Episode5:二つの組織
翌日。3人の姿はシカゴのダウンタウン内にあるシカゴ市庁舎の中にあった。その市庁舎の上階、一般市民が通常の用事で足を踏み入れる事はまずないエリアの奥に一際重厚な造りの扉があり、その扉を開けるとそこはこのシカゴの
全米屈指の大都市の首長が執務をするのに相応しい、広く高価な内装のスペースであった。机やソファ、壁に飾られている美術品に至るまでの家具や調度品も一流のものだ。
思えばビアンカも市長室というものに足を踏み入れるのは初めてだった。今までにも知事や上院議員が依頼人だった事はあるが、実際の相談はいずれも彼等の自宅であった。アトランタでは市長や知事のオフィスも巡ったが、あれは任務の一環であったため、それ以外の事に気を配っている余裕は無かった。
「やあ、よく来てくれたね。待っていたよ。私がシカゴ市長サミュエル・アーチボルトだ」
ビアンカ達に握手を求めるのは、恐らく50代と思われるアフリカ系の男性であった。確かシカゴで初めての黒人市長という事で話題になったはずで、それでビアンカも覚えていたのだ。
だが黒人だというのは彼の外見上の属性に過ぎず、アーチボルトの本領はその優れた行政能力と政治的嗅覚だったのだろう。
握手と自己紹介はしたものの、アーチボルトは若干戸惑ったような視線をビアンカ達に向ける。
「あー……それで、勿論大統領を疑っている訳ではないのだが、本当に君達が大統領府から派遣されてきたエージェントなのか?」
アーチボルトの目が主にビアンカとイリヤに向く。ユリシーズは威圧感たっぷりの外見で如何にも只者ではない雰囲気を醸し出しているので、むしろ彼1人の方が疑われなかったかも知れない。
だが市長の戸惑いはある意味では仕方ないものではあった。ビアンカも今までに何度もこうした目を向けられてきた。一応は成人している彼女でさえこうなのだ。ましてや明らかに未成年のローティーンであるイリヤを見て、すんなり信じろという方が無茶である。
イリヤは昨日のお買い物で、ビアンカが喜び勇んで彼の服を買いそろえた結果、まるで英国の貴族のお坊ちゃんのような装いとなり、彼の元々の典雅な美貌と合わさって完全にプロの子役芸能人と見紛うオーラ(?)を身に纏っていた。
だが如何に人目を惹く美少年であっても、彼が年端も行かない子供である事は厳然たる事実だ。なのでこうした疑いの目で見られる事は、実は予想出来ていた。なのでその際にどうするかも事前に話し合って決めてあった。
ビアンカはユリシーズの方にチラッと視線を向けた。彼が頷いたので、ビアンカも
「市長の戸惑いは御尤もです。なので彼が今回の仕事に相応しい能力の持ち主であるという
「証拠だって?」
市長がオウム返しに聞き返すが、ビアンカはそれには答えずにイリヤを見下ろす。
「イリヤ、お願いできる? でも壊したりしちゃ駄目よ?」
「うん、わかったよ、お姉ちゃん」
イリヤが頷いて進み出てくる。そして彼を戸惑ったように見下ろす市長に見えるように手を掲げた。すると……
「な……!?」
市長が目を剥いた。部屋の中にある様々な調度品や家具、それに書類のファイルなどが一斉に浮き上がったのだ。そしてイリヤが手を振ると、それらの物品が部屋中をクルクル回り出す。結構な速度だが壁や人、物同士で当たらないように絶妙にコントロールされている。
アーチボルト市長はギャング同士の抗争の裏にカバールの悪魔が絡んでいる可能性を疑って大統領府に依頼してきた人物だ。つまり怪異の存在を知っているという事でもあり、ならばイリヤの超能力を見せても問題ないだろうという結論に至ったのだ。
「如何ですか、市長? イリヤは非常に頼りになるエージェントであるとご理解頂けましたか?」
「わ、解った! 信じる! 信じるから何も壊さないでくれ! 私が日本で4000ドル相当で買った市松人形も含まれてるんだ!」
市長が悲鳴を上げてイリヤの力を認めた。デモンストレーションはもう充分だろう。
「イリヤ」
ビアンカが声を掛けると、少年は頷いてサイコキネシスを緩めた。そして全ての物品を元通りの位置に戻した。市長がふぅー……と大きく安堵の息を吐いた。
「全く……確かに驚かされたが、流石は大統領府と言うべきかな。今回の件に限っては頼もしいのは良い事だ。となると君も何かの特殊な力を?」
