Episode6:ギャングとの接触

 シカゴはかなり広い市域を持つ街であり、中心部のダウンタウンや観光地以外にも商業地帯、工業地帯、港湾地帯、住宅街など様々なエリアに分かれている。街の北部は主に工業地帯となっており、多数の工場や物流倉庫が軒を連ねている。


 しかし近年は多くの製造業が生産拠点を人件費の安い海外に移した事で、こうした工場群はその煽りを受けて閉鎖されて、次の買い手も付かずに放置されている建物が数多く存在していた。


 この傾向はアメリカ全土で見られ、特にシカゴとも程近いデトロイトを中心とした一大工業地帯が最も大きな影響を受け、現在は「ラストベルト」(錆びた工業地帯)などと呼称されているのは有名な話だ。


 このシカゴも例に漏れず、不況の煽りを受けて使われなくなった工場や倉庫がいくつも点在していた。そんな寂れた工場街の1つにビアンカはイリヤを連れて訪れていた。


 アーチボルト市長からこの辺りがギャング『ホットドッグス』の縄張りだと聞いていた。やはり特定のギャングと接触・・するに当たって、まずはその懐に飛び込まなければ何も始まらない。まさかギャング相手に、事前に電話でアポイントを取らねばならないという事もあるまい。



「うーん……やっぱり凶暴なギャングの縄張りだって聞いた後だと、どことなくそれっぽい感じに見えるわね」


 ビアンカは周囲を見渡しながら呟いた。通りを行き交う人や車もまばらで、本当に昨日買い物を楽しんだ賑やかな街と同じ街なのか疑ってしまう程だ。だが情報に間違いなければここは既に連中の縄張りのはずだ。


「イリヤ、どう?」


 傍らにいる少年を見下ろす。イリヤは首肯した。


「うん、生命感知にいくつも反応がある。何人もいルよ。皆こっちを見てる」


「……!」


 ビアンカは表情を引き締める。先程見渡した時は怪しい者は誰もいなかった。周囲には家屋や車、廃墟などが連なっており隠れる場所はいくらでもある。どうやら縄張りに入った瞬間から見張られていたようだ。


 ビアンカとイリヤの外見的特徴を考えれば致し方ない事だ。だがこれは余計な手間が省けて好都合だという見方も出来る。


(……私達をカモ・・か、それとも何かの罠か見極めようとしてるって所かしら?)


 この辺りはシカゴでも治安の悪い区画で、ギャング共の溜まり場としても知られている。そんな場所に女子供の2人連れだけで護身用の武器も携帯せずにノコノコ入ってきているのだ。余程頭の弱いお花畑か、そうでなければ何か警察やマスコミなどの囮捜査を警戒するのはある意味当然と言える。 


 今頃彼女達を見張っているのとは別の構成員たちが、他に彼女達を尾行したり監視したりしている存在がいないかどうか調べているのだろう。


 いくら調べてもらっても構わなかった。ビアンカ達は実際に2人だけでこの場に乗り込んできているのだ。市長が独自に誰か監視を寄こしていないかどうかも、事前にイリヤに探知してもらって確認済みだ。市長室でのイリヤのデモンストレーションは相当に大きな効果があったようだ。



 そのまましばらく通りを歩いていると、やがて確認・・が終わったのだろう。彼女らの前に数人の男達が立ち塞がった。即座に後ろにも何人か現れて、ビアンカ達は一瞬にして包囲されていた。こんな場合ながら感心してしまうような、獲物を逃がさない鮮やかな手際だ。


 黒人が多いが、白人やアジア系も混ざっている。どうやらそこまで人種的な拘りはないらしい。


「どうやら本物のお花畑だったみたいだな」

「見ろよ。女もガキも相当な上玉だ。もうすぐメンフィスで『奴隷市』があるから、こいつら最高の商品・・になるぜ」

「女の方はもし処女じゃなかったら、先に俺達で頂いちまおうぜ」

「てかガキの方は絶対ボスにケツの穴掘られるだろ」

「あの小さなケツにボスの一物突っ込んだら、特大級の切れ痔になっちまいそうだけどな」


 2人を取り囲んだギャング達が、まるで商品でも品定めするように下品な会話をしている。ビアンカは眉をしかめた。彼女は昔からこの手のクズ共が大嫌いだった。フィラデルフィアにいた頃も、実戦訓練がてら自分から喧嘩を売って叩きのめしていたくらいだ。


