Episode15:絶対強者

 戦いは終わったものの「戦場」は酷い有様となっていた。廃アパートの広い駐車場や敷地内には文字通り死屍累々といった感じで、敵味方のギャング達の死体が折り重なって倒れており、辺りには死の臭いが充満していた。


 『ホットドッグス』はボスであるキンケイドとガービーが死んでしまい、残りのメンバーもほぼ壊滅状態となっている事から事実上の消滅と言えるだろう。そして『ブラッド・ネイション』の方もボスであったヴィクターが逃げ去り、主要3組織が壊滅した事でほぼ解体と言って過言ではない状態となっていた。


 完全な痛み分けであり、勝者なき只の殺し合いであった。ビアンカの任務も失敗してしまった。ヴィクターも取り逃がしてしまったので、結果として残ったのは果てしない徒労感だけである。


(後は……ユリシーズの方が上手く行く事を祈るしかないわね)


「イリヤ、もう大丈夫よ。敵はいなくなったわ。あなたもご苦労様。よく頑張ったわね」


 嘆息したビアンカは、しかしそれを表には出さずにイリヤを労う。イリヤは少し申し訳なさそうな表情でその美貌を曇らせていた。


「お、お姉ちゃん、ごめんなさい。あのヴィクターって奴を逃がシちゃった。それに……あいつらを勝たせナいといけなかったんだよね?」 


 どうやら彼なりに責任を感じているらしい。しかし彼がいなかったらそもそもビアンカは敵に負けていた可能性が高いので、こうして無事に生き残れたことは間違いなくイリヤのお陰であった。


 そもそもヴィクターがいた事も、奴があれだけ力を増していた事も、全て想定外であったので仕方がないとしか言えないだろう。


「仕方ないけど、ここでの私達の仕事は終わりよ。一旦市長の元に戻って、新しい情報がないか聞いてみましょうか」


 ビアンカがそう言って、イリヤを促してこの戦場跡から立ち去ろうとした時だった。



「――ほほぅ、あっちも中々だったが、こっちもかなり激しくやり合ったみてぇだな。アメリカも結構退屈せずに済みそうだな」



「っ!? 誰……?」


 唐突に聞こえてきた暢気とも言える粗野な口調の声に、ビアンカは驚いて振り返る。そこには……場違いとも言えるアラビア風の衣装を身に纏った若いアラブ系の男が佇んでいた。


 一体いつ現れたのか。余りにも唐突な出現と、その場違いな姿と態度にビアンカは一瞬唖然として呆けた目を向けてしまう。だが……


「……お姉ちゃん、下がって! こいつ……僕にも気配を察知できナかった。なのに今は凄く強い力を感じる」


「え……!?」


 イリヤが明らかに警戒した態度で、ビアンカを庇うようにその男との間に立ち塞がる。その小さな身体からは既にESPの力が噴き出ており臨戦態勢だ。


 イリヤの探知能力を潜り抜けるとなるとかなりの凄腕だ。同じ事が出来るとしたらユリシーズやリキョウら、やはり凄腕のビアンカの仲間達くらいのものだろう。とすると目の前のアラブ人の男は彼等と同等のレベルという事なのだろうか。


 何故こんな男がいきなりこの場に現れたのか理解できず戸惑うビアンカ。男は明らかにこちらを意識しているようだ。立ち塞がったイリヤを見て男は眉と口の端を吊り上げる。


「やめとけ、坊主。お前じゃ俺には勝てねぇよ」


「……っ」


 そうはっきり告げられてもイリヤは反論できずに唇を噛み締める。それが事実だと彼自身が誰よりも良く理解していた。


 男はそんなイリヤを無視してビアンカに視線を合わせる。不躾な視線に射抜かれて少したじろぐビアンカ。



「ほぅ……アンタが本物・・の『天使の心臓エンジェルハート』の持ち主か。一度会ってみたかったんだが、中々いい女じゃねぇか」



「……!」


 ビアンカは目を瞠った。勿論、いい女と言われた事にではない。


(『私』の事を知っている!?)


