Episode5:女刑事と吸血鬼

 それは異様な死体であった。肉という肉が削ぎ落されて、ほぼ・・全身の骨が剥き出しになった、元の面影が一切分からない死体。


 勿論アフリカのサバンナの真っ只中で野垂死ねば、ライオンやハイエナ、ハゲワシなどの肉食動物に食い散らかされてこのような死体が出来上がる事はあるだろう。だがここは大都市ロサンゼルス・・・・・・の只中であり、そのようなスカベンジャーなど棲息していない。


 更にいうなればここは空調の効いたオフィスビスの一室であり、この死体は直前まで同僚と話をしていて、部屋で1人になった数分後・・・にその同僚が戻ってきたら今のような姿になっていたというのだ。もうその時点で尋常な状況ではない。


 その部屋は現在ロサンゼルス市警・・・・・・・・によって封鎖され、鑑識による厳重な調査が行われている真っ最中であった。


 この事件の捜査責任者であるローラ・ギブソン警部補は、自らが直接現場に足を運んで事件現場を厳しい目で睥睨していた。彼女は事件のあらましを聞いた時点で、自分が直接現場に出向く事を決めていた。恐らく自分でなければ・・・・・・・分からない痕跡を見極める為に。



「警部補!」


 そこに彼女の部下であるツァイ・リンファ刑事が、相棒のアマンダ・ベネット刑事と一緒に駆け付けてきた。リンファは童顔の中国人だが、こう見えて武術の達人である。


「どうだった? 何か有用な話は聞けた?」


「は、はい。被害者はコリン・ウェルシュ。42歳。この会社の営業部門の責任者で、特に同僚とのトラブルはなかったようです」


「金銭関係のトラブルや怨恨の類いもないようです。また独身で交際している相手も特にいないとか」


 リンファとアマンダが交互に聞き込みの結果を伝えてくれる。その辺りは通常捜査のセオリーだ。だがこれは明らかに通常の・・・犯罪ではない。


「対人関係はいいわ。それより言った事は調べてくれた? 彼の趣味や行きつけの店、通っていた施設やクラブなどの情報は?」


「あ、そ、それなら、同僚の方々の知る範囲で聞けるだけ聞いてきました」


 リンファ達が集めた情報を聞くローラ。と言ってもこれらの情報単体では犯人の絞り込みは不可能だ。だが彼女のこれまでの経験・・・・・・・から培われた勘は、同じ犯人による事件はこれでは終わらないだろうと告げていた。その時に今集めた情報が活きるかもしれない。そう見越しての指示であった。



*****



 事件の捜査やその指揮のために夜遅くまで働き、ようやくアパートに帰宅したローラ。玄関のドアを開けるとすぐに心地良い香りが漂ってきた。それでローラは今夜は恋人・・が在宅していると判った。


「お帰りなさい、ローラ。遅くまで大変ね」


 そう言って彼女を出迎えてくれたのは、艶のある長い黒髪が特徴的な絶世の美女であった。


「ただいま、ミラーカ。ホントにクタクタよ」


 ローラはバッグを放ってスーツを脱ぎ捨てると、だらしなくソファに沈み込んだ。ミラーカがそんな恋人に苦笑して、すぐに彼女の好きな銘柄のウィスキーをロックで淹れてくれる。


 ミラーカは女性専門のコールガールを職業とする女性であったが、その仕事をしているのには理由・・があった。割と時間の自由が利く仕事なので、こうして夜は仕事で疲れて帰って来たローラを出迎えてくれることが多い。


「お疲れ様。また何か凶悪事件の捜査を任されたりしたの? ……最近また街に妙な『陰の気』を感じるようになっていたから、それと関係なければ良いのだけど」


「……! 何ですって?」


 ウィスキーで喉を潤しながらも、目を見開いたローラは身を乗り出す。ミラーカの正体は500年の時を生きる吸血鬼・・・であった。彼女は魔物の放つ『陰の気』を感じ取る事が出来る。その感覚はローラも信頼を置いていた。


