Episode24:過去の精算

「……ッ!?」


 戦場にあのマチルダが乱入してきて、よりにもよってビアンカと戦いを始めてしまい、ユリシーズは内心で凄まじく動揺した。流石に更なる乱入は予測していなかったので、これ以上の隠し玉は彼も持っていなかった。


 驚いた事にマチルダは猫の獣人のような姿に変身していた。あれはシカゴの『獣人』達と同質のものだとユリシーズはすぐに気付いた。そして同時に彼女がシカゴに派遣されていた本当の目的・・・・・にも。


 幸いにしてマチルダとビアンカの戦力は拮抗しているようで、すぐにビアンカがやられるという様子は無かった。なのでとりあえずタブラブルグは、より脅威度の高い仙獣橿貂の足止めをそのまま継続させる。


 だが戦力的には何とか均衡を保てたものの、それ以外の部分・・・・・・・でユリシーズは激しい焦燥を感じていた。


(マチルダの奴……ビアンカに余計な事・・・・を言ったりしてないだろうな……!?)


 彼としてはビアンカに敢えて明かすつもりもなかったマチルダとの関係を暴露されるのはあまり宜しい事態とは言えなかった。しかも彼自身が隠していた事を当のマチルダから暴露されるというのは最悪だ。こんな事ならアラスカでの任務報告書を見た段階でビアンカに、マチルダとの関係を打ち明けておくべきだったと激しく後悔した。


 だがそれは今更悔やんでもどうにもならない事だ。今はとりあえず目の前の敵を撃退する事に意識を集中すべきであった。俊龍と鍠呀は雑念・・を抱いた状態で戦えるような甘い相手ではない。



「砕把ッ!!」


 上仙である俊龍の体術と、仙獣鍠呀の雷撃による間断ない攻撃がユリシーズを襲う。だが彼は遠近両用の魔術を駆使してそれを迎撃し、自身もまた人間離れした身体能力と体術で反撃していく。


 俊龍達の連携による攻めは隙がなく、ユリシーズも上級の攻性魔術を練り上げる余裕は無かった。なので最初からそれを選択肢に入れずに、隙の少ないヴェルフレイムやヴェルブレイドなどの基本魔術を中心に堅実な戦い方をしていく。


 地味な戦術ではあるし、こちらから積極的に攻めなくては勝機は掴めない。……これが普通の戦いであれば。だが今は……


「はっ、どうした、猛獣使い野郎。顔色が悪いぜ? もうへばったのか?」


「ぬぅ……!」


 ユリシーズの揶揄に、しかし俊龍は唸るだけで反論しない。何故ならそれは事実であったから。



 彼が召喚している仙獣が鍠呀一体だけであれば問題なかったが、もう一体橿貂も召喚している状態である事がここに来て響いてきた。いかに上仙といえども仙獣の同時召喚は『気』の消耗が著しい事はリキョウが証明していた。


 さりとてここで橿貂の召喚を解除すればタブラブルグがフリー・・・になってユリシーズに加勢する事になるので、召喚を解除する訳にも行かない。


 ここで彼にも『紅孩児』の部下達が加勢して来ればまた状況は変わっていただろうが、何故か部下達は相変わらず彼の招集に応えようとしない。


(おのれ……こんな馬鹿な……! この私が、周主席から賜った任務を達成できないなどという事が……!)


 状況が半ば詰んでいると悟った俊龍が、内心で激しい怒りと苛立ちに慟哭する。だがこのままでは玉砕するだけで、それは何の意味もない犬死でしかない。俊龍は葛藤の末に決断した。


「戻れ、橿貂! ……憶えておけ。この借りは必ず返すぞ!」


 俊龍は橿貂の召喚を解除すると、凄まじい目付きでユリシーズを睨み付ける。そして鍠呀の雷撃で彼を牽制しつつ、人間離れした速度で一目散に撤収していった。



 ユリシーズもビアンカを放って俊龍を追撃する訳にもいかないので、その背中を見送るのに留めた。


「ふぅ……どうにか撃退できたか。さて……早いとこあっち・・・を収めないとな」


 彼は戦闘態勢を解いて息を吐きつつ、続けて別の意味・・・・で憂鬱な溜息を吐くのであった。





 一方でサディークとセルゲイの超常対決も終わりを迎えようとしていた。といってもどちらかが倒された訳ではない。


(……中国の工作員が乱入してきた時はこちらに利するかと思われたが、どうやらそれも失敗に終わったようだ。この上は任務達成を断念するしかないか)


 サディークと戦いながらセルゲイは冷静にそう判断していた。『トリグラフ』の部下達が彼の招集に応えなかったという異常事態が最たる要因だが、この護衛達の強さが予想外だった事も一因だ。


 あのアラスカでの任務の時もこの連中とは別の護衛達と事を構えたが、やはり超人的な強さの持ち主であり、実力的にはセルゲイと同じアルファ級のサイ能力者であったメリニコフが討たれている。しかも被験体の【ナンバー・ゼロ】も奴等に懐柔されて取り込まれたと聞いている。


