Episode9:戦端
「ふぅ……美味しかったわ。それで、これからどう…………っ!?」
遅めのランチを食べ終わって一息ついたビアンカはこれからの予定を決めようとするが、その時彼女は信じられない物を見て硬直した。
「ビアンカ、どうした?」
ユリシーズがその様子を訝しむが、彼女の目線は前を向いたままだ。一瞬だったが彼女は確かに見た。路地を抜けた先の雑踏の中から彼女の方をじっと見つめていた……
ビアンカと目が合うと、ヴィクターはすぐに踵を返して雑踏の中に消えていく。今のは確実に見間違いや気のせいなどではない。ヴィクターがあそこにいたのだ。
気が付くと彼女は無意識のうちに走り出していた。今ならまだ捕捉できるはずだ。
「……! ビアンカ!?」「おい、いきなりどうした!?」
ユリシーズとサディークが慌てて追いかけてくるが、彼女はヴィクターの姿を見失うまいと一心不乱に駆け続ける。ニューヨークの通りは大勢の行き交う人々でごった返し、ともすれば先を行くヴィクターの姿を見失いそうになってしまう。
ビアンカは極力人を突き飛ばす事は避けながらも最大限の速度を維持して、人々の間を通り抜けながらヴィクターを追いかける。
どれくらい走っただろうか。通りを行き交う人の数は徐々に少なくなり、気付くとビアンカは周囲に不自然なほど人気のない路地裏に入り込んでいた。
「おい、ビアンカ! 落ち着け!」
そこでユリシーズに強引に肩を掴まれて、彼女はようやく動きを止めた。
「ふぅ! いきなり狂ったように走り出してどうしちまったのかと思ったぜ!」
サディークも呆れたような安心したような顔で溜息を吐いた。ユリシーズはそれを無視して彼女に問い掛ける。
「何があったんだ? 何か見たのか?」
「……ヴィクターよ。ヴィクターがいたのよ!」
「何だと?」
ユリシーズは眉を顰めた。彼はヴィクターとは何度か会っている。だがサディークは首を傾げた。
「ヴィクターだぁ? 誰だそりゃ?」
「……こいつの
「ああ? 元カレだと!?」
特に元カレという部分に反応するサディーク。その顔が獰猛な笑みに歪む。
「そいつは面白れぇ。カバールって事は遠慮なくぶっ殺しちまっていいって事だよな? で、そのクソ野郎はどこにいるんだ?」
サディークが周囲を見渡すが、路地裏には他に人影はなかった。
「ビアンカ……奴の姿は見当たらないが?」
ユリシーズが静かに問い掛けるが、ビアンカは激しくかぶりを振った。
「そんな……! あれは確かにヴィクターだったわ! 見間違うはずがないわ!」
「まあ奴は小賢しい手妻を得意とするようだから、お前に何らかの幻覚を見せたって可能性はあるがな。どっちにしろ奴がこの街にいる事自体は確かかも知れんな」
ヴィクターが幻覚使いだった事を思い出したユリシーズは、彼女が嘘は言っていないと判断した。
「なあ、おい。
「……!!」
サディークの言葉に振り返ったビアンカ達は目を瞠った。路地の入口に2人の男が立っていた。どちらもヴィクターではない、ビアンカの知らない男だ。そして……
「ふん……さっそくお出ましか。ビアンカ、下がってろ」
ユリシーズが不敵な笑みを浮かべて前に進み出る。その男達は
男達の1人がこの路地全体を覆う『結界』を張り巡らせた。これでこの路地裏は外部から完全に遮断された事になる。
「見つけたぞ……『エンジェルハート』。我が主がお前の命を所望だ」
「……!」
もう一方の男がビアンカを指差す。やはりこの連中は悪魔……この街に潜むカバールの手先のようだ。だがその前に立ち塞がる者も2人……
「馬鹿が。貴様らの好きにさせると思ってるのか?」
「俺様が来た以上、てめぇらはもう終わりだ。ご主人様にもそう伝えな」
ユリシーズとサディークが、それぞれ魔力と霊力を発散させながら敵を挑発する。普段はデリカシーのない彼等だが、こういう時は本当に頼もしく思えてビアンカは安心する。
「邪魔する者は容赦なく消せとのご命令だ」
「その女と共に死ぬがいい」
男達から発せられる魔力も格段に上昇する。それと同時に奴等の姿が急速に
一体は巨大な
「中級悪魔ウリノーム、それにセパルか……! また随分珍しい奴等を従えてるな」
その姿を見たユリシーズが唸る。どうやら蝙蝠悪魔がウリノーム、蜥蜴悪魔がセパルというらしい。
「はっ! 面白れぇ! 腹も膨れたし、丁度そろそろ暴れたいと思ってた所だぜ! おい、俺が下のデカブツをやる。テメェは上の蝙蝠な」
「勝手に決めるな! ……ちっ、だがそれが妥当か」
ユリシーズは舌打ちしながらも渋々認める。基本的に2人共オールラウンダーだが、どちらかというとユリシーズは遠距離攻撃を得意とし、サディークは近接戦闘を得意としている性質はあった。そこから瞬時に戦闘の相性を割り出すサディークの判断は、流石に本職の戦士といった所か。
『『エンジェルハート』! ソノ命、モライ受ケル!!』
「……!」
飛翔型のウリノームがユリシーズ達を飛び越えてビアンカを狙おうとする。どうやらこのニューヨークにいるカバールの構成員は『ビアンカを生かして捕らえる派』ではなく、『殺して心臓だけ持ってくればいい派』であるようだ。
ウリノームはビアンカ目掛けて急降下で突っ込んでくる。人間からすれば殆ど見切れないような速さだ。ビアンカが目を瞠って硬直しかける。
「させるかっ!」
だがそこにユリシーズが魔力で障壁を張りつつウリノームの突進を遮断した。衝突の衝撃で大気が激しく震動する。
「邪魔だ! もっと下がってろ!」
「え、ええ……!」
ユリシーズに一喝されたビアンカは素直に頷いて安全な距離まで後退する。敵の奇襲に一瞬驚愕したが、ユリシーズが守ってくれた。考えてみれば随分久しぶりな気がする。これまで何かと任務の人選の都合や作戦などで別れて戦う事が多く、彼に直接守られるという機会は殆どなかった。
ビアンカはこんな時ながら故郷フィラデルフィアでの体験を思い浮かべていた。あの時はいつも彼がこんな風に守ってくれて、ビアンカは敵地の真っ只中だというのに何故か非常に安心できた。彼が自分の側にいてくれれば何があっても大丈夫だ。そんな安心感があった。
既に彼女の事など目に入っていないかのように敵と戦うユリシーズの後ろ姿を見守りながら、ビアンカは湧き上がってくる己の感情に戸惑いを覚えるのであった。
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