Episode15:蠱毒の坩堝

 ニューヨーク、ブロンクス。ニューヨークシティの5つの地区のうち最も北側に位置し、唯一アメリカ本土に属している地区でもあった。この地区には他にも大きな特徴があった。


 それは全米でアメリカンフットボールに並んで国民的スポーツとして親しまれているベースボールのプロチームの1つである、ニューヨーク・ヤンキースの本拠地ヤンキースタジアムが所在している事だ。


 ベースボールのプロリーグであるMLBは常に高い観客動員率とTV視聴率を誇り、中でも人気チームの一角であるヤンキースはホームタウンであるニューヨークは勿論、全米中にファンがいる老舗チームでもあった。


 そんなヤンキースは現在、アメリカン・リーグの試合の真っ最中であり、ヤンキースタジアムは異様に高い熱気に包まれていた。


 カァンッ!! という小気味良い甲高い打球音・・・と共に、スタジアムの観客席から熱狂的な歓声が沸き起こる。


『……!! 打ったぁぁぁぁぁっ!! 本塁打王カーティス・ホーガン、これで今シーズン年間60本塁打を達成したぞ!! このまま行けば去年の自己記録を更新する勢いだ! この怪物の進撃は留まる所を知らなーーい!!』


 観客の大歓声に被せるように、興奮したアナウンスの声が響き渡る。そんな熱狂を浴びながら、本塁打を達成したホーガン選手は余裕さえ感じさせるような貫禄でゆっくりとマウンドを走り、ベースを踏み抜くのだった……




 その試合はホーガンの活躍もあってヤンキースの勝利に終わった。立役者のホーガンは陽気で豪快なキャラクターでインタビューに答え、観客に対してファンサービスのパフォーマンスを行い会場を沸かせる。


 しかし試合が終わり、選手たちが全員控室に戻った所でホーガンの様相が一変する。


 ――ドゴォッ!


 彼はいきなり自チームの投手であった選手を殴りつけたのだ。そして胸ぐらを掴んで吊り上げる。


「おい、コーディ。試合前に俺が言った事を忘れたのか? レッドソックスのあのクソ黄色猿に何本ヒット打たれりゃ気が済むんだ、ああ!? あの猿の打点と本塁打数知ってるか? よりにもよってこの俺に迫ろうかって勢いなんだぞ? それを止めるのがてめぇの仕事だろうが、逆にポンポン打たれやがって!」


「ひっ! わ、悪かった、カーティス! あの日本人、どんな角度で撃ち込んでも当ててきやがって……。あいつ化け物だぜ!」


「てめぇのヘボさを棚に上げてんじゃねぇ!」


 言い訳する投手に、頭に血を上らせたホーガンが更に拳を振り上げようとして……


「お、おい、もうやめろって、カーティス! 怪我が残ったりしたら面倒だぞ! それに試合には勝ったんだからいいじゃないか! お前のお陰だ!」


 見かねた他の選手が止めに入る。それ以外の選手たちも同意するように頷いていた。ホーガンは舌打ちして手を離す。


「ち、辛気クセェ。てめぇら役立たず共の顔を見てると俺の気が滅入るぜ。さっさと失せやがれっ!」


 ホーガンは大きく手を振る。この全米のスター選手にして『ブロンクスの英雄』の本性・・を知っているチームメイト達は、これ以上癇癪を起こされて自分たちが被害を被る前にと、そそくさと逃げるように控室を後にしていく。



「…………」


 広い控室に1人になったホーガンは荒々しく鼻を鳴らして、空いているベンチに乱暴に座り込む。


「ち、面白くねぇ……。表も裏も・・・・上手く行かねぇ事だらけだ。チームメイト共も……眷属共も・・・・、俺の周りには役立たずの無能しかいねぇらしいな」


 忌々しげに吐き捨てるホーガン。ヤンキースのチームメイト達は彼の本性を知っていると思っていた。しかし……彼等が知っている粗暴な荒くれ者という姿もまた、ある意味で表の顔・・・に過ぎないという事を彼等は知らなかった。