「あ、あなた誰なの? 何で私の事を……」


「おっと、俺様とした事が自己紹介を省いちまったな。俺はサディーク。見ての通りこの国の人間じゃないが、まあ武者修行の最中みたいな物だと思ってくれや。この街に住むとある御仁・・・・・に雇われていてね。そいつがあんたの身柄をご所望なのさ。『天使の心臓』の事はその雇い主から聞いたのさ。という訳で俺と一緒に来てもらうぜ」


「……!!」


 この街に住んでいて尚且つ『天使の心臓』も事を知っていて、ビアンカの身柄を所望している。その条件・・に当てはまる者は1人しかいない・・・・・・・


(こいつ……カバールの悪魔と!?)


 ビアンカ達が探し求めていた、このシカゴでの騒動を引き起こしている元凶と思われる存在。目の前の男――サディークはその存在に雇われていると言っているのだ。



 サディークがこちらへの圧を強めて一歩踏み出そうとした所で、その頭上をいくつかの巨大な影が覆う。『獣人』だ。何体もいる。先の抗争で生き残っていたギャング達の成れ果てだろう。


 白濁した目に本物の獣のような唸り声を上げて口から大量の涎を垂らすその姿に、最早人としての理性は感じられない。


 ドラッグ『エンジェルハート』の制限時間・・・・を超えてしまったらしく、元がどちらの陣営のギャングだったかも定かではない、ただの人を襲い喰らう化け物と化した『獣人』達は、何も考えずに狂乱したように手近な獲物……サディークに襲い掛かった!


 ――Goaaaaaaaa!!!


 人間など一撃で粉砕して噛み砕けるような怪物達が1人の男目掛けて殺到する。普通の人間であれば100%助からない状況。だがサディークは果たして普通の人間なのだろうか。その答えはすぐに出た。



「はっ! 雑魚共が!」


 むしろ嬉しそうに獰猛な笑みを浮かべたサディークは、いつの間に取り出したのかその両手に二振りの曲刀を握っていた。


『نور فلش』


 彼が聞き慣れない言語――恐らくアラビア語――で何かを呟いて二振りの曲刀を交叉させると、彼の身体から強烈な光が瞬いた。


 ――Gyoaa!?


 襲い掛かってきた『獣人』の何体かがその光を浴びて、大きく怯んで悶え苦しむ。あの光はただの目潰しではなく、魔物に対する何らかの作用があるようだ。


「ぬんっ!」


 サディークは当然その隙を逃さず、飛び上がるようにして二振りの曲刀を薙ぎ払う。すると強固なはずの『獣人』の肉体が、まるで脆い紙細工のように裁断されていく。


 ビアンカはそこで彼が振るう曲刀が淡い光の膜のような物に覆われているのに気づいた。あれが曲刀に超常の切れ味を与えているのだ。


 残りの『獣人』が次々と攻撃してくるが、サディークはまるで舞いでも踊っているかのような軽快な動作でその攻撃を躱すと、反撃に曲刀を煌めかせて一撃で相手の命を確実に刈り取っていく。それは敵にとっては死をもたらす悪夢の舞踏そのものであった。


 時間にして30秒も経たない内に、襲ってきた『獣人』達は残らず裁断された肉の塊となって地面に転がっていた。恐るべき強さだ。この男の実力はユリシーズにさえ引けを取らないだろう。


 ヴィクター達との戦いで消耗していたビアンカは逃げる暇さえなかった。サディークが改めてこちらを振り返った。



「さて……待たせたな。それじゃ行こうか?」


「……!」


 ビアンカを守るようにして庇っているイリヤの事など全く眼中にないかのように、彼女を連れて行こうと近付いてくるサディーク。その態度はイリヤのプライドを刺激するには充分すぎた。


