Episode11:亜空間の罠
ニューヨーク・マンハッタンにある国連本部ビル。その中にある議場ホールの1つでは現在、演壇に立つ1人の女性が聴衆に対して演説している最中であった。
「……我々はこの悲しい現実から目を背けるべきではないのです。
壇上の女性――現アメリカ合衆国大統領ダイアン・ウォーカーは、そう力強く宣言して演説を締めくくった。聴衆席からは大きな歓声と拍手が沸き起こる。マイクから離れたダイアンは手を挙げてその歓声に応えていた。
*****
「大統領閣下。我々のために公の場であのように宣言して下さった事、大変感激しました。どうか今後とも我々の為に力をお貸し下さい」
演説が終わり、その後ロビーで国連の事務総長であるマルセル・デュフレーヌと立ち話をしていたダイアンの元に、中国西部にある『自治区』から
ダイアンはその人物に笑顔を向ける。
「これは、ラウシャン氏。ええ、勿論です。私達は全面的にあなた方の活動をサポート致します。一日も早く皆さんの同胞が自由を取り戻せる事を願っています。そうですね、ミスター・デュフレーヌ?」
ラウシャンと握手を交わしながら、にこやかな笑顔で同意を求めるダイアン。国連の事務総長であるデュフレーヌは一瞬だけ苦虫を噛み潰したような表情になったが、即座に取り繕って笑顔で頷く。
「……そうですな。皆さんの置かれた状況は国連としても由々しき事態と認識しています。それ故にこうした場を取り持たせて頂いた訳ですからな」
「ええ、ええ。あなたの
ダイアンは言外に皮肉を込めてデュフレーヌを賞賛した。特に中国が顕著だが、国連の各組織に対して影響力を強める為に、中国人や中国の息が掛かった途上国の人間を代表や事務局長に次々と据えているという現状があった。
そんな現在の国連が中国の人権弾圧を強く非難して糾弾する事など出来るはずもなく、国際情勢に詳しい人間からは皮肉交じりに『中連』と揶揄されるような状況であった。
ダイアンの言葉はそれを皮肉るニュアンスが込められていたが、デュフレーヌ自身が言う通りそんな状況下で曲がりなりにもこのような場を国連主体で開催した事は、彼が出来得る限り最大限の
それはダイアンも解っているため、その言葉には一応本物の感謝も込められてはいた。
「閣下、そろそろ……」
その時、ダイアンの後ろに付いて常に周囲を警戒していた黒人の巨漢――アダムが、彼女に耳打ちする。ホワイトハウス以外の公の場で余り長時間同じ場所に留まる事は、大統領の身辺の安全上推奨されていなかった。今の所アダムの警戒網に引っかかるような怪しい存在は居なかったが、それでも警戒しすぎるに越した事は無い。
「そうね。……皆さん、残念ながら私はこれで失礼しなければなりません。本日はとても有意義な時間を過ごす事ができました。またお会いできる事を願っています」
「相変わらずお忙しいようですな。では大統領の貴重な時間をこれ以上無駄にしないようにしましょう」
「こちらこそまたお会いできる事を願っております。今日はありがとうございました」
デュフレーヌはあからさまにホッとした様子で、そしてラウシャンは残念そうな様子で、それぞれ対称的な両者に見送られながらダイアンはアダムを伴って国連本部ビルを後にする。
*****
「ふん……デュフレーヌの奴、今頃は周国星に電話して必死で弁解してる最中じゃないかしら。国連という組織自体見直す時期に来ているかも知れないわね。次のサミットで提案してみようかしら」
ホテルに向かう車の中でダイアンが毒づいた。民主主義国家であるアメリカはどうしても中国やロシアのようなあからさまな工作はしづらいので、やられ放題という現状がある。このまま国連が中国に
ただ自由党が反対する事は確実なので、アメリカ国内での意思統一を図る事さえ難しいというのが現状ではあるが。
「しかし中国の
同乗しているアダムが溜息を漏らす。無論ラウシャン達が自分達の窮状を訴える為に殊更大仰に話している可能性はあるが、彼の話が概ね真実だという事をダイアンは知っていた。
