Episode15:王者の聖戦

「おう、ビアンカ! いい所に来たな! ……て、どうした? 何か機嫌悪そうだな?」


 東区にある古いイベント会場。ここには現在、この自治区に残っているほぼ全てのムスリム、そしてそれ以外にも『フロイト教』への改宗・・を拒んだ住民達が集まっていた。カシームやハディ達が呼び集めてくれたらしい。


 彼等に指示を出してこの場所を簡易要塞・・に作り替えていたサディークが、やってきたビアンカに気付いて手を挙げた。しかしすぐに彼女が不機嫌な事にも気付いたようで怪訝そうな表情になる。


「……別に何でもないわ。それよりこの有様は、いよいよ『フロイト教』の連中が攻めてきそうなの?」


「? ……ああ、まあ、そうだな。連中が何してくるか分からねぇし、変に人質とか取られても厄介なんでこうして全員呼び集めてもらったのさ。この方がこっちとしても守りやすいからな」


 ビアンカの様子から触れない方が良いと察したらしく、サディークは自分達の状況を説明する。確かに理に適った戦術だ。『フロイト教』のモラルは無いに等しいので、無辜の人々でも平気で人質に取ったりする事は充分あり得る。



 カシームが走り寄ってきた。


「サディークさん、これで全員です。今ここにいない人達は我関せずを決め込んだ者達なので、仮に『フロイト教』の連中が何かしたり人質に取ったりしてきても、私達も我関せずを貫けます」


「おし、よくやってくれた。その意気だ」


 サディークは笑ってカシームを労うと、フロアのステージ部分に上がって居並んでいるムスリム達やそれ以外の善良な住民達を睥睨した。既に自己紹介的なものは済ませてあるらしい(まあまさかサウジアラビアの王子だとは名乗っていないだろうが)。皆とくに疑問もなく自分達の上に立つサディークの姿を仰ぎ見ている。



「いいか、お前ら。これからちょっとした戦争・・が始まる。何事もなく平和に暮らせればそれでいいってお前らの気持ちは非常によく分かる。だが世の中ってのは自分だけで成り立ってるものじゃねぇ。必ず相手・・が存在してるんだ。そしてその『相手』は必ずしも自分達にとって友好的とは限らねぇ。そして友好的じゃない相手は必ずお前達の自由を奪い、支配しようとしてくる。自由が欲しけりゃ、時には戦う事も必要なんだ。まあ今回は相手が相手なだけに俺がお前らの代わりに戦うが……この件が済んでも、今後も『自由』のために世の理不尽と戦わなきゃならない機会は必ず訪れるだろう。今回ここに集って『フロイト教』の連中に屈しない事を決めた時の気持ちを忘れるな。その気概を忘れなきゃお前らは今後も戦っていけるはずだ」


「…………」


 誰も言葉を発さずにサディークの演説に聞き入っていた。ビアンカ自身も同様であった。


 最近になって解ったがサディークはただの戦闘狂などではなく、実際には冷静で戦略的な部分も持ち合わせており、こうして弱者の気持ちや立場も慮る事が出来る理知的な人物であった。


 そもそもシカゴでも悪魔の裏を掻いてその懐に入り込んだりしていたのだ。ただの狂戦士には不可能な芸当だ。それでいてその佇まいは人の上に立つ天性の風格も兼ね備えている。彼は生まれながらのエリート、王者とでもいうべき存在であった。


「俺を信じろ。そして何よりも自分達を信じろ。先人達がやってきたように『自由』をてめぇの力で、意志で勝ち取ってみせろや! 自由はすぐそこだぁっ!!」


 ――ウオォォォォォォォォッ!!


 その場に集ったのは百人に満たない程の人数であったが、高い熱気と高揚に包まれて拳を振り上げる者が続出した。その熱気はやがて会場全体を包み込んだ。



*****



「『フロイト教』の連中が来たぞ! 前より数が多い! あれは多分連中の総力だ!」


 戦争・・の準備を進めるサディーク達の元に、見張り役が駆け込んできた。いよいよ来た。サディークはむしろ不敵そうに口の端を吊り上げた。


「へ、ようやくお出ましか。随分悠長なこったぜ。こっちはもう準備万端・・・・整ってるってのによ」


 サディークはそう嗤ってからビアンカに向き直った。


「基本的には前の小競り合いと同じだ。俺が外に出て突っ込んで、奴等の主力を引き付けてぶっ殺す。だが奴等も今度は最初から陽動・・を狙って作戦を立ててるはずだ。俺一人じゃそれを防げねぇ可能性が高い。だから……」


「解ってるわ。ここは任せて。絶対に守ってみせる」


 彼の言いたい事を察して請け負うビアンカ。サディークは少し複雑そうな表情ながら頷いた。


「わりぃな。ホントは完璧に守ってやれればそれが一番なんだがよ」


「言わないで。カバールとの戦いに身を投じた時から、これは私の戦いでもあるのよ。守られるだけの存在なんて真っ平。私もあなた達の『仲間』として共に戦う・・・・わ」


 ビアンカが断言するとサディークは僅かに目を瞠った。そしてすぐに微苦笑した。


「はっ……そうだな。俺もまだ本国での意識が抜けてねぇようだ。お前は『仲間』だ。ここの連中は任せたぜ」


「ええ、任されたわ」


「頼むぜ。まあそれとカシーム達にも『保険』を掛けてあるから、危ないと思った時は無理せずにあいつらと共闘・・しろ。いいな?」


 サディークの念押しにも頷くビアンカ。彼がムスリム達に掛けた『保険』。一応それを掛ける所を見たし説明も受けたが、正直ちょっと信じられないというのが本音だった。頷きはしたが、内心では極力自分の力だけで何とかしようと考えていた。 





「『聖キース』のご威光を広める邪魔をする異教徒共よ! 私はマーティン・J・リームス! 『フロイト教』の代弁者・・・だ! 無駄な抵抗はやめて潔く投降するが良い! 今なら聖キースの慈悲によりお前達の罪は赦されるであろう!」


 イベント会場を取り囲む物々しい『フロイト教』の信者たちの先頭で声を張り上げるのは、壮年の黒人男性だ。『教祖』マーティンである。先遣隊・・・が全滅した事によって、主力を率いて教祖自身が乗り出してきたのだ。


 マーティンの呼び掛けに応えるかの如く開いた正面入り口から、しかし出てきたのはたった1人の男……サディークだけであった。



「ほぉ……やっと教祖様のお出ましか。心にもねぇ事のたまいやがって。投降するって出てきた所を皆殺しって算段だろ? てめぇら小悪党のやり口なんざ読めてんだよ」


「……! 貴様は……貴様が我々の改宗部隊・・・・を返り討ちにしたという罪深き異教の猿か! 貴様だけは絶対に許さんぞ。聖キースのご威光の前に焼き尽くされるがいい!」


 サディークの姿を認めたマーティンの顔が憤怒と憎悪に歪む。対照的にサディークの顔は嘲笑に歪んだ。


「ご威光だぁ? またありがたい聖なる鉛玉をプレゼントしてくれるってか? そんなモン俺には効かねぇって学習してねぇのか」


「馬鹿め……あんな物はただの警告だ。貴様のような化け物がいると分かっていれば、こちらも最初から相応の戦力・・・・・を揃えてくるに決まっているだろうが」


 マーティンの表情が今度は残虐な笑みに歪んだ。彼が手を挙げると会場を取り囲んでいた『フロイト教』の信者たちが一斉に変化・・した。奴等の身体から魔力・・が発散される。