「実は今回の事件、人外絡み・・・・の可能性が高いのよ。もしかしたら関係があるかも知れないわ」


 通常例え家族であっても警察の捜査状況を民間人に話す事はあり得ないが、事が人外絡みとなると話は別だ。ミラーカは人外絡みの事件において最も頼りになるパートナー・・・・・なのだ。そのミラーカが少し呆れ顔になる。 



また・・なの? 早速あなたの『特異点』としての特性が効果を発揮しているという訳?」



「言わないで、現実逃避したくなるから」


 ローラは嘆息してかぶりを振った。この街に人外の存在を呼び寄せ続けているのは、他ならぬ彼女自身・・・・であった。だが彼女もミラーカも、それを織り込んだうえで逃げない事を決意したのだ。


 しかし自分が怪物を呼び寄せておいて勿論放置はできない。彼女は……いや、彼女達・・・は『ピースメーカー』として、この街に現れる人外を狩る使命を自らに課した。そしてどうやら今回の案件はソレ・・に該当しそうだ。


「『ピースメーカー』としてはそうも言っていられないでしょう? 私も独自にこの『陰の気』については調べておくから、お互いに何か解ったら情報交換しましょう」


「ええ、そうね。ありがとう、頼むわ」


 今更遠慮する事はない間柄だ。ローラは素直にミラーカの助力を感謝した。



「昨日モニカとセネムに会ったんだけど、彼女達も同様に邪気を感じ取っている様子だったわ。あの2人にも協力を要請しておいた方が良いわね」


 ミラーカが挙げた2人は共に魔物退治のプロとでもいうべき存在で、人外絡みの案件では非常に頼りになる存在だ。


「ジェシカとヴェロニカにも知らせておくべきかしら?」


「うーん、あの子達は自分の生活があるし、とりあえず今は知らせないでおきましょう。もし本格的に人外との対決が避けられない状況になってきたら改めて協力を要請する事があるかもだけど。シグリッドも同じね」


 ローラは少し考えた末に答える。ジェシカ、ヴェロニカ、そしてシグリッド。いずれも過去に彼女を支えてくれた頼もしい仲間達だが、今現在はそれぞれ自分の生活や学業、仕事に精を出している。彼女らは前述の2人と違って魔物退治が本業という訳ではないので、余程の事態でなければ巻き込むのは避けたい。


「解ったわ。それじゃ明日から早速調査開始ね。こういうのは早ければ早いほど犠牲になる人の数も少なくなるし」 


 ミラーカの言葉は事実だ。逆に言えば魔物を狩る日が遅くなるほど犠牲者は増えてしまうという事だ。ローラとしては色々な意味でそれは避けたいので、なるべく迅速に魔物を見つけ出さなければならない。



「そうね。じゃあ今日はもう寝るわ。夕食は済ませたし、シャワーは明日の朝に手早く済ませちゃうし」


「あら、ただ寝るだけ? あなたも疲れてるでしょうし、よく眠れるおまじない・・・・・をしてあげる。最近ご無沙汰だったでしょう?」


 ミラーカが妖艶な雰囲気になって微笑む。この雰囲気には憶えがある……というより馴染み深いものだ。彼女の欲望・・が高まっている時のサインだ。そしてローラは彼女のこの雰囲気に弱かった。


「そ、そうね。よく眠れるおまじない・・・・・は確かに必要ね」


 生唾を呑み込んだローラは、ミラーカにいざなわれるままに寝室へと姿を消すのであった。



*****



 ミラーカから元気・・を貰ったローラが、この『肉剥ぎ殺人事件』の捜査を継続していたある日、彼女の携帯が鳴った。


「……!」


 それは彼女の友人である新聞記者のナターシャからであった。事件の捜査中だと出ない事もあるが、今は人外絡みの事件が起きているというこのタイミングで彼女から電話が掛かってきたという事の方が気になった。彼女の人外事件に関する嗅覚は相当なものだ。


