Episode23:不倶戴天

 超常の対決が繰り広げられているフレッシュキルズ・パーク。実はそこから少し離れた場所でも、やはり人知れず異能の戦いが勃発していた。しかしそれは個人同士の戦いではなく、集団同士の戦闘であった。


 一方は……サイコキネシスやパイロキネシス、それにテレポーテーションやフィジカルエンハンスなどの超能力を駆使するロシアの特殊諜報部隊【トリグラフ】の面々。セルゲイが随伴してきた部下達だが、彼の集合の合図に応えなかったのは、今現在こうして激闘の最中にあるからだった。


 そして彼等を相手取って戦うもう一方の集団は……中国のやはり特殊作戦部隊である【紅孩児】のメンバーたる神仙達であった。その多くを占める下仙達は『気』の力を併用した体術を駆使して、そして数人の中仙は自らが召喚した仙獣と共にロシアの超能力者と激闘を繰り広げていた。


 中国とロシアの特殊異能部隊同士が同じ現場でブッキングした故の遭遇戦闘という形であったが、彼等はいずれもプロフェッショナルであり、上官からの命令も無しに勝手に戦闘行為を始めるなど本来はあり得ない事であった。 


 しかも双方ともに重要任務の最中で、上官からの命令待機状態であるなら尚更だ。更に言うならロシアと中国は表面上・・・は比較的友好関係を保っており、少なくとも出合頭にいきなり戦闘を始めるような間柄ではなかった。


 そのような事情にも関わらず不可解な激闘を繰り広げる両部隊の隊員たちは、その目に憎悪・・とも言える感情を宿して、相手を一人残らず殺し尽くすまで戦闘を止めない勢いであった。これもまた私情に影響されない戦闘と諜報のプロであるはずの彼等に相応しくない、不可解な現象であった。




「んんー……今一つ、勢いが鈍いかな? まあでも効果は充分出てるみたいだし、僕の力は既にあれくらいの連中だったら術中に嵌められるって事だね。それが実証できただけでも今回の成果はあったかな」


 少し離れた場所に立つ木の上から、その不可解な現象を引き起こしている張本人・・・が満足げに頷いていた。カバールの新参者にしてビアンカの元カレでもあるヴィクター・ランディスであった。


 彼が得意の幻惑の力を駆使して、両特殊部隊を互いに不俱戴天の仇と認識させて戦闘に駆り立てたのである。彼が何故そんな事をしたのかの理由は……


「しかしサタナキアも余計な事を頼んでくれたね。こいつらを加勢させれば確実にあの邪魔な連中を排除できたはずなのに……。でもそれでもしビアンカが中国かロシアに捕まったりするとそれはそれで面倒な事になるし、今回はこうするのがベターかな?」


 サタナキアの目的はカバールの力を削いで自分が真に自由になる事、そしてあわよくば自分がそのトップの座に着く事だ。その為にはあのユリシーズ達や『天使の心臓』がまだまだ利用できるという考えなのだろう。


 カバールの力を削ぐ事自体は自分も賛成なのでこうして手を貸しているが、余り連中を甘く見ると足元を掬われるのは自分達だという事もよく解っている。どこかの段階でサタナキアも切る・・算段を立てておいた方が良さそうだと彼は考えていた。


「まあそれは後でも考えられる。折角だから今は僕もこのショー・・・を楽しませてもらおうかな。どうやらビアンカの元にもお客さん・・・・が来そうだしね。また君の戦いぶりを僕に見せておくれよ」


 ヴィクターはシカゴで『獣人』を倒した時のビアンカの雄姿を思い返して、歪んだ笑みを浮かべるのだった。



*****



「……!!」


 ユリシーズやサディーク達の戦いが拮抗し、その間を縫って襲ってきた仙獣もとりあえずあのギャング女性が防いでくれた事でひとまず安全となったビアンカ。だがホッと息を吐きかけた時、彼女は自分に向けられた殺気・・を敏感に感じ取った。


 と、同時に空気が切り裂かれて何かが煌めく音と気配。ビアンカは本能的な反射で身を屈めつつ、大きく跳び退って振り向いた。


「あら、流石ね? アラスカの時から腕は鈍っていないようね」


「……ッ! あ、あなたは……」


 ビアンカは目を瞠った。そこにナイフを振り抜いた姿勢で佇んでいたのは、黒いスーツ姿の金髪の女性……アラスカで敵対したCIAの局員であるマチルダ・フロックハートであった!