 ヤンキースの本塁打王カーティス・ホーガン。このまま記録を更新し続け引退すれば野球殿堂入りは確実と目される『ブロンクスの英雄』。


 そんな全米中に名を知られるスターの真の姿・・・は……カバールの正規構成員の1人『ダンタリオン』。その正体を知る者は、同じカバールの構成員だけであった。



 検事総長のカリーナ・シュルツと『エンジェルハート』、そしてあわよくばウォーカー大統領も。この3人の女達の抹殺に向かわせた眷属どもはいずれも返り討ちにあった。といってもターゲットたる女達自身を殺すのは容易い事だ。問題は彼女らを護衛している連中にあった。


 手練れの護衛がいるとは聞いていたので、どれか一つ、最悪二つは失敗してもいいと折り込んでいたのだが、まさか三つの作戦全てが失敗するとは想定外であった。それだけ戦力を分散してもなお、中級悪魔グレーターデーモンを撃退できるだけの戦力を保持できているとは思わなかった。 


「役立たず共が……。やはり他人を当てにしたのが間違いだったな。ベースボールと同じだ。他の奴等なんぞ当てにはならん。最後に頼れるのは自分だけだ。俺は表でも裏でもそうやって自分の力だけでのし上がってきた。なら今回もそうするまでだ」


 ホーガンはそう呟いてゆらりと立ち上がった。その目にはすでに剣呑な光が宿っていた。彼が狙うのは主目的・・・である検事総長カリーナだ。部下たちを退けられた事で遂に首魁たるダンタリオン自身が動き出した。



*****



 ニューヨーク、マンハッタン。マンハッタンだけでなくニューヨークを象徴する代表的なランドマーク高層建築であるエンパイアステートビル。その102階にある超高層展望室。ニューヨークの街全体を一望できるこの展望台で、しかしその男は美しい街並みをまるで憎悪するかのような目で見下ろしていた。


「醜い……。自由主義という名の元に、金の亡者どもが欲望の赴くままに拡張してきた歪な街。まさに欲望と退廃を象徴するソドムとゴモラそのものだ」


 そう吐き捨てるのは……ロシア・・・の対外情報庁、通称SVRに所属する超能力部隊・・・・・『トリグラフ』の上級職員であるセルゲイ・レオーノフ。


「だがこの街に『エンジェルハート』と呼ばれる、無限の霊力を秘めた心臓を持つ女がいるのは事実。その女を捕らえ新たな研究対象・・・・とすれば、我々『トリグラフ』の力は飛躍的に向上する、か」


 セルゲイは本国で大統領たるウラジスラフ・ミハイロフより直接受けた指示を思い返した。同時にあのアラスカでの任務において一瞬だけ相まみえた『ファーストレディ』……即ち『エンジェルハート』の姿も。


 セルゲイ個人としてはあの少女に含む所は何もなく、むしろCIAの女狐に一杯食わされたという自身と同じ体験にシンパシーが無いでもなかったが、ミハイロフ大統領が彼女の捕縛を望んでいるのであればそれに従う事になんの疑問も躊躇いもない。


「……恨むのであれば難儀な心臓をお前に与えた父親を恨むのだな」


 彼はそう呟くと踵を返した。そんな彼に音もなく付き従う数人のロシア人達。いずれもが『トリグラフ』の構成員でベータ級のサイ能力者達だ。今回指揮官たるアルファ級はセルゲイ1人であった。しかし無能な上司ほど厄介な存在はいない。むしろ1人の方がアラスカの時より余程動きやすかった。


「作戦を開始する。任務の邪魔になるものは全て排除しろ」


 セルゲイの言葉に無言で頷く男達。冷血の超能力部隊がビアンカの身柄を狙って動き出した。



*****



 ニューヨーク、ブルックリン。広範な住宅地区を擁し、ニューヨークシティの5つの地区のうち最も人口の多い地区である。その丁度中心辺りに位置するニューヨーク市立大学ブルックリン校、通称ブルックリン大学には、中国政府と提携して設置された中国語や中国文化専門の教育機関である『老子学院』が存在していた。


 表向きは中国文化を世に広めるためという目的のこの機関は、世界中のかなりの数の大学に設置されているが、その真の目的は教育の名を借りて中国統一党の主張に基づいた世論戦宣伝(プロパガンダ)を行う事にあった。


 そのような機関であるため、特に中国政府関係者が訪れる事も多い。しかし今日この日ブルックリン大学の老子学院には、そんな場所であっても滅多に訪れることがない類いの人物達が訪問していた。


「……以上が周主席からの直々の通達だ。これより我等は人攫い・・・となる。お前達はこの街における影響力を行使して、我等のサポート及び後処理・・・を行うのだ」


 その老子学院の学長たる人物に対して居丈高に命ずるのは、学長に比べると大分若い中国人の男……中国国家安全部第九局局長であるハン俊龍ジュンロン


「はは、了解しました」


 俊龍に対して内心の思いはどうあれ、表面上は平身低頭で了承の意を示す学院長。学院長もまた中国政府から派遣されている役人であった。そのため彼等国家安全部の恐ろしさはよく知っており、相手が若僧だからと下に見た態度を取るような事はしなかった。



「しかし……わざわざ第九局の局長である貴方が直接出張るとは、その『人攫い』の対象人物は一体どんな国家要人なのですか?」


 それでも好奇心を抑えきれずに質問する学院長。この俊龍だけでなく他にも周主席直属の仙術部隊『紅孩児』の中仙や下仙達が随伴しており、かなり重要な案件である事が窺えた。


「後処理を任せるからにはある程度の情報は伝えておく。『ファーストレディ』の噂はお前も聞いた事があるだろう?」


「……! あの……ウォーカー大統領の隠し子・・・という噂ですか? まさか……」


「事実だ。それがアメリカに対してどれだけ強力な外交カードになるかは想像が付くだろう? 周主席はそのカードをご自分が入手する事に決めたのだ」


「……!!」


 米大統領の直接的な弱みを握る事になれば、その時こそ中国が世界随一の超大国としてイニシアチブを取る事ができるようになるだろう。


「そして情報によると、今はあの裏切り者のレン麗孝リキョウが『ファーストレディ』の護衛から外されているようだ。今こそが千載一遇の好機。必ずや周主席のご意向を達成する。お前達もこれがそれだけ重大な任務だと認識するように」


「は、ははっ!」


 改めて念を押された学院長が立礼した。超常の仙術部隊もまたビアンカを狙って始動するのであった。



*****



 ニューヨーク、スタテンアイランド。ニューヨークで最も南西に位置するスタテン島全体を行政区とする地区で、のどかな住宅街が広がっている。またフレッシュ・キルズと呼ばれる世界最大規模のゴミ埋立地がある場所としても有名だった。


 そんなスタテン島の北部にあるスタテン動物園。基本的に家族やカップルの憩いの場というイメージが強い動物園という場所において、かなり浮いている人物がいた。物憂げな表情で檻の中にいる猿を見下ろしている金髪の美女……CIAのエージェントであるマチルダ・フロックハート。


 彼女のような美女が単身でいるには動物園はかなり場違いであったが、幸いというか待ち人・・・はすぐにやってきた。


「いやぁ、待たせちまったかねぇ、ミセス?」


 軽薄な調子で彼女に声を掛けてきたのは、若いラテン系の男……メキシコ軍の特殊部隊『ウィツロポチトリ』の一員であるペドロ・アルバレスだ。


「いえ、丁度今来た所よ」


「はは、こういう場面では普通男女逆のセリフなんだがねぇ、お互いに」


 ペドロは苦笑しながら彼女の横に歩いてきて、そのまま柵にもたれる。マチルダは溜息をついた。


「よりによってこんな場所を待ち合わせに指定するなんて何かの嫌がらせ?」


「はは、まさか。俺達シェイプシフターは動物園ここが好きなんですよ。観察対象・・・・に事欠かないし、自分が人間だってアイデンティティを保たせてくれる場所ですからね」


 肩をすくめると真面目な表情になる。



「しかし本当なんですかい? 中国やロシアの工作員までこの街に出張ってて、あの『エンジェルハート』を狙ってるっていうのは?」


「ええ、CIAうちの情報だから確かよ。だから私達もこの機会に便乗させてもらおうと思ってね。流石に中国やロシアの精鋭部隊が同時に相手となれば、ユリシーズ達にも必ず隙が出来る。『エンジェルハート』の護りが疎かになる隙が、ね」


「CIAも『エンジェルハート』を狙っているんですかい? ああ、それとももっと個人的な・・・・感情によるものですかね?」


 ペドロの意味ありげな視線と口調に、しかしマチルダは訓練で培った自制心を発揮して表面上は平静を保った。


「下衆の勘繰りは感心しないわね。それよりあなたはあなたでしっかり役目を果たして欲しいのだけど、任せて大丈夫なのかしら?」


「勿論ですぜ。陽動・・の役目はきっちり果たさせてもらいますよ。ただ……場合によっては陽動が本命・・になっちまうかも知れませんが、それは構わないですかね?」


「ええ、それならそれで問題ないわ。少なくともウォーカー大統領よりモーガン副大統領の方が歩み寄り・・・・の余地があるのは確かでしょうし」 


「おお、おっかないねぇ。まあそういう事ならこっちも気兼ねなく全力でやれるってモンです。いずれにせよ報酬・・は弾んでもらいますよ?」


「解ってるわ。さあ、あまり私達が一緒にいる所を見られるのも良くないから、ここで別れましょう。決行・・のタイミングはこちらで合図するわ」


「へいへい、待ってますよ。それじゃ与太者はここで退散するとしましょうかね」


 やり取りを終えると、ペドロは自然な所作でその場を立ち去っていく。その背中を見送りながらマチルダは、アラスカやシカゴでの体験を思い返しその目に昏い感情の炎を灯らせるのであった。



*****



 ニューヨーク、クィーンズ。ニューヨークの空の玄関口を兼ねる最も面積の広い地区であり、その特性上様々な人種や文化の坩堝るつぼとなっているのが特徴だ。


 その中心部にある広大な霊園、マウント・ヘブロン墓地。数え切れないほどの墓碑が並ぶ霊園の一角で、大勢の墓参者に混じって2人の男の姿があった。


「いや、素晴らしいね。シトリーと一緒に工作した甲斐があったよ。中国にロシア、それにメキシコやCIAまで。ダンタリオンも本格的に動き出すようだし、これは相当面白い事になりそうだよ」


 そう上機嫌に笑うのはサングラスと帽子で素顔を隠したBNNの人気キャスター、ルパート・ケネディであった。


「それはいいんですが、あなた達は確かそのダンタリオンにこの街へ入るなって言われてませんでしたか? 随分大胆ですね、サタナキア?」


 やや呆れたような口調で話しかけるのは、彼と同盟・・を組んでいるヴィクターだ。


「この世紀の見世物を特等席で観たいと思うのは当然だろ? なぁに、ダンタリオンも直接動き出す以上、僕に気づく余裕なんてないさ。だからこそこのタイミングでやってきたんだしね。でも流石に表立って動くのはマズいから、君にはもう一働きしてもらうよ」


「構いませんよ。それであの邪魔な連中を排除できるんであれば喜んで働きますよ」


 ユリシーズ達を直接戦わずに排除できるならそれに越した事はない。あいつらさえいなくなれば、彼がビアンカを手に入れるにあたっての障害はなくなる。願わくば今集まってきている連中と共倒れになって欲しいものだった。


「気が合うね。僕が君に頼もうと思っていたのもまさにそれ・・だよ。どちらかが大勝してしまうのは面白くない。出来れば共倒れになるよう、彼等が可能な限りフェア・・・な条件で戦えるように調整・・を頼みたいのさ」


「調整、ですか?」


 疑問符を浮かべるヴィクターに、ルパートが自身の計画を説明していく。

 


 今、ニューヨークを舞台に様々な思惑がぶつかり合う混沌の決戦が幕を開けようとしていた……

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