「この……あっチへ行けっ!」


 イリヤがサディークに向けて全力の念動波を叩きつける。だが彼は最小限の動きだけでそれを躱してしまった。


「……っ!?」


「ん? どうした、坊主。今ので打ち止めか?」


「っ! この……!」


 舐め切ったサディークの態度に激昂したイリヤが次々と念動波を放つが、やはりサディークには全く当たらない。全て最小限の動きだけで躱されてしまう。


「そ、そんな……何で」


「一回見りゃ大体の有効範囲・・・・は解る。ただ馬鹿正直に正面に撃ってるだけじゃ、俺には永遠に当たらねぇよ」


「……!!」


 自分の力が通じない状況に愕然とするイリヤに、サディークは余裕を持った態度で講釈までしている。



「っ!! だ、だったら、コレならどうだっ!」


「……!」


 イリヤは戦術を切り替えて、サイコキネシスの力でサディークを拘束する。流石に奴の動きが止まる。しかしイリヤの攻撃はそこでは終わらない。


「ハァァァァァァァッ!!!」


 サディークを拘束したままイリヤは更に力を放出して、地面から何本もの炎の柱を立ち昇らせる。パイロキネシスだ。しかも先程『アザー・ピープル』を全滅させたのと同じ最大出力。


「焼け死んじゃえェェェッ!!」


 サイコキネシスで拘束されて動けないサディークに迫る何本もの業火の竜巻。普通なら完全に詰み・・である。少なくとも人間は勿論、中級悪魔までならこれで為す術もなく焼き尽くされて原型を留めない炭に変わるしかないだろう。


 だが……



「……はっはぁ!! やるじゃねぇか、坊主! ちょっと見直したぜ! あくまでちょっとだがなぁ!」



「っ!?」


 なんとサディークはこの状況で尚、否、先程までより明らかに嬉しそうに・・・・・哄笑していた。


「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 サディークが大きく息を吸い込むような動作の後に、激しい気合を発する。すると奴の身体から物理的な圧力さえ伴う程の凄まじい霊力が発散された。


 そして……何かを振り払うように大きく両腕を広げた。そう、動いた・・・のだ。同時に奴の身体から何か目に見えない力のようなものが弾き飛ばされる。


「そ、そんナ……!?」


 自らのサイコキネシスを強引に・・・振り解かれたイリヤが驚愕に顔を歪める。だがその時には既にパイロキネシスによる炎の竜巻がサディークを呑み込もうとしていた。


『شينري لايت بليد !!』


 サディークは四方から迫りくる炎竜巻に対して、身を屈めて両腕を交差させた独特の構えで曲刀を振りかぶる。そして再びその口からアラビア語の叫びが迸る。


 次の瞬間サディークはまるで自身が一つの竜巻にでもなったかのように、二振りの曲刀を振り抜きながら身体ごと旋回させる。するとその動きに合わせて奴の曲刀から光の刃・・・のようなものが、いくつも連続して四方八方に射出された!


 それはまるで奴の曲刀を包む光の膜が、そのまま刃の形になって射出されたようなイメージであった。


 恐らく相当に強い霊力によって構成されていると思しきその光の刃は、迫りくる炎の竜巻に接触し次々に竜巻を切り裂いて・・・・・消滅させていく。


「う、嘘だ! 僕の力が…………っ!!」


 イリヤが驚愕する間もあればこそ、竜巻を切り裂いた光の刃の一部が彼の元にも飛んでくる。イリヤは咄嗟に目の前に障壁を展開してそれを防ぐ。


「うぐっ!!」


 そしてその美貌が大きく歪んで苦鳴が漏れる。四方八方に射出される光の刃の一部が当たっただけで、障壁が破られかねない程の衝撃に揺さぶられたのだ。回転を止めたサディークの視線がイリヤに向く。