 本来なら遠慮なく病院送りにしたい所だが、生憎今は他に目的・・がある。彼女は不快感を堪えて口を開いた。


「あなた達が『ホットドッグス』ね? お察しの通り私達は警察の回し者じゃないわ。でもただのお花畑でもない。私達はあなた達のボス、キンケイドに話があってきたの。ボスに会わせてもらえないかしら?」


「……! ボスの名前を知ってるのか? お前ら何者だ?」


 男達の中ではリーダー格なのだろう、1人だけ少し落ち着いた雰囲気の黒人の男がいた。この佇まいからして、もしかしたらホットドッグスの幹部の1人かも知れない。



「ちょっと訳ありなのよ。あなた達は今、近場のギャング同盟『ブラッド・ネイション』と抗争中なんでしょう? だから私達をホットドッグスの用心棒・・・として雇ってもらう為に来たのよ」



 ビアンカがそう言った途端、周囲のギャング達が爆笑した。


「何ってんだ、こいつら!? 頭大丈夫か!?」

「用心棒ぉぉーー? それってお嬢ちゃんとそのチビの事か? こりゃ傑作だ!」

「ゲームでもやってる感覚かよ! ガキや女のお遊びじゃねぇんだよ!」


 耳障りな哄笑や嘲笑が浴びせられるが、ビアンカの視線はリーダー格の男から離れない。こういう反応は最初から予想出来ていた事だ。


 ここでビアンカと一緒にいたのがユリシーズやアダム、リキョウらの誰かであったらギャング達の反応は全く違う物になっていた可能性が高いが、残念ながら見た目の迫力や威圧感というものにおいてイリヤは足りないどころか相手に侮られる要素しか持っていない。



「お前ら、ちょっと黙ってろ! ……俺達の用心棒だと? こいつらが言う通りお前らにその力があるかどうかは別として……何故だ? ボスの名前を知ってるくらいなら、俺達の評判は聞いてるはずだな? そしてそれはあながち嘘って訳でもない。確かに今はどこのギャングも腕の立つ奴を求めてはいるが、俺達は格別支払いが良い訳じゃない。何故あえて俺達の所に来る? 何が目的だ?」


 どうやらこの男は予想より更に頭が切れるらしい。あるいは組織の参謀役の可能性さえある。そんな人物といきなり話す機会を得られた事はむしろ幸運であった。


「……さっき警察の回し者じゃないって言ったと思うけど、それは半分嘘よ。私達はシカゴ市警じゃなくて、アーチボルト市長からの依頼でやってきたのよ」


「何、市長の奴の手先だと!?」


 男が警戒しかけるが、ビアンカはすぐに待ったをかけた。


「落ち着いて。市長はあなた達ギャングといたずらに敵対する気は無いの。それどころかこの街の必要悪として、むしろいなくなっては困ると思っているくらいよ」


「……!」


 これは嘘ではないので自信を持って断言出来た。そしてここからは少し創作・・になる。


「そして市長は……あなた達との提携・・を考えているのよ。あなた達の凶暴性を見込んで、他のギャング達を統制・・できる器があると考えて、ね。だから用心棒を送り込んで、あなた達がこの抗争を制する事が出来るように援助しようという訳。疑うなら今ここで市長に電話して確認してみましょうか?」


 これはビアンカの即興だが、アーチボルト市長ならすぐに意図を悟って調子を合わせてくれるだろう。彼女は実際に市長に電話を掛けるつもりで携帯を取り出す。


「待て! 構わん、電話を仕舞え」


 男がそう言うのでビアンカは携帯を仕舞った。彼は考え込むように渋面を作っていた。


「……仮にお前の話が真実だったとして、それで市長が送り込んできたのがお前達のような女子供だと言うのか? これではアーチボルドの誠意・・を信じる事は到底出来んな。それどころか俺達を馬鹿にしているのかとすら思うだろう。それは解るな?」


「ええ、そうね」


 それは理解できた。むしろそう思うのが当然だろう。なのでこれ以上言葉を重ねても無意味だ。ここから先は、実践・・で説得力を持たせるしかない。



「要は私達がそちらの御眼鏡・・・に適うなら問題ないという事よね? だったら話は早いわ。手っ取り早く私達の力を見せてあげる。さっきから周りで私達に下品で低劣な顔を向けてるこの目障りな三下共が、丁度いいサンドバック・・・・・・代わりになりそうだし」


「ああっ!? 何だと、このアマ!?」


 最寄りにいた男がビアンカの髪をふん掴もうとするが、彼女は逆にその手を払いのけると鋭い正拳突きを男の喉笛に叩き込んだ。勿論現在アルマンのグローブは外してあるが、急所に容赦ない突きを叩き込まれた男は一瞬にして白目を剥いて倒れ伏した。


「……! こいつ……!!」


 仲間が倒された事で、周囲の男達の雰囲気が変わる。リーダー格の男もビアンカ達の意図を悟って、彼女達が本当に言うだけの実力があるのか見極めようと、部下たちを敢えて止めなかった。


 ギャングの1人がナイフを取り出し、躊躇いなく突きかかってきた。完全に殺す気の動きだ。凶悪な連中だというのは間違いないようだ。しかし動きそのものは素人だ。


「ふっ!!」


 ビアンカは男の手首を打ち据えるようにしてナイフを逸らす。男の体勢が僅かに崩れた所で、その膝を狙って強烈なローを繰り出す。


「……!」


 ローを脚に受けた男が更に体勢を崩す。完全に隙だらけだ。ビアンカはそのまま流れるような動きで、男の側頭部に今度はハイキックを蹴り込んだ。衝撃で脳を揺さぶられた男がやはり白目を剥いて崩れ落ちた。


 次の相手に対処しようと素早く振り返るビアンカだが、その時にはもう終わっていた・・・・・・。いや、先程の男を相手にしている時に他のギャングが誰も加勢に来なかった事で何となく解ってはいた。



 襲い掛かってきたギャング達の残りは7、8人程はいたはずだが、その全員が……宙に浮かんでいた・・・・・・・・


「な…………」


 リーダー格の男が唖然としたようにその光景を眺めていた。


「な、なんだ、こりゃ!?」

「ど、どうなってんだぁ!? 身体が……動かねぇ!」

「降ろせ! 降ろせぇ!」

「た、助けてくれぇ!」


 宙に浮いたギャング達が口々に喚くが、不可視の拘束は彼等を捕らえたまま離さない。ギャング達はナイフだけでなくマチェットや銃を握っている者までいたが、全員それらの得物ごと動きを封じられていた。 


「お前ら、嫌いだ。僕やお姉ちゃんヲ汚い目で見るな」


 その美貌を不機嫌そうに歪めたイリヤが、喚くギャング達に向かって手を掲げている。そして彼が手を動かすと、その動きに合わせて宙吊りになった男達が見えない糸で繋がっているかのように振り回される。その度に聞くに堪えない悲鳴が沸き起こる。



「こ、これは……信じられん。その子供がやっているのか?」


「ええ、そうよ。この子はご覧の通りとっても強い・・・・・・の。そして彼は私の言う事だけを聞くわ。これで市長が私達を送り込んだ事に納得してもらえたかしら?」


 男は渋面のまま頷いた。


「この光景を見ては信じざるを得まい。お前達の実力は解ったから、もうそいつらを降ろしてやってくれないか。とりあえず手は出させん。というよりこんな体験をしては頼まれてもお前達に突っかかったりはしないだろう」


「そうね。イリヤ、もういいわよ、ありがとう。よく誰も殺さなかったわね、偉いわ」


「お姉ちゃんがいイならいいけど……大丈夫なの? もうちょっと懲らしメといた方が良くない?」


 イリヤが不満そうに口を尖らせると、宙に浮かんでいるギャング達の顔が可哀想な程に引き攣った。釘を刺す効果は充分そうだ。


「ええ、もういいのよ。彼等は二度と私達にちょっかい出したりしないから。そうでしょう?」


 ビアンカがにっこり微笑んでギャング達に確認すると、彼等は唯一自由になる頭を高速で何度も縦に振った。イリヤがサイコキネシスを解除すると、男達は一斉に地面に落ちた。情けない悲鳴や呻き声が充満する。



「さあ、それじゃミスター・キンケイドの所に案内してもらえる? ビジネスの話をしましょう」


「……いいだろう。ついてこい」


 リーダー格の男がビアンカ達を促して歩き出す。3人が立ち去ると、その場には未だに地面に寝転がったまま呻いているギャング達だけが残されていた……


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