「ええ、対カバールにおいてはとても役立つ力です。残念ながらここで披露する訳には行かない類いの力ですが」
ビアンカが再びにっこり微笑んで首肯する。『天使の心臓』は実際にカバールの悪魔相手には、彼等を誘き寄せて正体を暴くという面において極めて優秀な
しかし市長はイリヤの件で懲りたのか深くは聞いてこなかった。
「ああ、構わないよ。君達は非常に頼りになりそうだ。それが解っただけで充分だ」
市長は部屋にある応接セットの椅子に腰かけ、ビアンカ達も対面のソファに座るように促す。3人が座った所で話はようやく
「さて……今この街が抱えている大きな問題についての情報は既に聞いていると思うが」
「ギャング同士の抗争が激化しているとか。そしてその裏に新種のドラッグが関係している可能性があるとの事ですが?」
ビアンカが答えると市長は苦虫を噛み潰したような顔になって頷いた。
「元々この街はギャングの街と言っても過言ではないくらい、多い時には数百ものギャングが蔓延っていた街だが、半世紀前ならともかく今はマシンガン片手に派手に撃ち合うような時代じゃない。奴等は縄張り争いで互いに小競り合いは繰り返していても、それは小規模なもので奴等の中だけで完結しているものだった。一般市民……『表』に被害を及ぼす事はほぼなく、街は概ね『平和』が保たれていたんだ」
「だがその状況が変わってきたって訳か。具体的には何が起きてるんだ?」
ユリシーズの確認に市長は再び渋面を作る。
「全体的にギャング共の凶暴性が増してきているように思える。昼間の住宅街やスーパーの駐車場、それにこの間は大手ショッピングモール内で複数のギャング同士が撃ち合って死んだ。ただそれだけならシカゴ市警で何とか対処できるんだが、最近ではそれすら危うい状況になりつつある。これももう聞いているだろうが……人間離れした姿の怪物同士が殺し合っているという目撃情報が増えてきているのだ」
「……!」
DCでも聞いた異常事態。カバールの悪魔が殺し合う事は基本的にあり得ない。ましてやこれだけ大体的にとなると、ほぼ確実に他の構成員達の目に付く。となると……
「確かに例のドラッグが怪しいと思われますね。それが流行し始めた時期と、ギャング達の凶暴化や怪物同士の殺し合いが始まった時期は一致しているんですよね?」
「その通りだ。だから私も怪しいと睨んでシカゴ市警の本部長に情報をリークして、そのドラッグ……『
そのドラッグの捜査を担当した刑事が次々と変死するという事態が起きた。それでシカゴ市警もこの捜査に消極的となり、市長は大統領府に助けを求めてきたというのが経緯だ。ユリシーズが腕を組んで頷いた。
「なるほどな。状況は解った。だが俺達もこの街に来たばかりで調査の当てがない。ドラッグの出所を探すにしても、何か指針というか取っ掛かりがないとな。その変死した刑事達は何を調べていたんだ? 何か手がかりの1つくらいは掴んでなかったのか?」
ある程度
「ああ、大統領府からエージェントが派遣されてくると聞いて、その辺りに関しては事前に整理しておいたんだ」
市長はそう言って、いくつかの写真や書類などをデスクから取り出して戻ってきた。どうやら噂通り有能な人物らしい。
「刑事達は捜査の過程でドラッグの出所に関して、ある特定のギャンググループが関与している可能性が高いと当たりをつけていたようだ。そしてこの
応接テーブルの上に並べられた資料はそのギャンググループの情報と、仕切っているリーダーの顔写真であった。
「そっちはシカゴで唯一のマフィア組織、シカゴ・アウトフィットだ。かつてあのアル・カポネもボスとして君臨していた事がある
アーチボルト市長がそう言って皮肉気に口を歪めた。どうやら基本的にマフィアやギャングの類いが嫌いらしい。まあ無理からぬ事であろうが。
「現在のボスはやはりイタリア系移民のエンツォ・ボルドリーニ。あそこはイタリア系でないとボスになれないらしい暗黙の掟がある」
市長が指し示す写真には40代くらいの、やや額が後退した髪型のイタリア系の男が写っていた。これがそのボルドリーニという男らしい。
「で、こっちは主に街の北で勢力を伸ばしているギャング、ホットドッグスだ」
