Episode16:『ジハード』

 ビアンカ達が籠っているイベント会場の外から凄まじい戦いの喧騒が響いてくる。サディークが『フロイト教』の連中を相手に激闘の最中のようだ。喧騒からはとても人間の物とは思えないような恐ろし気な咆哮や何かが爆発するような音や、雷が落ちたかのような異音なども轟いている。


 これらの音にはビアンカも聞き覚えがあった。やはり『フロイト教』のバックにもカバールが付いていたのだ。恐らく教祖マーティン他、主だった信者たちは全員下級悪魔や中級悪魔へと変貌しているのだろう。


 しかし恐らく上級悪魔であるオルブライト自身が出てこない限りは、そうそうあのサディークが遅れを取る事も無いだろう。それよりもむしろ心配なのは……


「…………」


 ビアンカが後ろを振り返ると、そこにはイベント会場のホールに大きな絨毯を敷いてそこに並んで座りこみ、一心不乱に礼拝を続けているムスリム達の姿があった。表の喧騒も聞こえていないかのようだ。


 サディークは準備の間に彼等に『保険』を掛けた。使わずに済めばそれに越したことはないがなと前置きして。もしビアンカ1人では手に余るようなら彼等が動く手筈になっていた。果たして本当に効果・・はあるのだろうか。


 幸か不幸か、それを検証する機会はすぐにやってきた。



「……!!」


 建物の天井・・が破られる破砕音が響いた。それと同時に何体かの異形の影が破壊した天井の穴から降り立った。長い鉤爪を生やしたゾンビの如き姿の悪魔――アパンダが3体、そしてお馴染みのビブロスが1体の計4体の下級悪魔達であった。


(……っ! やっぱり来たわね! でも……)


 4体も来るのは予想外であった。以前にビブロス1体となら戦って勝った事があるが、それにアパンダ3体も加わるとどうなるか。考えている暇は無かった。まずアパンダ達が醜い叫び声を上げながら殺到してきたからだ。


「ちぃ……!」


 まさか逃げる訳にもいかない。ビアンカは舌打ちしつつ迎撃する。既にグローブやチョーカーなどの霊装は整えてあり準備は万端だ。こうなったらやるしかない。


 攻撃こそ最大の防御。ビアンカは自分から奴等に向かって走る。そして助走を付けて跳び上がると、先頭にいたアパンダの顔面に全力の飛び蹴りを叩き込んだ。


『……!!』


 シューズからも霊力の波動が放出され、まともに喰らったアパンダの顔面は原型を留めない程に破壊されて、地面に倒れるとそのまま消滅してしまった。


 先制攻撃で1体を倒す事には成功した。だがこの手が使えるのは最初の接敵時のみだ。ここからが本番であった。


 他に2体のアパンダが怯まずに鉤爪で攻撃してくる。奴等の爪には毒があり、喰らったら例えアルマンのチョーカーを付けていてもどうなるか分からない。ビアンカは回避を優先して身を翻す。するとアパンダは嵩にかかって追撃してくる。


 1体なら反撃の余地も作れるが、2体の毒爪を避けながら的確な反撃をする事はかなり難しい。ビアンカは忽ち防戦一方に追いやられる。しかも敵はアパンダだけではなく……


「……!」


 視界の隅で光が瞬いた。ビアンカは半ば本能的な動きで身を投げ出すように回避する。ほぼ同時に直前まで彼女がいた場所をビブロスの電撃が貫いた。しかしビアンカが体勢を立て直す暇もなくアパンダ達が追撃してくる。それを必死に回避していると、再びビブロスが後方から遠距離攻撃を放とうとしてくる。


 ビアンカは激しく焦った。このままでは何も出来ずに追い詰められるだけだ。しかしそれが解っていても打つ手がない。ビブロスの手から容赦なく再び電撃が放たれようとした時……



「……!!」


 ビブロスに向けて飛び掛かる影があった。凄まじい速さだ。脅威を感じたらしいビブロスは咄嗟に攻撃を中断して跳び退る。


 ビブロスの攻撃を中断させた影。それは……カシームであった。あくまで一般人の、それも無害なムスリムであるはずの彼がビブロスを攻撃・・し、また下級とはいえれっきとした悪魔であるビブロスが彼に脅威を感じて跳び退った。


「な…………」



「ビアンカさん、我々・・が加勢します。自分達の信仰の自由は自分達で守ります」



 唖然とするビアンカに対してカシームが微笑む。するとそれを合図としたように他のムスリム達も続々と立ち上がって参戦・・してきた。老人以外の成人男性のみだが、それでも10人以上はいる。


 彼等は一様にカシームと同じく人間離れした身体能力を発揮して、手に持った鉄パイプや廃材などを武器代わりに悪魔達に攻撃を仕掛ける。


 そこから先はビアンカにとっては中々に信じがたい展開となった。カシームを始めとしたムスリムの男達の強さはかなりの物で、流石に単身では悪魔達に敵わないだろうが何と言っても数が多く、悪魔達は3体しかいなかったので文字通り袋叩きにされて全員斃されてしまった。


 いくら数が多いとはいえ、銃を持っていても殺せないような悪魔達を普通の人間が棒や廃材、そして素手などで斃してしまった。勿論通常・・ではあり得ない現象だ。それを可能にしたのは……



「サディークさんから授けられた・・・・・この『奇跡』。勿論一時的なものだとは解っていますが、ただ状況を嘆くだけではなく守りたい物は自分達で守るという意志と勇気を我々に与えてくれました」


「カ、カシームさん……」


 ビブロスを倒して戻ってきたカシームが厳かな表情でそう言うのを、ビアンカは若干引き攣った笑みを浮かべて聞いていた。


 彼が言う『奇跡』。それはサディークが彼等に予め掛けていた【聖戦ジハード】という力によるものであった。自身の霊力の一部を不特定多数の他者に分け与えて、一時的に普通の人間を遥かに超える戦闘能力を付与するという能力であるらしかった。


 ただし誰にでも分け与えられる訳ではなく、敬虔なイスラム教徒である事が聖戦士の霊力を付与できる条件で、尚且つ戦意や使命感などで精神が高揚している状態ほど効果・・が高いという特性があった。


 サディークが『フロイト教』が攻めてくる前に、ムスリム達に演説して精神を高揚させていたのはその為であったのだ。


 この【聖戦ジハード】という能力はその聖戦士の霊力によって付与できる人数が変わってくるらしく、下位中位の戦士だと精々2、3人が限界らしいが、サディークのような上位の戦士になると今のように何十人ものムスリムを一時的に超人に変えられるのだとか。


 ビアンカも最初に聞いた時には半信半疑であったが、この光景を見ては信じざるを得なかった。




「おう、こっちも無事に終わったみてぇだな。やっぱこいつらに【聖戦】を掛けておいて正解だったな」


「……! サディーク!」


 いつの間にか表の戦いの喧騒も止んでおり、入り口に肩でもたれかかるようにして腕を組んだサディークが満足げに頷いていた。ビアンカは彼の元に駆け寄った。


「ビアンカ、無事で何よりだ。怪我はねぇか?」


「え、ええ、お陰様で……。そっちも無事に終わったの? マーティンは?」


 本当に彼の力のお陰で怪我無く済んだので、実感を込めて頷くビアンカ。彼女の問いにサディークは肩を竦めた。


「勿論残らず片付けたぜ。マーティンの奴もな。これで少なくとも直接的にこの地のムスリムを弾圧・・してくる奴等はいなくなった。後はあいつら自身の問題だ。ま、今回その自信を付けさせるための【聖戦】でもあったから、この様子なら大丈夫だろ」


 彼の視線の先ではカシーム達が互いを讃え合って、そこに女性達も加わって戦勝ムードになっていた。その様子や表情からは、出会ったばかりの頃のような昏さや卑屈さは微塵も無かった。



「でも、あの悪魔達……。やっぱり『フロイト教』の背後にいたのもカバールだったのね?」


「そうみてぇだな。お前が言ってたオルブライトって奴が裏で糸引いてるらしいな。手駒を一つ潰されたやっこさん、今頃はかなりご立腹だろうぜ。後もう一つくらい決め手があれば、この自治区に奴を引きずり出せるはずだ。お前が『天使の心臓』だってのもそろそろ伝わってるだろうしな」


 この自治区で立て続けに異変・・が起きれば、オルブライトの注意を確実に引けるはずだ。そしてそうなれば奴はすぐに『天使の心臓』たるビアンカの存在に気付くだろう。後もう少しだ。


(異変、か……)


 あとオルブライトの注意を引けそうなものと言えば、やはり奴と繋がっているらしきダニー・フロイトくらいだろう。今現在アダムが所属・・している『自警団』のボスで、そのアダムはルイーザの専属・・護衛に抜擢されていた。


 ビアンカはやはり再びルイーザと関わる事は避けられないだろうという、半ば確信にも似た予感を覚えるのであった……

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