Episode12:イリヤの悩み
ニューヨーク・マンハッタン。アメリカの文化・経済の中心地と言っても過言ではないこの地区には世界中から様々な人々が集まるために、それを対象とした実に多種多様なサービスで溢れていた。
そんなサービスの主要産業の1つである飲食業も当然盛んで、マンハッタンには洋の東西を問わず文字通り世界中の味を楽しめるレストランが軒を連ねていた。
そのうちの1つ、とある高級
「うふふ、さあ
店内で最もグレードの高い席に座って、
「う、うん……あ、ありがとう、ございます、シュルツさん」
ロシア料理と言っても当然ながら母国にいた時には見た事すら無いような高級料理の数々を目の前にして、イリヤはしかし嬉しさを感じるよりも若干引き気味になってしまっていた。しかし当のカリーナはそんな少年の様子には気付かず、熱に浮かれたように身を乗り出す。
「ああ、イリヤ! シュルツさんなんて、そんな他人行儀な呼び方はしないで! どうかカリーナと呼んで頂戴! いえ、何ならリーナと呼んでくれても――」
「――おほん! ……ミセス・シュルツ。衆目がありますので、それ以上はお控え頂いた方が宜しいかと」
「……!」
そこでもう1人の同席者であるリキョウが、少し大きめに咳払いしてカリーナの注意を促す。ただでさえ人目を惹く容姿のイリヤがいる事で店中の注目を集めていたのだ。そこにこの街では著名人といえるカリーナが、だらしなく鼻の下を伸ばしまくってその美少年に接している様子を見たら、
リキョウの諫めを聞いたカリーナが
「あ……ああ、ええ、そうね。おほん! あー……イリヤ? これは私を狙う連中から護衛してくれるあなた達へのせめてもの慰労なの。だから遠慮しないで食べて頂戴ね?」
己の言動を顧みたのか少しバツが悪そうな様子になったカリーナが、それを取り繕うように笑顔を向ける。一応先程までのような異様な熱気は鳴りを潜めていたので、イリヤも少しホッとして頷いた。
安心すると、今度は俄然目の前にある料理に意識が向いた。高級な食材をふんだんに使ったボルシチやビーフストロガノフ、他にもイリヤが見た事もないような美味しそうな匂いの料理が所狭しと並んでいる。
「ふふ、遠慮しなくていいと言ったでしょ?」
そう言うカリーナの言葉に背中を押されて、勇んで料理に手を付けようとするイリヤだが……
「あ、でも焦って詰め込み過ぎないようにね? あなたの天使のように愛らしい外見に相応しい、優雅で、高貴で、耽美で、気品に溢れる所作でお願いね? 勿論食べこぼしなんて絶対にしては駄目よ?」
「……っ!」
しかしそんな事を言い出せるような雰囲気ではない。もし彼女を
「はぁ……イリヤ君。とりあえず私の真似をしながら食べなさい。優雅に、高貴に、耽美に、です」
「あ……う、うん」
イリヤが地獄に仏を見たような顔でホッと息を吐いた。リキョウは内心で嘆息すると共に、確かこれは他のメンバーでは色々立ち行かなくなっていただろうと容易に想像ができた。
*****
そんな緊張感に包まれたディナーが終わった後、一行はそのままカリーナの自宅へ向かう事となった。
「ミセス・シュルツ、貴女を狙う連中は人間の常識では測れない人外の存在達です。いつ何時、どのような状況で不測の事態が発生するか解りません。レディー相手に無粋とは存じますが、ご自宅への立ち入りについてはご理解ご協力を頂きたく」
リキョウが丁寧な仕草と口調で、カリーナの自宅内にまで彼等が同行する事の理解を求める。だが彼女は特に抵抗もなく首肯した。
「勿論解ってるわ。カバールの事を抜きにしたって、私の最高裁判事就任を快く思わない輩はごまんといるはずだしね。こう見えてそれなりの収入があるから、何人か泊まるのは全然問題じゃないわ。むしろこちらからお願いしたいくらいよ」
口では尤もらしい事を言うカリーナだが、その目はイリヤに釘付けである。確かに「こちらからお願いしたいくらい」という言葉に嘘はないのだろう。その
ただセントラルパークを望むマンハッタンの高級住宅街に居を構えるカリーナの収入が
実際に認証セキュリティと守衛付きのそのマンションは、目を瞠るような高さと広さを兼ね備えた巨大建造物であった。最初に入ったロビーも小規模ながらラウンジのようなスペースまであり、まるで高級ホテルと見紛う程だ。
しかも彼女の住まいはこのマンションの最上階……ペントハウスであった。リキョウ達どころか余裕で7、8人は泊まれそうな間取りだ。
「仕事柄色んな人間を呼んでパーティーを開いたりする事もあるからね。これくらいの広さがないと色々と不便なのよ」
単身住まいでこの部屋は余りにも広すぎる。リキョウでさえ若干呆れたように部屋を見渡すのに(イリヤは勿論口を開けて呆けている)、カリーナは肩を竦めてそう答えた。なるほど確かにこれなら1人2人
「ふぅ……今日は色々あって疲れちゃったわね。寝る前にシャワーを浴びるけど……イリヤも
「え……!? あ、あの……その……」
カリーナからいきなりそんな事を問われたイリヤは目を白黒させて動揺する。美少年が頬を赤らめて動揺する様にカリーナは目を細めた。
「ふふ、それこそ遠慮しなくていいのよ。これも
「――ぅおっほん!! ……ミセス・シュルツ。彼はあくまで大統領閣下が派遣したエージェントであるという事をお忘れなく。
冗談とも本気ともつかないようなカリーナの態度に、見兼ねたリキョウが再び諫める。因みにダークウェブにもアクセスできるリキョウは、本当にそういうエージェンシーとも伝手があった。
「……本気に取らないで頂戴。流石に冗談よ。そこまで行ったら洒落にならない事くらいは解ってるわ」
「それは何よりです」
ややバツが悪そうな表情のカリーナを見る限り本当に冗談だったのか疑いたくなるが、まあ本人がそう主張するのであれば特に追及する事もないだろう。
そんな一幕を挟んでとりあえずカリーナが(勿論1人で)入浴中、リキョウはリビングでイリヤと向き合っていた。カリーナは虹鱗に見張らせてある。
「イリヤ君、君はもう少し主体性を身につけなければいけませんね。無理なものは無理とはっきりと口に出来なければ色々なトラブルの元になりますよ? そうなればビアンカ嬢にもご迷惑をお掛けする場面が出てくるかも知れません」
「……! そ、それは……でも、僕が
リキョウに窘められたイリヤは俯いて自信なさそうな声音で問い掛けてくる。
「あの人を怒らせたラいけないんでしょ? もし僕があの人を怒らせちゃって、それでお姉ちゃんが何か言われタりしたら……」
「……!」
リキョウはビアンカと離れている時のイリヤが、非常に大人しく自己主張に乏しい理由を悟った。彼は実年齢の割には早熟なので、自分の置かれた状況をよく理解しているようだった。そして……理解
自分が何かヘマをすればそれはビアンカの責任になり、そうなれば彼女は自分を見放すかも知れない。ビアンカの保証によって居場所を確保できているイリヤとしては、それは文字通りの死活問題なのだろう。
彼はビアンカに
(ふむ……これは
いくらリキョウが口でこれが正しい、ビアンカはイリヤを見捨てるような性格ではないと諭した所で、彼が自分自身でそれを納得しない限り決して安心しないだろう。根の深い問題にリキョウは内心で嘆息した。
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