「そうね。ミスター・許から聞いていた情報とも大きく乖離はしていない。周は間違いなく少数民族に対するジェノサイドを行っている。問題はそれを国際社会に訴える『証拠』がない事ね」
正確には『証拠』は沢山ある。ラウシャン達の証言もそうだし、他にも『自治区』から逃げ出してきた亡命者の証言や、多数の写真や動画など映像による証拠も出ており、ネットやSNSにも出回っている。
しかしそれらは全て『デマ』『フェイク』で片付けられてしまう。中国やそれに阿るマスコミなどがそう断定すれば、そこで終わってしまうのだ。今は技術の発達により、確かにフェイク動画などを作る事も容易になった。向こうはそれを逆手に取ってデマと言い張っているのだ。
国連もあの体たらくなので、中国がジェノサイドを認めなければそれは存在しないのと同じになる。そして中国がそれを認める事など天地がひっくり返ってもあり得ないので、現状は手詰まりと言えた。そういう意味でも今の国連は解体する必要があると思えた。
前途多難な問題にダイアンが溜息を吐いた時、丁度車が橋を渡ってイースト川に浮かぶ細長い島、ルーズベルト島に差し掛かった。
「……!」
アダムはその瞬間、何となく
「アダム、どうしたの?」
彼の異変に気付いたダイアンが問い掛けてくるが、アダムは手で彼女を制して無言で油断なく車外を見据える。
「妙だな。急に他の車が見当たらなくなったぞ? それに島にも誰も人の姿がない」
車の運転手を兼ねるSPが戸惑った声を上げる。その時点でアダムの予感は確信に変わった。
「まずいな。車を停めろ!
「何ですって……?」
ダイアンは眉を上げたが、アダムが確証も無く適当な事を言うはずがない。彼女は運転手に指示して車を停めさせる。当然先導と後続の護衛車両も合わせて停車する。
「…………」
アダムはダイアンに絶対に車から出ないように言って、自らは車外に降り立つ。やはり、違う。ここは一見ルーズベルト島に見えるが、人の気配が全くしないし車も通らない。空を見上げても鳥も飛行機も全く飛んでいない。異様に静かだ。
(……どこだ?)
これが敵の罠なら必ず何か仕掛けてくる。アダムがその確信を抱くと同時に……周囲のビル陰や橋の下などからいくつもの影が湧き出してきた。それはどれも人のようでいて人に非ざる異形。悪魔達だ。
ビブロスやアパンダ、ムルカスといった下級悪魔達だ。それが優に2、30体は出現してこちらを包囲してきた。
「……そう来たか。やはりカバールの仕業か!」
悪魔が出現した時点それは間違いない。大統領であるダイアンを直接狙ってくるというのはかなり大胆ではあるが、全く想定されていなかった訳ではない。ましてや今回はダイアン自ら敵の懐に飛び込んでいるのだ。
まさにこういう事態を想定してビアンカの護衛を務めるアダム達5人のうち、最低1人はダイアンの元に残る事になっていたのだから。
相手が下級悪魔だけならアダムの敵ではないが、数が多いうえにダイアンを守るという制約がある。少なくとも敵の群れに自分から突っ込んで暴れ回るという訳にもいかないだろう。
アダムは先制攻撃で左腕の光線銃を展開して、敵の群れに連続して撃ち込む。何体かの下級悪魔が撃ち抜かれて消滅するが、敵はお構いなしに奇怪な雄叫びを上げて殺到してきた。
敵の狙いは勿論ダイアンの乗る中央の車だが、先導と後続の車にも攻撃を仕掛けていた。アダムの注意を分散させる狙いかも知れない。なので悪いがそちらにまで構っている余裕はない。彼は意図的にダイアンの護衛のみに集中した。
遠距離攻撃を持ち、空中からも攻撃してくるビブロスやムルカスを優先して光線銃で撃ち落とす。だが敵の数が多く、その間に地上からアパンダを中心とした悪魔達が四方八方からダイアンの車に押し寄せる。
「ちぃ……!」
彼は舌打ちすると右腕のブレード展開し……更にそのブレードの
「ぬぅぅぅぅんっ!!」