「……!」


 それに気付いたサディークが流石に眉根を寄せて臨戦態勢を取る。その時には信者たちの姿は人間ではない異形のものに変わっていた。


 翼の生えた悪魔じみた外見の怪物……ビブロスや、腐乱したゾンビの如き外見の怪物……アパンダ、それに鳥と人間が合体したような容姿の怪物……ムルカスなど下級悪魔・・・・の姿が代わりに出現していたのだ。


「……ほっほぉー……なるほどねぇ。そういう事か。これでおたくが背後で誰と繋がってるか当たりが付けられたぜ。元から遠慮するつもりはなかったが、これで心置きなくてめぇらを殲滅してやれそうだな」


 ビアンカからこの自治区に出資しているらしきカバールの悪魔についての情報は既に得ていた。オルブライト議員はダニーだけでなくマーティンとも繋がっていたのだ。


「真っ黒も真っ黒極まれりってやつだな」



「馬鹿め、この数に勝てるとでも思っているのか? 殺せっ! その後は中の奴等もだ!」


 マーティンが指示すると下級悪魔達が奇声を上げながら一斉に襲い掛かってきた。流石にこいつら相手に素手で戦う気はない。サディークは二振りの曲刀を抜き放つと、その刀身に霊力を纏わせた。


「ぬぅらァァァァッ!!!」


 そして気合の怒号を発すると、むしろ自分から悪魔達の群れに斬り込んだ。複数のビブロスが迎撃に火球や電撃を撃ち込んでくる。他にも空気弾や溶解液、毒針など多種多様な遠距離攻撃が殺到する。


 サディークは二振りの曲刀を縦横無尽に振り回してそれらの攻撃を次々と斬り払っていく。一部躱しきれないものは被弾するが、彼の分厚い霊力の障壁によって多少の痛痒を感じる程度まで軽減する。


 彼が肉薄すると遠距離攻撃を持たないアパンダ達が群がって、その毒を帯びた爪で攻撃してくる。だがそんな物で怯む彼ではない。


「邪魔だ、クソ雑魚共がぁっ!!」


 荒々しく吼えると、身体ごと回転させる勢いで霊刀を薙ぎ払う。アパンダ達が紙細工のように切り裂かれて消滅していく。だがその間にビブロスや他の悪魔達が次なる遠距離攻撃を撃ち込んできた。上空を含めたあらゆる角度から迫る悪魔の攻撃。


 上空に飛び上がられていると近接攻撃では手が出せない。ならば……



「おおりゃあぁぁぁぁっ!!!」


 自身の霊力を刀身に纏わせ、その刀身を媒介・・として剣を振り下ろす軌道に合わせて霊力の刃が射出される。彼の得意技とも言える『霊空刃』だ。


 同じ聖戦士でも基本的には刀に霊力を纏わせるのが精一杯だ。あとは『神霊光』という形で無指向に放出するくらいか。霊力に形と指向性を持たせて遠距離攻撃として用いる技は『ペルシア聖戦士団』でも上位……位階一桁台の戦士にしか使えない。ましてや……


「っらぁぁぁぁぁっ!!!!」


 サディークが刀を振るう毎にその軌道に合わせて次々と霊力の刃が連続で射出されていく。シカゴでイリヤ相手にも使った『霊空連刃』だ。


 霊力に指向性を持たせて射出するだけでも上位の戦士にしか使えない高難度技だが、ましてやそれをこのように連続で絶え間なく射出するなど、上位3人……即ち位階一位のアフメットと位階二位のサディーク、後は位階三位の戦士が使えるのみであった。


 そのような絶技を前にして下級悪魔達が生き残れるはずもない。自らが放った遠距離攻撃ごと斬断されて次々と消滅していく。彼が『霊空連刃』を撃ち終わった時には、既に下級悪魔達は残らず消滅していた。