(現状の戦力では『ファーストレディ』の奪取は不可能か、極めて困難である事は確かだ。対米工作の根本的な見直しが必要かも知れん)


 そう判断を下したセルゲイは撤収を決断する。既に中国の工作員が撤収した以上、このまま戦い続けていると彼が集中攻撃を受ける羽目になる。アラスカの時と同じような状況での撤収は極めて癪だが、背に腹は代えられない。


「どけっ!」


「うおっと!?」


 セルゲイが全方位に拡散する念動波を放ってサディークを牽制する。そして彼が怯んだ一瞬の隙にテレポートで距離を開けた。


「……任務は失敗だ。これ以上の継戦は無意味。撤収させてもらう」


「ああ!? てめぇ、逃げる気か!? 折角最高に盛り上がってきた所だってのによ!」


 サディークが目を吊り上げるが、セルゲイは構わずに撤収用に予め設定・・してあった座標に向けて、長距離用のテレポートを発動してこの場から消え去った。 



「……ちっ、消化不良もいい所だぜ。だがアイツが逃げる前に決着を付けられなかったのも事実か。俺もまだまだ修練が必要だな」


 今までの戦闘用のテレポートとは異なり、セルゲイが完全にこの場からいなくなった・・・・・・事を悟ったサディークが、不満を漏らしつつも自らが決して万能ではない事を再認識し、自省の呟きを漏らすのだった。





「……ッ!」


 消耗戦になりながらも互いに戦いを継続しようとするビアンカとマチルダ。だが2人の女の意地の張り合いに乱入してくる者が。


 マチルダに向かって火球・・が放たれる。あのユリシーズと関係があるらしいヒスパニック女性だ。ビアンカは気付かなかったが、いつの間にかあの黒い鼬が消えていた。それでフリーになった女性がこちらの戦いに介入してきたのだ。


 マチルダは顔を引き攣らせながらも必死に火球を避けた。ビアンカはヒスパニック女性の方に視線を向けて目を吊り上げる。


「ちょっと、邪魔しないでよ! 私だけでやれるわ!」


 無粋な横槍を入れられた事と女性への反感も手伝って怒鳴り付けるが、女性は全く意に介した様子もなくかぶりを振った。


「そのまま続けていればあなたが勝っていたかも知れませんが、負けていた可能性も同程度にあります。ならば御主人様・・・・のご命令通り、あなたを救援する必要があると判断しました」


「……!」


 負けていた可能性もあると冷静に指摘されて、ビアンカの頭が少し冷えた。そうだ。自分はこんな所で死ぬ訳には行かない。回避できるリスクは極力回避せねばならないはずであった。



「……っ。中国もロシアも撤収したようね。じゃあもうタイムオーバーって事ね」


 マチルダは顔を歪めて呟く。見るとユリシーズも複雑そうな表情でこちらに視線を向けていた。ビアンカもいるこの状況で彼と直接言葉を交わすと、色々な意味で自制が効かなくなりそうだ。マチルダの女としてのプライドがそれを許さなかった。


 どのみち彼女1人ではこの目の前の悪魔にも勝てないだろうから、残念だがここは撤収する以外に選択肢は無かった。ユリシーズも彼女が素直に退くのであれば、敢えてこの悪魔に追撃を命じる事はしないだろうという確信があった。


「……ここは退くしかないようね。また会いましょう、お嬢ちゃん……いえ、ビアンカ」


「……!」


 ビアンカが僅かに目を見開く。マチルダはそれ以上彼女と言葉を交わす事無く、最後にユリシーズにもう一度だけ視線を向けると、後は脇目も振らずに猫獣人の脚力を活かして素早く撤収していった。



*****



「ビアンカ、無事か!」


 マチルダが去ったのを確認してからユリシーズが駆け付けてくる。しかしビアンカは何となく彼に対して素直になれなかった。


「ええ、私なら大丈夫よ。お陰様でね」


 そしてついふてくされたように皮肉気な態度を取ってしまう。


「大丈夫じゃないだろ。一つ一つの傷は小さくても、それが重なれば出血は馬鹿にならん。とりあえず俺の魔力で応急処置してやる。腕を出せ」


 彼がそう言ってビアンカの腕を取ろうとしてくるが、彼女はそれを押しのけた。


「大丈夫だって言ってるでしょ! 放っておいて頂戴!」


「おい、何を怒ってるんだ? マチルダ・・・・に何か言われたのか?」


「……っ!」


 やはりビアンカが感じた直感は正しかった。彼とマチルダは何らかの関係があるのだ。尤もユリシーズは無意識的に彼女の名前を呼んだらしく、自分のミス・・に気付いていなかったが。



「くはは、ざまぁねぇな、鈍感野郎。おい、ビアンカ。応急処置なら俺がしてやる。怪我を見せな」


「……! ええ、サディーク、ありがとう。お願いするわ」


 ビアンカの機微を読み取ったらしいサディークが嗤いながら近付いてきた。ビアンカは何故ユリシーズには言外の自分の気持ちが伝わらないのか腹立たしく思いながら、半ば当てつけのようにサディークに身を任せる。