「な、何でこんな所にあなたが……?」


「何故? 愚問ね。CIAはウォーカー大統領と折り合いが良くないのはあなたも知っているでしょう? カバールだけでなく、中国やロシア、それにメキシコまで一斉にあなた達に攻勢を仕掛けているこのタイミングは、私達にとっても都合が良かったのよ。そう……普段は手練れの護衛達に守られていて手が出せないあなたが、こうして丸裸・・になってくれているという意味で、ね」


「……!」


 CIAは現在ダイアンや国民党と折り合いが悪く、逆に親自由党、そして親カバールと目されている。それは実際アラスカでマチルダがカバールの悪魔と組んでいた事からも明らかだ。となればやはり『天使の心臓』たるビアンカを殺すなり捕らえるなりしようとしてくるのは必然かも知れなかった。


「まあ尤も、私もユリシーズ・・・・・が『あんな手駒』を隠し持っていたとは思わなかったから、彼が戦い始めた時点ですぐに飛び出さずに様子を見ていた自分の判断を褒めたい所だわ」


 マチルダが黒鼬橿貂と激闘を繰り広げるギャング女性にチラッと視線を向けて苦笑した。確かにマチルダがもっと早く出てきていたら、あのギャング女性の相手は彼女になっていたかも知れなかった。


 だがビアンカは今の台詞で別の事が気になった。


「ユリシーズ、ですって? 彼を知っているの?」


 勿論CIAは諜報組織だし曲がりなりにも同じ国家に所属しているのだから、大統領直属の腕利きSPである彼の事を知っている事自体は特に不思議ではない。だが今のマチルダの呼び方は、そういう情報・・として彼の事を知っているというニュアンスとは少し異なる物を感じた。


「あら? ふふ、さあどうかしらね? 気になるなら力ずくで聞き出してみたら?」


「……! ええ、そうね。そうさせて貰うわ」


 マチルダの意味深で挑発的な態度にビアンカの目が眇められる。どのみち彼女を殺すなり捕らえるなりしようと襲ってきた敵だ。自分の身を守る為にも返り討ちにしなくてはならない。そのついで・・・に『情報』を聞き出すのは何もおかしな事ではない。



「あなた1人? アラスカで私に打ちのめされたのを忘れたの? 言っとくけどあの時はあなたを殺さないように手加減してたのよ?」


 ビアンカがそう挑発し返してやると、今度はマチルダの目が細められた。


「……ええ、そうでしょうとも。その借り物・・・の力でね。とてもフェアとは言い難い条件だったわね。だから私も……借り物・・・の力を使わせてもらう事にしたのよ」


「何ですって?」


 ビアンカは訝しんで眉を顰めるが、マチルダは構わずナイフを捨てると、ポケットから何か小さなカプセルのような物を取り出して躊躇う事無くそれを飲み下した。すると変化・・はすぐに現れた。


 彼女の着ていたスーツや靴が破け飛んで、その下から茶色っぽい体毛に覆われた身体が露出する。手や足の先には鋭い鉤爪が伸びる。そして口からは長い牙が生えてきて、瞳がまるでネコ科のそれのような形状に変化した。いや、瞳だけではない。



「あ、あなた、その姿は……」


「……ふぅ。流石はドラッグ『エンジェルハート』を改良・・した新薬『アークエンジェル』ね。こんなすぐに効果・・が現れるとはね」


 そう呟くマチルダの姿は人間とは言い難いものになっていた。身体や四肢は美しい毛並みの体毛に覆われて、手足の先には鉤爪が備わり、その頭部にもまるで猫のような耳が突き出ていた。口からは牙が生えて、瞳孔が縦長になった瞳も猫を思わせて、全体的に『猫人間』とでも形容すべき容姿となっていたのだ。臀部からは細い尻尾まで生えている。


 ただしシカゴの『獣人』達と比べるとサイズはほぼ人間大と小さめで、またその顔や身体は多分に元のマチルダの面影を残しており、腹部など身体の前面や顔面などは殆ど体毛が生えていない。また発声能力や人としての理性も失われていないようだ。


「ア、『アークエンジェル』ですって? まさかCIAはあの『エンジェルハート』を回収していたの?」


「そういう事。こんな便利な力を有効活用しない方がおかしいでしょう? ギャングを自滅させる事を目的としていた『エンジェルハート』にあった種々の問題点を改良した新薬『アークエンジェル』の力。早速あなたで試させてもらうわね」



「……っ!」


 ビアンカは慌てて身構えた。それとほぼ同時に、猫獣人と化したマチルダが飛び掛かってきた。


(……! 速い!?)