「ば、馬鹿な……偉大なる我等が『神』から力を授かったはずの信徒たちが……。貴様、本当に人間か?」


 唯一残っていたマーティンが呆然として呟く。兵隊を失った哀れな『教祖』にサディークは再び嘲笑を投げる。


「少なくともてめぇらよりは『人間』だと思うぜ? さあ、どうするよ『教祖様』。おたくこそ降参するなら今の内だぜ?」


「……! 抜かせ、薄汚いムスリム風情が……! 私が『神』から授かった力は信徒どもの比ではないぞ。それを今から思い知らせてやろう!」


 マーティンの身体から信者たちとは比較にならない程の強い魔力が噴き出す。同時にその身体が恐ろしい勢いで肥大していく、優に3メートルを超えるような巨人・・の姿となった。


 ただ身体が肥大しただけではなく、その身体は赤銅色の鋼のような筋肉に覆われ、異常に腕が長いゴリラのようなシルエットとなっていた。そしてその貌は不揃いな牙が生え並んだ口と、何よりも巨大な一つ目・・・が特徴的な醜い面貌と化していた。



「ほぅ……知ってるぞ、それ。確かヴァンゲルフとか言ったか?」


 彼がビアンカの随行メンバーとして正式・・に認められた後に読んだ資料で見た姿だ。中級悪魔としては強力な部類で、その怪力と腕を伸ばす能力、そして焼け付く蒸気を吐き出す能力が厄介だったはずだ。


(確か……あのユリシーズの奴がフィラデルフィアであっさり・・・・倒したって話だったな)


 戦闘面でも密かに彼がライバル視している半魔人の男を思い出す。あの男に出来て自分に出来ないという事はないはずだ。サディークは無意識に獰猛な笑みを浮かべていた。


「面白れぇ。俺の方が奴より強いって事をビアンカに知らしめる絶好の機会だな」



『殺シテヤルゾ! ゴミ虫メッ!!』


 マーティン――ヴァンゲルフは恐ろしい咆哮を轟かせると、その丸太のような太さの腕を薙ぎ払ってきた。膨大な質量と剛速はそれだけで人間を一撃で絶命させる凶器だ。サディークが後ろに下がってそれを躱すと、ヴァンゲルフはもう一方の腕を振るってきた。


「……!」


 その腕はまるでゴムが伸長するように不自然な挙動で、いきなりリーチが倍増した。初見のサディークは流石に意表を突かれて躱しきれずに薙ぎ払いがヒットする。常人であれば一撃で内蔵が破裂して絶命するような剛撃だが、サディークは霊力の障壁によってダメージを最小限に抑える。


「やってくれたなぁ、デカブツがっ!」


 即座に態勢を立て直したサディークが反撃に斬りかかる。ヴァンゲルフの剛腕が今度は上から降ってくる。また腕が伸びてリーチが変化したが、今度はサディークも予測していた。


「はんっ!」


 斜め前に転がるようにしてハンマーナックルを回避すると、素早く起き上がりながら霊刀を横薙ぎに一閃。ヴァンゲルフの太い腕を一刀両断した。


『ヌガァッ!! 貴様ァァァッ!!』


 ヴァンゲルフは怒りの咆哮を上げると、その不揃いな牙が並んだ口を大きく開いた。


「……! させるかよ!」


 予め資料を読んでいたサディークは、奴が何をするつもりか悟ってそれを妨害すべく速攻を仕掛ける。蒸気のような単純な物理現象による攻撃は彼と相性が悪い。咄嗟に二振りのうち片方の曲刀を奴の喉元に投げつける。


『……ッ!』


 喉元に霊力を帯びた刀が突き刺さったヴァンゲルフがその一つ目を見開いて動きを止めた。その隙に人間離れした跳躍力で高く飛び上がったサディークは限界まで刀を振りかぶった。


「終わりだぁっ!!」


 体重を乗せた斬撃が全力で振り抜かれた。膨大な霊力を帯びた曲刀は、巨大な悪魔の身体を頭頂から股間まで一刀のもとに分断した!


『――――ッ!!!』


 悪魔に魂を売った詐欺師マーティンは、断末魔の叫びを上げる事さえ許されずに霊力に灼かれて消滅していった。

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