 サディークの霊力も傷を回復させる力がある。彼の霊力を全身に浴びると何とも言えない心地良さに包まれた。



「……ちっ、一体何だってんだ」


「お前、本気で解ってねぇのか? ビアンカに説明しなきゃならねぇ事がいくつか・・・・あるんじゃねぇか?」


「何だと?」


 サディークが呆れたように呟くのを聞いて、ユリシーズは眉を顰めつつビアンカに問うような視線を向けた。ビアンカはまだ若干素直になれない気持ちがあったが、サディークの霊力を浴びて気分が良くなっていたのもあって、気になっている事を正直に聞いてみようという心持ちになった。



「その、まずこの女性は一体誰なの? あなたとどういう関係?」


 黙って側に控えているギャング女性の方を見ながら問うと、ユリシーズは目を見開いた。


「……! どういう関係って……ああ、そうか。そういう事か」


 ユリシーズは合点がいったという風に、安堵・・しながら頭を掻いた。


「事前に説明しなかったのは悪かった。俺も出来ればこいつを使うような事態にはなって欲しくなかったんでな。こいつとはお前が想像しているような間柄じゃないんだ」


 そう断って彼はビアンカに女性の事を説明した。その正体・・は流石に全く予測していなかったので、ビアンカは目を丸くして女性……タブラブルグの方を見やった。


「中級悪魔、ですって? 彼女が……!?」


「なるほどなぁ。奴等と同じ魔力を感じるからそうじゃねぇかとは思ってたが、こりゃ面白れぇな」


 サディークの方はその正体に薄々気付いていたらしく、得心したように頷いていた。


「ああ、そうだ。論より証拠だな。一旦変身を解け」


「はい、御主人様」


 タブラブルグは頷くと一瞬にしてその姿が変化した。それは二メートルくらいの体格の人型の悪魔であった。その顔には目も鼻も耳もなく、ただ牙の生えた醜く裂けた口だけがあった。


「っ!」


 すぐに女性の姿に戻ったが、今の姿を見ては魔力を感じ取れないビアンカも信じるしかなかった。つまり……ユリシーズはビアンカを『より確実に護る為に』、悪魔召喚という禁じ手・・・を解禁したのだ。そして実際にそのお陰で彼女は仙獣の襲撃から護られた。


「そ、その…………私の為に、ありがと」


 ビアンカは小さくもごもごと礼を言った。今まで彼女を襲う敵でしかなかった悪魔が味方になるというのは俄かには信じられなかったが、実際に(態度は悪いとはいえ)彼女を守って敵と戦う姿を見ているし、何よりもユリシーズがその主人・・として味方だと保証するのであれば、ビアンカにそれを疑う気持ちは起きなかった。 



 彼の気持ちを再確認できたビアンカは、勇気をもってもう一つの事柄・・・・・・・についても尋ねる事ができた。


「あなたと……マチルダは、知り合いだったの? 彼女は直接は言わなかったけど、何となくそんな感じがした」


「……ッ!!」


 ユリシーズは今度こそ本物の驚愕に目を瞠った。そして苦い顔になって諦めたように溜息を吐く。


「ああ……そうだな。これこそもっと早くに言っておくべきだった。あいつとは昔……交際・・していた。勿論お前に会うよりも前の話だ」


「……っ」


 半ば予想していたとはいえ、その答えにビアンカは胸が詰まるような感触を覚えた。後ろではサディークが口笛を吹いている。


「だが俺はカバールと対立するお前の母親の部下、あいつはカバールに与するCIA。互いの立場から納得ずくで別れたんだ。もう未練はない。本当だ」


 真剣に訴えるユリシーズ。その言葉も表情にも嘘はないように思える。それには安心するビアンカだが……


(でも……あなたには未練は無くても、彼女の方・・・・はどうなの……?)


 マチルダと直接ぶつかり合ったビアンカは、何となく彼女の本心・・を察してしまっていた。それは女同士にしか分からない感覚であった。


 しかしそれをここで彼に問うても仕方のない事だ。彼を無駄に困らせてやろうという気はもうなくなっていた。ビアンカはわざとらしく溜息を吐いて頷いた。


「はぁ……解ったわ。少なくともあなたは嘘は言っていないようだし、信じるわ。ただしもうこういう隠し事はなしよ。いい?」


「……! ああ、勿論だ。約束する」


 ユリシーズは露骨にホッとしたように胸を撫で下ろしていた。そんな彼の姿にその本心を感じ取って、ビアンカはとりあえず機嫌を直す事にした。



「けっ……。まあ俺としては誤解させたままでも良かったんだが、そういうのはフェア・・・じゃねぇからな。ありがたく思えよ?」


 わだかまりを解いた2人の様子を若干面白くなさそうに見ていたサディークは、そんな風に憎まれ口を叩くのであった……

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