 ビアンカは目を瞠った。人間とは比較にならないスピードだ。小さくてスマートな分、シカゴの『獣人』達よりも速いかも知れない。


 鉤爪の生えた貫手がビアンカの心臓を狙って迫る。アルマンのチョーカーの効果を過信するつもりはないビアンカは、身を捻るようにして辛うじてその貫手を躱す。すると即座にもう一方の鉤爪が薙ぎ払われる。


 そのスピードに回避が間に合わなかったビアンカは、咄嗟に腕を掲げてその爪撃をガードする。


「っ!」


 そして鋭い痛みに顔を顰めた。スーツの袖が切り裂かれて鮮血が飛び散る。チョーカーがあったからこの程度で済んだが、生身で受けていたら骨や神経ごと腕をズタズタにされていただろう。予想以上の威力にビアンカはゾッとした。


「ふふ、どうしたの? 動きが萎縮してるわよ!」


 マチルダが哄笑しながら更に爪撃を繰り出してくる。単純に人間が腕を振り回すのとは異なり、外見のイメージ通りネコ科の柔軟性を備えているらしく、人間には到底不可能な体捌きや可動域によって死角から迫る連撃は回避を困難とし、ビアンカの身体に次々と裂傷を穿っていく。


「くっ……!」


「ほらほら! もっと速くなるわよ!」


 そのスピードと人間離れした挙動に幻惑されて防戦一方となるビアンカ。いくらアルマンのチョーカーが致命傷を防いでくれているとはいえ、このまま傷が増えて出血が嵩めばそれが致命傷となり得る。



 防戦一方ではジリ貧だ。強引にでも反撃に出なくてはならない。幸いというか防戦に徹していた事で、多少マチルダの動きに目が慣れてきていた。


 獣人になったとはいえ人間時の動きの癖が完全に抜けた訳ではない。特に首筋や心臓など急所を狙ってくる時は多少その軌道が読みやすかった。そして今丁度、彼女の喉元を切り裂こうとマチルダの鉤爪が側面から迫って来ていた。


(――ここだっ!)


 ビアンカは敢えて強引に前に踏み込んだ。


「……!」


 マチルダの猫目が僅かに見開かれる。彼女の鉤爪は正確にビアンカの喉を切り裂く軌道であった。つまりビアンカが前に踏み出すと狙いが外れて、ただ腕が当たるだけになる。そのくらいなら充分耐えられる。


 そのままマチルダに後退して距離を取る暇を与えずにその懐に潜り込む。そして充分に体重と腰のひねりを乗せた正拳突きを彼女の胴体、みぞおち辺りに叩き込んだ!


 インパクトの瞬間、グローブから霊力の波動が放出される。まともに当たれば人間の顔面を原型を留めないくらいに破壊・・する威力のパンチが、マチルダの腹の辺りに直撃する。


「ぐぼぉっ!!」


 マチルダは盛大に吐瀉物を撒き散らしながら、身体を折り曲げて吹き飛んだ。そのまま倒れるかと思ったが、なんと彼女は空中でクルッと一回転しながら地面に足から着地した。


「……!」


 猫じみた見た目通りの凄まじい身のこなしだ。今の一撃で死なないどころか体勢を立て直すとは、その耐久力も人間離れしたレベルに向上しているようだ。 



「ぐはっ……! げぇ……! ぐっ……や、やってくれるわね……」


 だがかなりのダメージは与えたらしく、マチルダは涎を垂らしながら片膝をついた姿勢で激しく喘いでいる。


「はぁ……はぁ……ふぅ……。降参して情報を吐くなら今のうちよ?」


 しかしビアンカの方もマチルダの爪撃による裂傷で出血が著しく、かなりの体力を消耗していた。それを見て取ったらしいマチルダが口の端を吊り上げる。


「は……誰が。あなたこそ強がりはやめて素直に降参すれば捕縛だけで済ませてあげるわよ?」


「冗談。まだまだこれからよ……!」


 ビアンカとマチルダ。二人の女は互いに譲れない何か・・の為に意地になって、ダメージを押して立ち上がる。そして最初より格段に重く感じる身体を引きずりながら、双方自分から相手に向けて飛びかかっていくのだった。

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