アダムは連接ブレードを縦横無尽に振り回す。それは一見無茶苦茶に振り回されているようで、その実彼の意思に従って精密にコントロールされていた。
ダイアンの車のみを避けて、360度全方向から迫りくる下級悪魔達を正確に斬り裂いていく。しかも彼は連接ブレードを正確にコントロールしながら、その間にも左腕は光線銃を巧みに操って上空から迫る敵を撃墜していた。これは意識の
程なくして、襲ってきた下級悪魔達を全て殲滅する事ができた。1、2体の敵がダイアンの車に取り付いたものの一瞬で斬り伏せ、それ以外の敵は車に近づけさせる事も無く全滅させた。とりあえず他に敵が現れる気配はない。
「……もう降りても大丈夫かしら?」
「ええ。とりあえず他に敵の気配は感じられません」
車の中からダイアンが問い掛けてきたので、アダムは首肯する。彼のセンサーで敵の気配を感知できないのは事実だし、車の中にいれば絶対安全という訳でもない。
ダイアンがおっかなびっくりといった様子で車から降りてきた。運転席と助手席に乗っていた(運のいい)SP達も降りてきて、ダイアンの両脇を固める。前後2台の車は酷い有様となっていた。中に乗っていたSP達は当然もう生きてはいないだろう。
「……やってくれたわね、クソ悪魔共。この借りは必ず何十倍にもして返してやるわ」
他の車の様子を目視したダイアンは、十字を切って祈りながらカバールに対する怒りを露わにした。それからアダムの方に向き直った。
「でも敵は殲滅できたけど、まだ周りは静かなままね。奴等の罠から脱出できた訳ではないのね?」
「そのようです。しかし敵の正体は凡そ見当が付きました。すぐに終わらせます」
敵の正体が彼の予想通りなら恐らくこの空間は
(それを避ける為には……)
アダムは自らの体内に内蔵されたあらゆるセンサーをフル稼働させる。隠れ潜んでいる悪魔を探知する必要性も出てくると判断し、ユリシーズに協力してもらって魔力という物の
彼の粒子ビームがその空間を貫く。すると何もなかったはずの場所に大きな空間の
「あ……!」
それを見ていたダイアンが声を上げる。空間の歪みが解けるとそこから、真っ白い皮膚をした頭だけが異様にデカく、皮膚とは対照的に真っ黒い目をした、まるでチープなSF映画やオカルト陰謀論などによく出てくる『リトルグレイ』のような容姿をした貧弱な人型の怪物が姿を現し、粒子ビームに貫かれた胸を押さえながら橋の主塔から落下した。
橋桁に落ちた『リトルグレイ』はそのまま死んだようで、空気に溶け込むように消滅していった。
「これは……?」
「中級悪魔ジートルです。ご覧の通り直接的な戦闘能力は皆無ですが、今いるような外界から切り離された亜空間を作り出す能力があります。あとはこのように自分は隠れて下級悪魔達を呼び込む能力も、ですね」
「……!」
アダムの説明にダイアンが息を呑んだ。他の中級悪魔に比べて汎用性は低いが、今回のような運用であれば絶大な力を発揮する。恐らく事前にダイアンがホテルに向かう時のルートを割り出して、ここに網を張って待ち構えていたのだろう。
ジートルが死んだ為に徐々に形が崩れ出す異空間。程なくしてここから出られるだろう。
「さあ、とりあえず敵は退けました。車に戻りましょう」
「ええ、そうね。ありがとう、アダム。あなたがいてくれなかったらと思うとゾッとするわ。……ビアンカはいつもこういう体験をしているのね」
ダイアンは小さく呟いたが、アダムの聴力はその呟きを聞き逃さなかった。しかし敢えてそれに言及する事は無く、彼女を車へ促した。
(ふぅ……まさかこちらにも刺客を差し向けてくるとは、どうやらこの街にいるカバールはかなり後先考えない好戦的な輩のようだな。ユリシーズやリキョウ達にも注意を促しておくか)
自分も車に乗り込みながら、アダムは前途多難な予感に溜息を吐くのだった……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます