Episode18:三面鬼神

「ふぅぅぅぅ…………」


 サディークが大きく息を吐き出して二振りの曲刀に付着した血糊を払う。彼の周囲には霊刀によって裁断された中級悪魔達の死体が転がっている。それもやがて空気に溶け込むように消えていった。


「す、凄い……」


 ビアンカは思わず目を瞠っていた。襲ってきた中級悪魔はどれもヴァンゲルフ級の強さだったはずだ。だがサディークは流石に楽勝とまではいかなくとも、危なげなくこれらを殲滅する事に成功していた。


 やはり彼の実力はユリシーズに匹敵するものだ。敵に回すと極めて厄介だが、味方となればこれほど頼もしい存在もいない。



「さあて、ウォーミングアップはもう充分だ。ぼちぼち本番・・と行こうじゃねぇか」


 サディークは不敵な笑みを浮かべると、相変わらず車椅子に座ったままのアル・カポネ……否、その息子・・であるアルバート・フランシス・カポネに切っ先を向けた。


 そのアルバートもまた、用意しておいた悪魔達が全滅したというのに少しも慌てた様子がない。


「ふぅ……面倒な。あまり下賤な連中相手に我が力を直接振るいたくはなかったのだが、こうなっては致し方あるまい」


 うんざりしたようにかぶりを振ると、アルバートの姿が唐突に変化・・を始めた。奴の首だけが異常な長さに伸びた・・・のだ。キリンよりも長くなった首は関節という物が存在しておらずにウネウネと気色悪く蠢いていた。そしてその長い首の先端にある顔は牙の生えた悪魔じみた風貌に変わり、額にも血のように真っ赤な瞳の巨大な目が開く。


 それだけでも充分不気味ではあるが、更に奴の身体からはもう二本・・・・の同じような長首が生えてきて、合計3本の首がウネウネと揺らめいている奇怪な姿となった。


 車椅子に座った身体だけはそのままなので、そのアンバランスさも一層奇怪ぶりを際立たせていた。


「ほぅ……それがテメェの……?」



『如何にも。この『三面鬼神ゲーリュオン』モラクスに戦いを挑んだ愚、精々後悔しながらあの世へ旅立つがいい』



「はっ! あの世へ行くのはテメェだぁっ!!」


 サディークは再び曲刀に霊力を纏わせると、一陣の竜巻となってアルバート――モラクスに斬り掛かる。身体は相変わらず車椅子で、機動力に難がありそうなモラクスにその攻撃を躱す術はない。それは間違っていなかったが……


『馬鹿めッ!』


「……!」


 向かって左側の首がその口から強烈な火球を吐きつけてきた。中級悪魔の攻撃を物ともしなかったサディークが、その火球には受けを余儀なくされた。


「ふんっ!」


 曲刀を一閃。霊力を帯びた斬撃が火球を両断する。だがその隙に今度は右側の顔がその口から液体のようなものを吐きつけてくる。本能的に身の危険を感じたサディークが躱すと、彼のいた場所の床が激しい蒸気を発しながら溶け崩れる。どうやら硫酸のような溶解液らしい。


「ち……邪魔だ!」


 サディークがまずは右側の首を攻撃しようとターゲットを変えるが、そこに今まで動かなかった中央の首が妨害してきた。


『キシャアァァァァァァッ!!』


「……っ!」


 中央の首は何とその長首を鞭のように撓らせて、頭で直接攻撃してきた。よく見ると中央の頭だけまるで刃のようになった巨大な角が二本生えていた。その角の生えた頭による鞭攻撃はビアンカの目には消えた錯覚するほどの速さで、さしものサディークも無視する訳には行かない様子だ。


 モラクスの角とサディークの曲刀が打ち合う。何と奴の刃角はサディークの霊力を帯びた刀と打ち合っても折れたり切れたりする事はなかった。それどころか……


「ぬぅっ!?」


 長い首を鞭のように撓らせた威力も加味されてか、凄まじい威力らしくサディークの方が刀を弾かれて僅かに体勢を崩す。そこに中央の首が口を開くと、そこから勢いよくが突き出された。その舌もまた鞭のように素早く自在に蠢いて、体勢を崩したサディークに襲い掛かる。


「ちぃっ!」


 彼は咄嗟に跳び退ってそれを躱すが、僅かに舌の先が掠る。舌は鋭利な刃物のような切れ味らしく、サディークの掠った腕が裂けて血がパッと噴き出す。


「……! サディーク!?」


「へ……心配すんな。こんなモンは唾ならぬ霊力付けときゃ治る」


 思わず彼の名前を叫んでしまうビアンカだが、サディークは不敵な笑いを浮かべたままモラクスから視線を外さずに答える。言葉通り確かに出血はすぐに治まっていく。彼は自身の霊力を回復にも転用できるらしい。



『ほぅ……中々の力だな。だが貴様の霊力も無限という訳ではあるまい? どこまで持ちこたえられるかな?』


「安心しろ、その前にテメェはくたばってるからよっ!」


 サディークは再び怖れ知らずに突撃する。当然迎え撃つ中央の首。サディークは二振りの曲刀を巧みに振るうが、モラクスも角と舌の刃を使い分けてサディークと互角に打ち合う。いや、この場合互角・・というのだろうか。


「……! あ、危ない!」


 ビアンカが再び思わず警告の叫びを発してしまう。そう、モラクスの首は3つあるのだ。長い首を更に伸ばしてサディークの後ろに回り込んだ右側の首が、中央の首と斬り結ぶサディークの背中目掛けて溶解液……ではなく、噴霧状になった液体を吐きつける。


「……!!」


 咄嗟に気付いたサディークが大きく横に跳んで躱すが、当然それは中央の首に対しての大きな隙になる。


『ふんっ!』


「ぬぐ……!」


 奴の角がサディークの胴体を斜めに斬り下ろし、再び派手に出血させる。彼が初めて苦痛の表情を浮かべる。だがモラクスの攻撃はそこで終わらない。


 今度は左側の首が追撃してくる。その額の目からまるで光線のように太い雷光が発生し、電撃の束がサディークに襲い掛かる。


「ちぃぃぃっ!!」


 堪らず後方へ大きく跳び退るサディーク。接近戦では中央の首を相手取っている間に左右の首の横槍を受け放題になる。



「だったら遠距離攻撃はどうだ!」


 サディークはそう言って曲刀を大きく振りかぶる。あの構えはイリヤとの戦いでも見せたものだ。という事は……


「شينري لايت بليد !!」


 彼がアラビア語で叫ぶとその曲刀に纏わっていた霊気が、曲刀を振り下ろすのに合わせて刃の形を保ったままの光刃となって射出される。彼が『霊空刃』と呼んでいた遠距離技だ。


 やはり機動力の無いモラクスには必中するかと思われたが……


「……!!」


 何と車椅子に座ったままだった胴体部分・・・・が、ゆっくりと両手を前に掲げた。するとモラクスの前面辺りに、赤黒い色をした半透明の『膜』のような物が形成された。霊空刃がその『膜』に当たると、膜は僅かに揺らめいただけで霊空刃を弾き飛ばしてしまった。


「けっ、面白れぇ! だったらあのガキの時みたく、壊れるまで連続で撃ち込むだけだ」


 サディークはそう言って次々と曲刀を振り抜いて霊空刃を連続で射出していく。確かにイリヤの時のように連続で撃ち続ければ、いずれは相手の耐久力を超えて破壊できるかもしれない。だがモラクスがそれを黙って見ているはずがない。


 右側の首が『膜』を迂回するようにして、溶解液をまるで消防車のような勢いで射出してきた。あんなものを喰らったら一溜まりもない。


「……っ!」


 サディークも当然攻撃を中断して躱す以外にない。しかしその躱した先を狙って今度は右側の首が火球を吐きつけてくる。溶解液を躱した直後の硬直を突かれたサディークは受けが間に合わない。


「うおぉっ!?」


「サディークッ!!」


 火球の爆炎をもろに喰らって吹き飛ぶサディーク。ビアンカはユリシーズ並みの強さであるはずのサディークが手も足も出ずに押される姿が信じられずに目を瞠った。



『ふぁはは……私に逆らわねば死なずに済んだものを。だがもう遅いぞ。私のこの姿を見て今まで生き延びた者は1人もいないのだ。貴様も例外ではない』


 モラクスが嗤いながらサディークに止めを刺そうと三つ首全てを向ける。サディークはすぐにはダメージを回復できないらしく、苦し気に片膝をついていた。


 近距離でも遠距離でも打つ手なし。どう見ても万事休すの状態だ。だが……ビアンカはそれでも尚、彼の目が本当の意味で焦ってはいない事に気付いた。


「へ、へへ……これが本物の悪魔ってヤツの強さかよ。この俺様が真っ向勝負でここまで苦戦するとはよ。やっぱ国から出てきて正解だったな。世界ってヤツは驚きに満ちていやがるぜ」


『何をぶつぶつ言っている? 絶望の余り気が触れたか? 尤も今更命乞いなどしても無意味だがな』


「……ホントは1人で綺麗に勝ちたかった所だが、そんな事言ってられるような相手じゃなさそうだな」


 モラクスを無視して、サディークは何故かビアンカの方を向いた。いや、正確にはビアンカの腕に嵌めている時計・・を見ていた。



「気付いてて敢えて・・・そのままにしてやってたんだ。テメェらがよっぽど無能じゃなきゃそろそろだろ」



「……?」


『貴様、さっきから何を言って…………っ!?』


 不可解なサディークの言動に、奇しくもビアンカとモラクスの疑問が被さる。彼はビアンカの時計を見ているが、この義父母からの形見の腕時計がなんだと言うのか。その答えは直後に出た。


 金属の質量とモラクスの魔力で封鎖されていたはずのこのフロアの扉が、何か外側からの凄まじい力によって原型を留めないくらいにひしゃげて弾け飛んだのだ。


『何……!?』


 モラクスも、そしてビアンカも驚きに目を剥く。吹き飛んだ出入り口から2人の人間・・・・・が中に踏み込んできた。その姿を見たビアンカは、信じられない思いで目を見開いた。



「ビアンカッ!! 無事か!?」



「ユ……ユリシーズ・・・・・?」


 それは紛れもなく本物のユリシーズであった。シカゴの市庁舎で別れて以来、長らく会っていないような気になっていた。


「お姉ちゃん! 良かった……!!」


「イリヤ!? あなたも一緒なの!?」


 そしてユリシーズだけでなくイリヤの姿も一緒であった。サディークにやられた彼がどうなっていたのか心配だったが、どうやら無事であったらしい。



「ふ、2人とも、どうしてここが……」


「詳しい話は後だ。まずはこの状況を無事に脱してからだな。……少々予想外の状況だったのは確かだが」


 ユリシーズはモラクスと、それと向き合って戦っている様子のサディークに目を向けて呟いた。どのような経緯でかここまで来たという事は、この部屋の主の素性や彼が悪魔であった事は知っているはずだ。となればモラクスの姿が予想外という事はないはずだ。


 彼が言っているのは間違いなくサディークの事だろう。雇われていたと思われる悪魔に対して反逆しているのだから。サディークと一度は戦ったユリシーズもイリヤも俄かには信じがたい光景だろう。


「よぉ……遅かったな。見ての通りパーティーは大盛況だ。遠慮なく参加していけよ」


「……!」


 サディークの言葉にユリシーズもイリヤも胡乱気な目を向けた。ビアンカは慌てて口添えする。


「彼が雇われていたのは、あの悪魔……モラクスを欺く為の演技だったの。彼は最初からモラクスを討つつもりだったのよ。お願い、2人とも。ここは彼に協力してあげて!」


「……っ! なるほど、そういう事だったか」


 ビアンカの言葉で素早く状況を把握したユリシーズが唸る。一度は本気で殺し合ったようなので、その胸中が複雑なのは想像に難くない。ましてやイリヤなどは直近で手酷く敗北しているのだ。いきなりアレが実は演技で、今は彼に協力してと言われても納得はしづらいだろう。


 だが……



「ちっ……仕方ない。奴の事は今一つ信用できんが、目の前にもっと信用できん悪魔がいるからな。おい、ガキ。お前も今は気持ちを切り替えろ。まずはあの長首野郎をやるぞ」


「……! わ、解ったよ。どノみち今の僕は何も言う資格なイし……」


 ユリシーズとイリヤは優先順位を判断して、まずは目の前のモラクスを斃すという事で一致したようだ。それも悟ってサディークも口の端を吊り上げて再び立ち上がる。


「へへ……そうこなくちゃな。これはこれで違った楽しみが味わえそうだぜ」


 臨戦態勢を取って囲む3人に対して、モラクスもその身体から全力と思われる凄まじい魔力が噴き出る。


『ふん……虫けらが何匹増えようが所詮虫けらに過ぎん。貴様ら1人も逃がしはせんぞ。『天使の心臓』を手に入れる前菜としてくれるわ!』


 モラクスは三つの首全てに憤怒の表情を浮かべて、自分からユリシーズ達に襲い掛かる。それを迎え撃つ超戦士達もまた、それぞれの首に狙いを定めて戦いを挑む。ビアンカは超常の戦いに巻き込まれないよう距離を取る事しかできない。


 彼女の見ている前で、シカゴの任務における最終決戦が始まった!

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