に渡ってもう1年近くは経つよな? なのに未だに戻ってくる気配もない。もしかして男でも出来たか?」
「……っ!? な、なにを……そのような事にかまけている余裕はありません! この街に巣食う魔の者を駆除するという使命があるのですから……」
セネムが思わず飲み物に咽せそうになりながらも答えると、サディークが意味深な笑みを浮かべる。
「おや、そうなのか?
「っ!!」
セネムは驚愕に目を見開いて硬直した。といってもジャックとの関係を見られた事自体に驚愕したのではない。それはつまり……サディークは最低でも三日前からセネムの行動を
監視されている事に全く気付かなかった。彼と自分の戦士としての実力差を考えるとそれは仕方のない事ではあったが。
しかしそうなると今日のローラ達との会合に集まる時も見られていた可能性が高い。流石に会合の
(……どこまで知っている? 何が目的だ?)
セネムは無意識のうちに探るような表情になる。それを受けてサディークは内心でどう思っているのかは解らないが、皮肉気な笑みを浮かべる。
「今回俺が直々にアメリカに……この街に来たのは他でもねぇ。何でも今この街は大層
「……!!」
セネムの緊張度合いが増す。
「お前が関わった『ランプの精霊』以外にも、何やら化け物の見本市みたいな状況になってるそうだな?」
「それは、まあ……その通りです。だからこそ私はこの街で魔を滅する任務を志願したのです」
様々な怪物達が街で暴れてきたのは事実なので、それを否定するのは不自然になる。慎重に言葉を選びながら肯定する。
「だよなぁ。だがそこに関してどうしても分からねぇ事が一つあるんだよ」
「……それは?」
「お前、
「……ッ!」
セネムは目を瞠った。心臓が跳ねた気がした。
「ど、どうやって、とは……?」
「とぼけんなよ。お前の戦士としての腕は知ってる。明らかにお前1人の手には負えねぇはずの化け物共をお前はどうやって倒したんだ?」
サディークの目が眇められ雰囲気が変わる。その身体からこちらを威圧するかのように、僅かな霊力が溢れ出ている。セネムの心臓の動悸が激しくなり、冷や汗が滲み出る。
(ローラ達の事を探っている!? 大統領府のエージェント達が『特異点』を捜しているだろうと思われるこのタイミングで? これは偶然なのか……!?)
本当にサディーク個人がただ興味本位で聞いてきているだけなら、ローラ達の存在を明かすのは問題ないはずだ。だが……あり得ない可能性だが、もし万が一彼がアメリカの大統領府と何らかの繋がりがあったとしたら。
その場合ローラの存在を明かすと、彼女がこの街で起きた人外事件と常に深く関わっているという事実にすぐ行き当たるだろう。そうなれば彼女自身が人外を呼び寄せている
「……あの
「ふん、なるほどねぇ」
サディークが顎を掻いて思案顔になる。かつてアメリカに再訪するための条件として請け負った任務。あれもセネムの実力では達成困難と言われていた事件だが、彼女は見事成し遂げた。説得力はあるはずだ。
だが思案顔になっていたサディークが再び人の悪そうな笑みを浮かべる。
「……そういや悪かったな。
「っ!!」
セネムは何度目かの心臓が跳ねる感覚を味わった。やはり今日の会合に集まる所を見られていたのだ。しかも『女子会』と表現するからには、あの会合に参加した他のメンバーも見られているはずだ。
「いや、イスラム教徒のお前が一年足らずで、この街であんなにアメリカ人の友人を作れたのは驚きだな。しかも……
「――――」
仲間の内ミラーカ、ジェシカ、シグリッドは人間ではなく魔力を持った魔物である。勿論普段は巧妙に抑えているはずだが、サディークほどの超戦士であれば看破するのは容易い事だろう。
もう駄目だ。完全に怪しまれている。ここからサディークを納得させられるような誤魔化しは不可能だろう。
(……覚悟を決めるしかないか)
組織と訣別する覚悟。そして場合によってはアメリカ大統領府と事を構える覚悟。彼女はそれらよりもローラを守る事を選択した。もし目の前の男がそれを阻む障害となるなら一戦も辞さない覚悟だ。
セネムの腕では到底勝ち目はないだろう。だがそんな事は関係ない。信念と守るべきものの為なら人は常ならぬ力を発揮する。先程サディークに言った言葉はただの誤魔化しではなく、彼女の本心からの言葉でもあった。
セネムの身体から静かな闘気と霊力が発散される。だがサディークはそれに気付いていないはずはないのに、相変わらずふんぞり返った姿勢でへらへらと笑みを浮かべている。セネムなど簡単に返り討ちにできるという自信の表れか。
その態度に屈辱を感じたセネムは、その怒りも原動力に加えて先手必勝とばかりに腰を浮かしかけて――
「――セネムさん! 再びお会いするなんて奇遇ですね!」
「っ!!」
聞き覚えのある声が耳朶を打ち、セネムは寸での所で制動した。声のした方に視線を向けると、案の定そこには修道服姿の少女モニカが佇んでいた。
「モ、モニカ……」
「丁度遠くからセネムさんのお姿が見えたので挨拶しようと思ったんですが……お取込み中でしたか?」
可愛らしく小首を傾げながら問うモニカ。だがその見かけ上の態度とは裏腹に、彼女が緊張を孕んだ霊力を僅かに発散している事にセネムは気付いた。恐らく遠くからセネムを見かけたというのは事実だろうが、敢えてこのタイミングで声を掛けてきたのは一触即発の状況を見抜いて彼女を止める為に違いなかった。
「あ、いや、これは……」
「ああ、構わねぇよ。丁度用事も済んだ所だ。俺はもう帰るから、あとは友達同士で仲良くやんな」
咄嗟にしどろもどろになるセネムとは対照的に、落ち着き払った態度のまま立ち上がるサディーク。
「いや、今日は
「……っ」
セネムの肩を気安げに叩くと、そのまま悠然と立ち去っていくサディーク。セネムはやや青ざめた顔で唇を噛み締め、その後ろ姿を見送る事しかできなかった。あのまま仕掛けていたら彼女は確実に死んでいた。彼女はモニカに
「セ、セネムさん……。今のがそのサディークという人ですか? 私にはあの人が人間には見えませんでした。まるで刃物のような鋭い抜き身の霊力の塊が恐ろしいまでの霊圧を発散している……。そんな
モニカが僅かに身を震わせながら問い掛けてくる。セネムは厳しい表情のまま首肯した。
「ああ……その認識はあながち間違いではないな。だがその
「……!」
モニカが息を呑んだ。だが勿論セネムを責めるような事はしなかった。むしろあの怪物の圧力にある程度抗したというだけでもセネムの胆力を讃えたいくらいであった。
しかしこの
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