「もしもし、ナターシャ?」


『ハイ、ローラ。久しぶりね。今は例の事件の捜査中かしら?』


 前置き無しでいきなり本題に入るナターシャ。これも彼女が重要な用件をローラに伝えようとしている時の特徴だ。


「そうよ。それが解ってて掛けてきたんだから、よほどの用事なんでしょうね?」


『勿論よ。つい先日私用でクレアと話す機会があったのよ。その時にもしかしたらあなたにも関係があるかもって話が聞けたの。クレアからも内密であなたに伝えておいてって頼まれたし』


「……! クレアが?」


 クレアはFBIの捜査官であり以前はこのLA支局に在籍していたが、現在は首都DCにある本部へ異動していたはずだ。ローラとは組織の枠を越えた友人関係でもある。



『そうなの。ロサンゼルスで凶悪な人外事件が頻発している理由。どうやらホワイトハウス・・・・・・・も関心を寄せてるみたいなのよ』



「……っ!?」


 ローラはギョッとして目を瞠った。以前にNROに所属する元カレ・・・が現れた事があるが、どうやら彼女の想像以上の大事になっているのかも知れない。


『FBIは現在のウォーカー大統領とは折り合いが悪いらしくて、クレアも詳しい内実までは分からないそうだけど、どうもこの街で人外事件が頻発している原因・・を調査するために大統領府からエージェントが派遣されてるらしいわ』


「な……エ、エージェントですって? 大統領府の?」


 ダイアン・ウォーカー大統領は2年近く前に代替わりしたこのアメリカ合衆国の初の女性元首だ。保守的な国民党の大統領だが、実は選挙の際はローラも彼女に投票していた。尤もこのカリフォルニア州は元来リベラルで自由党の牙城と言われており、前回の選挙でも結局州の選挙人は自由党のゴードン候補を選んでしまっていたが。


 そのウォーカー大統領がこの街の人外事件と、それが頻発する原因・・に関心を持っているというのだ。



『そう。でも気をつけて。クレアによるとそのエージェント達は、いずれも恐ろしい戦闘能力を持った人外事件の専門家スペシャリスト集団らしいわ。そして彼等は、人外事件を引き起こしている原因の調査と……排除・・を命令されている可能性が高いとの事だったわ』



「……ッ!!」


 ローラは再び目を見開いて、身を震わせた。この街に人外を呼び寄せている原因はローラ自身・・・・・だ。そしてその大統領の命令を受けたエージェント達は『原因の排除・・・・・』が目的だという。それはつまり……


「……っ」


 国家権力に命を狙われる自分を想像して彼女は足元が崩れるような感覚を味わった。人外の事件も深刻だが、これはある意味でそれ以上の事態だ。


「ま、まだ……その原因の特定は出来ていないのよね? 調査って言ってたくらいだし」


『そうね……多分だけど。あなたも仕事で忙しいとは思うけど、近いうちに皆を集めて状況を説明しておいた方がいいんじゃないかしら?』


 ナターシャが提案する。彼女もまたローラの秘密を知る1人だ。確かに仲間たちにも報せるだけは報せて、情報を共有しておいた方が良いかも知れない。


「そう、ね……。解ったわ。皆には私から連絡する。あなたもその場に呼んでいい?」


『勿論よ。私に出来ることがあれば喜んで協力するわ』


「ありがとう、ナターシャ」


 ローラが国家権力に命を狙われるかも知れないと解っていても彼女の態度に変化はない。それがローラにはありがたかった。他の仲間たちもそうだと思いたい。



 ナターシャとの通話を切ったローラは、人外事件以外にも先行きの見えない不安に憂鬱な溜息を吐くのであった……



**************************************


※ローラ以下名前の出たキャラクターは全員、前作に当たる

『女刑事と吸血鬼 ~妖闘地帯LA』

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885537927

の登場キャラクターとなっています。宜しければ是非こちらも読んでみて下さい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る