「ホットドッグだぁ? ふざけてるのか?」
「名前に惑わされるな。奴等は危険なギャングだ。奴等の仕業と思われる殺人の件数は、他のどのギャングよりも多いと言われている。国民的なファストフードではなく、その名は熱に浮かされた狂犬をイメージしているらしい」
ユリシーズが眉根を寄せるが、市長はあくまで真剣な表情で警告する。
「そしてそいつがホットドッグスのボス、ゴードン・キンケイドだ。5件以上の殺人の前科がある本物の犯罪者だ」
市長が示す写真には20代後半くらいと思しき、比較的若いアフリカ系の男性が写っていた。スキンヘッドで顔の半分に燃えている犬を象ったようなタトゥーを彫っている。目が据わっていて見るからに凶悪そうな『いかにも』な面貌だ。
「『シカゴ・アウトフィット』と『ホットドッグス』。シカゴ市警の刑事達はいずれもこの2つの組織のどちらかを調べている途中で変死した。こいつらが直接ドラッグの出所となっているのかは解らんが、何らかの手がかりがこの2つの組織にあるのは間違いないと睨んでいる」
「…………」
他に何も手がかりや指針がない状態なら、とりあえずこの両組織から当たっていくしかなさそうだ。
「ふーん、どうしたもんかねぇ? こいつらを手当たり次第にぶちのめして情報を吐かせてでもいくか?」
ユリシーズがあながち冗談とも言えない口調で鼻を鳴らす。確かに彼の実力ならやろうと思えば可能かも知れないが……
「いや、そんなあからさまな事をすれば、すぐに残った奴等に警戒されてしまう。奴等がドラッグの流通に関わっていたとしても、その証拠ごと隠滅されてしまうかも知れん。それにギャング共はクズだが、あれはあれで底辺層や不法移民共の受け皿として必要悪な部分もあるのだ。私としてはあくまでドラッグの出所を突き止めて、その供給源を断つ事を最優先にしてもらいたいのだ」
つまり片端からギャングを襲撃したり殲滅したりするような真似はやめてくれという事だ。それに確かにあまり派手に動くと、警戒したディーラーが潜伏してしまい、ドラッグの供給元を突き止められなくなる可能性がある。
それでは対症療法止まりで、根本的な解決にはならない。
「私としては出来れば君達に、奴等の
「な、内部に潜入、ですか? つまりギャングに入り込むという事ですか? でも……そんな事出来るんですか? ギャングとかマフィアって結束が強そうなイメージがありますけど」
少なくともビアンカが見た映画やドラマなどではそうだった。彼等は
「確かにそういう面もあるが今だけは例外だ。抗争が激化しているだけあってどこのギャングも腕の立つ
「……!!」
それはつまりユリシーズは勿論、イリヤでさえも先程のように『力』を見せればギャング達の懐に潜り込める可能性があるという事か。ビアンカは顎に手を当てて思案する。
「となると……
「なるほど、確かに君の言う通りだな。良い案だ」
アーチボルド市長もビアンカに同意するように頷く。だがユリシーズは眉を顰めた。
「二手に分かれるだと? だが俺達は
「あら? 勿論私とイリヤが一方の組織に潜入するから、あなたは1人でもう一方に行って頂戴。当然でしょ?」
戦力的にも年齢性別その他の要素をとっても、それ以外に分けようがない。『エンジェルハート』であるビアンカが1人になる事はカバールの悪魔に襲ってくれと言っているようなもので、勿論子供であるイリヤを1人にするのも論外だ。
「ぐぬ……!」
頭ではそれを解っているのかユリシーズが反論できずに唸る。反対にイリヤは口には出さないものの、これみよがしにビアンカの腰のあたりにしがみついてユリシーズに思い切り舌を出す。それを見たユリシーズが額に青筋を立てて椅子から腰を浮かしかける。
「ちょっと、子供相手に大人げない真似しないでよね! わかった!?」
「……っ!」
しかしビアンカに鋭く窘められて引き下がらざるを得なかった。それを見て増々勝ち誇るイリヤ。ユリシーズは奇怪な唸り声を上げて自分を抑えるのに精一杯となっていた。
「……本当に君達に任せて大丈夫かね?」
そんな3人の様子を見ながら、アーチボルド市長は若干不安そうに呟くのであった……
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