「ほぅ、一発とはいえ俺の『霊空刃』を防ぐとは大したモンだ。だが……何発・・耐えられるかな?」


「ひっ……!?」 


 凶悪な笑みを浮かべるサディークに、イリヤは完全に青ざめた顔を引き攣らせる。サディークはそんな少年に容赦なく追撃の刃を放つ。


「はははは! オラオラオラァッ!!!」


 先程は全方位に放っていた光の刃を今度は一方向……つまりイリヤに対してだけ集中して連続で斬り放つ。


「う……!! ぐぅ……! がっ……!!」


 一撃ごとに障壁が揺さぶられてヒビが入っていく。その度にイリヤが苦し気に呻くが、サディークの刃の雨は止まる事が無い。そして遂に……


「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


「イリヤ!?」


 サディークの連撃に耐え切れなくなった障壁が砕け散り、その衝撃の余波でイリヤの小さな身体は弾き飛ばされてしまう。そして廃アパートの外壁に激しく背中を打ち付けて、そのまま崩れ落ちて尻餅をつく。


 その姿勢のままガックリと項垂れて動かない。死んではいないようだが完全に気を失っているようだ。



「イリヤ!? イリヤ、大丈夫っ!?」


「安心しな。ちゃんと手加減はしてある。ガキを殺すほど落ちぶれちゃいねぇよ」


 顔色を変えてイリヤの安否を確認するビアンカに、サディークは刀を収めてから肩を竦める。


「さあ、ちっと余計な手間がかかったが、これでアンタを雇い主の所に連れてけば仕事は完了だ。これ以上面倒掛けさせんな?」


「……っ! 大人しくあなたの思い通りになんてならないわ!」


 ビアンカはなけなしの体力を振り絞って立ち上がると、ファイティングポーズを取って抵抗の意思を示す。相手はイリヤも倒してしまった怪物だ。恐らくユリシーズとほぼ同等と思われるような相手に万が一にも彼女が敵うはずもないが、何もせずにただ大人しく言いなりになる気など無かった。


「ほぅ……」


 圧倒的な力の差を理解しながらも臆したり諦めたりせずに不屈の意思を見せるビアンカの姿に、サディークは初めて興味・・を持ったように目を細める。


「お前……名前はビアンカっつったか? その『天使の心臓』を持ってたら自分が悪魔に狙われるってのは解ってたはずだろ? 何でさっさと安全な国に逃げなかった?」


 何故サディークがそんな事を聞いてくるのか解らず、ビアンカは眉をひそめる。


「……? 大きなお世話よ。奴等は私の生活を滅茶苦茶にして、私の大切な物を全部奪ったのよ。逃げるなんて冗談じゃないわ。どんな手を使ってでも絶対に奴等を滅ぼしてやる。その時まで……私は立ち止まったりしない」


「……!」


 ビアンカの視線と口調から、彼女の強い決意を読み取ったサディークが僅かに目を瞠る。そして口の端を吊り上げた。


「くくく……なるほどなぁ。ただ状況に振り回される無力な子羊ちゃんって訳じゃなかったみてぇだな。面白れぇ。こりゃもしかすると……当面の間・・・・退屈せずにすむかも知れねぇな」


 サディークは何故かそう言って上機嫌に笑いながら無造作に距離を詰めてきた。



「……! 来ないで!」


 ビアンカはサディークの脚めがけてローキックを放つ。しかし軽々と避けられてしまう。


「く……!」


 歯噛みしながら次々とパンチやキックを打ち込むが全て余裕を持っていなされてしまい、最後に放ったストレートを逆に掴み取られて、抵抗する間もなく後ろ手に捩り上げられてしまう。


「あうっ!」


「これ以上抵抗すんな。じっとしてりゃすぐに終わる。痛みもねぇから安心しろ」


 サディークは苦痛に呻くビアンカの首筋に自らの手を押し当てる。するとその手から少量の霊力が放射されて彼女の脳を揺さぶった。


「……っ」


(い、意識が……!? だ、駄目…………助けて、ユリシーズ……)


 急速に暗転して閉じられていく意識の片隅で、ビアンカはもう長い事会っていないような気がする、頼もしいボディーガードの存在を最後に思い浮かべるのだった……


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